- 著者
-
岩月 健吾
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.87, 2021 (Released:2021-03-29)
1.研究の目的 野外で採集したクモ同士を闘わせて勝敗を決める遊び,すなわちクモ相撲は,東南アジア〜東アジア地域を中心に存在が記録されており,かつて日本でも季節の自然遊びとして全国的に見ることができた(斎藤 2002).しかし,日本のクモ相撲は,戦後の経済成長の中で人々の生活様式が変化したことや,都市開発および農地整備によってクモの野生個体数が減少したことなどを背景に,多くの地域で消滅してしまった(川名・斎藤 1985).しかし,関東・近畿・四国・九州の一部地域では,現在もクモ相撲の存在が確認されている.これらの地域では,クモ相撲が年中行事や祭りの企画の一部として組織的に運営・開催されている. 本研究の目的は,かつて日本各地で見られたクモ相撲が衰退・消滅してしまった現代において,クモ相撲行事がいかにして存続しているのか,その要因を自然と人間活動との関係の視点から明らかにすることである.自然と人間活動との関係に着目した場合,行事の存続はクモ採集活動の持続性と不可分だと考えられるが,この点について従来の研究では十分な検討がなされてこなかった. 2.調査の対象および方法 本研究では,鹿児島県姶良市加治木町の年中行事「姶良市加治木町くも合戦大会」を事例として取り上げる.地元で「加治木のくも合戦」の呼称で親しまれる本大会は,クモ相撲行事の中で参加者数において最も規模が大きい.ファイターとして使用されるのは,コガネグモArgiope amoenaのメスである.本種は現在15の都府県でレッドリストに掲載され,野生個体数の減少が全国的に危惧されている.本研究では,大会参加に向けてコガネグモを採集飼育する人々(以下,採集者)を対象に聞き取り調査を実施し,採集・飼育・返還の各段階における採集者の行動や考え方を分析した.聞き取り調査対象者数は25名である.調査は主に,2015年,2018年,2019年の大会開催日(6月第3日曜日)に実施した. 3.結果 採集者はコガネグモの生息環境を,造網空間,餌供給源,気温・湿度・日当たり・風,天敵の有無の観点から包括的に理解していた.採集者の環境認識は,採集者自身の孤独で排他的な採集活動の積み重ねによるものであり,それゆえに多様性に富むものであったが,いずれもコガネグモの生息環境を的確に言い表していた.コガネグモの野生個体数が減少傾向にある中で,採集活動を継続できた一因はこの環境認識にあると考えられる.採集活動に関して,採集場所を複数持つことで,コガネグモが採集できないリスクを軽減したり,採集する個体数を選別により少なくすることで,採集場所に掛かる採集圧を軽減したりする工夫も確認された. 採集者にとって飼育とは,大会に向けてコガネグモを保持し,日々の観察の中でファイターを厳選する場である.加えて,採集者には,危険が多い野外からコガネグモを保護しているという意識もある.彼らは,飼育の中でコガネグモが十分に餌を与えられ,産卵から孵化までの過程を終えることで,返還後の野外における幼体生存率が上がると考えていた. 採集者は,自分の採集場所を維持する目的で,大会後にコガネグモを元の場所に返還し,野生個体数の維持増加を図っている.採集者の中には,生息環境として適した別の場所にコガネグモを返還し,新たな採集場所を創出することを試みたり,限られた採集場所における採集活動の質を高めるため,返還の際にコガネグモの血統を意識したりする人もいた.コガネグモの返還は個人スケールで行われ,採集者個人に対する恩恵を多分に期待する行為である.このような採集活動の継続に向けた個人的な取り組みが,「加治木のくも合戦」の存続要因の一つと考えられる. 文献川名 興・斎藤慎一郎 1985.『クモの合戦 虫の民俗誌』未来社.斎藤慎一郎 2002.『蜘蛛(くも)』法政大学出版局.