著者
山浦 公美子
出版者
日本中東学会
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.315-359, 2000

本論文は,日本のパレスチナ問題および中東和平プロセスに対する政策について,外務省が政策を公式に表明している『外交青書』を中心として分析するものである。1973年から1999年までを対象とする。外交青書は政策決定者の意見が表れ,彼らが政策において強調している個所を見極められるという点で高い資料価値があるにも関わらず,これまで十分に研究が行なわれてこなかった。本論文では,外交青書の内容を通商産業省の通商白書との比較を加えつつ分析した。外務省の対パレスチナ政策声明には3つの分岐点がある。1973年の第一次石油危機,89年以降のドナー大国化,湾岸戦争後の国際貢献への参加である。第1次石油危機によって公式に表明された政策は,急速に親アラブに傾いた。外交青書はイスラエルとの関係に一線を画すことを明言し,親アラブ色を前面に出している。次に,89年以降のドナー大国化により,日本政府は外交青書を通して経済的,物的支援一辺倒であった国際貢献を拡充することを提案している。それは90年代の湾岸戦争後に実行に移される。湾岸戦争の終結により,日本政府は国際的,国内的な世論の高まりを背景に,親平和政策をもとに「国際貢献」を推し進めることを表明した。1991年のマドリッド中東和平国際会議,1992年のモスクワ会議を経て,外交青書は日本政府の貢献を誇らしげに列挙している。また日本政府の国際貢献においてPKOとODAが90年代の主要な柱であることを表明している。外交青書の分析を通して,日本政府が2つの原則を主張していることが判明する。国連安保理決議242号,338号の遵守と,当事者の合意を前提として援助を行うという政策である。これらは日本政府の親平和政策に基づいており,武力による領地併合の不可,交渉による平和的解決という政策を反映している。外交青書は,平和の確立は当事者の合意に基づいて行われるべきであるという日本政府の政策声明を明示している。1993年のオスロ合意以後,日本政府がパレスチナ問題への政治的参加を開始したのは,平和構築を目指す当事者の合意が成立したと見なしたからである。対パレスチナ援助において,日本政府は外交青書を通じ,当事者の民生と独立以後のパレスチナ社会支援という観点から,一層の政治的参加の必要性を強調している。