著者
山﨑 孝史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.35, 2021 (Released:2021-09-27)

はじめに「地政学」は20世紀初頭にヨーロッパで誕生し,二度の大戦を経て列強に浸透した.戦後は学知として停滞するものの,その発想は大国の国政術に受け継がれていく.地理思想史や政治地理学の分野では,地政学は欧米を中心に学説史的に再検討され,批判的に再構築される.よって,現代の地政学は戦前からの流れを汲む伝統地政学に留まらず,新しい多様な知の形式を含む.近年日本においては一般読者向けの教養書として「地政学」を冠する書籍が数多く刊行されている.このほとんどは伝統地政学を再参照している.この「地政学ブーム」の中で,発表者も雑誌『現代思想』や『地理』の地政学特集に寄稿し,『現代地政学事典』の編集に参画するとともに,日本学術会議で国際地理学連合と政治との歴史的関係についても講演した.本発表では,こうした「地政学ブーム」に対して日本の地理学がどう向き合いうるのかについていくつかの論点を示したい.国際関係の緊張と学問日本における地政学書の出版は,戦前も戦後も日本をめぐる国際関係の緊張を認知する世論の高まりと関わっていると考えられる.特に2010年代以降の周辺諸国との「領土問題」の緊張は地政学書の出版を促していると推定される.本来,地政学は外交・軍事という国政術に地理的知識を応用しようとする実践的性格が強かったことを鑑みれば,そうした応用への期待が社会的に高まっているのかもしれない.しかし,同時にそれは出版社の利害とも深く関わることは留意されねばならないし,そうした応用への期待は地理学だけに向けられるものでもない.こうした国政術上の要請に大学がどう応えるかが問われたのが,2015年に発足した防衛装備庁による「安全保障技術研究推進制度」をめぐる問題であった.日本学術会議は1950年と67年に戦争や軍事を目的とする科学研究を行わないとする声明を発し,2017年にも過去の声明を継承する旨の声明を出した.日本地理学会も1950年に「世界平和の維持確立に関する決議」を行い,2017年の日本学術会議の声明を受けて,軍事的安全保障研究に関する声明を公表している.この声明は,GISなどの地理的技術や,地政学を含む地理学の研究成果が軍事研究にも応用されうるとし,外部資金による研究が「軍事・戦争のための研究に転化」されないよう会員に注意を促す.応用の困難性本発表は刊行が予定されている日本地理学会編『地理学事典』に寄稿した地政学に関する拙稿をベースとしている.この事典は地政学関連項目を「地理学の応用と現代的課題」という部に置く.何がそうさせ,それは上記の声明とどう関わるのであろうか.発表者は1990年代以降の日本の地理学界においては,伝統地政学については「忘却」が支配的であったと考えている.地政学に関する,戦後の歴史的・批判的検証を正しく踏まえない,肯定的・否定的論評は地理学関係誌にも散見される.また,上述のように,日本地理学会自体が地政学の応用に倫理的懸念を示し,会誌『地理学評論』には地政学はもとより政治地理学の論考もほとんど掲載されていない.これらから,地理学を地政学的に応用する学会の基盤が存在するとは考えられない.そこには日本の地理学に支配的な分析スケールの問題も含まれる.ただし,それは地政学に対する地理学の弱みでは決してない.新しい視座の構築へ世界を国家間の利害が対立する空間と認識する伝統地政学は,単純化された大陸や海洋の配置から国際政治を俯瞰的にとらえる点で「反地理学的」である.綿密な現地調査から地理的現実を実証的に積み上げる地理学は,地域や住民の視点から国家中心的な地政学を相対化できる学問分野でもある.国際関係の緊張や対立の渦中に置かれてきた地域(特に国境地域)は日本にも存在する.発表者がフィールドとする沖縄県は,太平洋の多くの島々とともに,歴史的に大国による地政学に翻弄されてきた.そうした地理的現実の上に,安全保障政策と地域政策との望ましい均衡を模索することは地理学なら可能であろう.19世紀末にクロポトキンは地理教育が民族主義的対立を超える相互理解の手段となると信じ,20世紀末にサックは,地理学に内在する倫理性は,世界の現実に対する大衆の理解を深めることと,それを補完する多様性と複雑性に満ちた世界に価値を置くことにあるとした.この間,世界は戦争を繰り返し,地政学は浮き沈み,今また浮上しつつある.地理学の倫理的価値とその戦後の成果を生かすならば,地政学に向き合う視座はありえよう.本発表では,地政学に向き合う上で,地理学の倫理的価値とその戦後の成果を生かしうる視座について考えたい.
著者
遠藤 なつみ
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.62, 2021 (Released:2021-09-27)

ジャンケンは世代を問わない身近な遊戯であり,その種類や掛け声は非常に多様で,分布には地域差がみられる。ジャンケン全般の研究としては,加古(2008)が1948〜2001年に全国のジャンケンの種類や掛け声などを,都道府県レベルで記録している。また多くの自治体史では,一般的なジャンケンの掛け声を方言や子どもの遊びの記録としてまとめている。特定のジャンケンでは“2チーム分けジャンケン”が方言研究の立場より多く研究されており,小学校区レベルの言語地図を作成し,掛け声の地域差や語形の変容に着目している(山田2007;佐々木 2012ほか)。本研究で取り上げる“ひとりもんジャンケン”は1回もしくは少ない回数で,大人数の中から1人だけ異なる手形を出した人が鬼などになる方法である。加古(2008)は,長野・山梨・島根・広島・徳島・高知の6県で使用されていること,掛け声は8種類でさらに3分類でき,長野県のみ2分類の掛け声がみられることを明らかにした。本研究では,長野県を対象とし,“ひとりもんジャンケン”の掛け声や使用展開、用途などの地域的差異を明らかにすることを目的とする。研究では,“ひとりもんジャンケン”の使用や掛け声などを調査するため,2018年11〜12月に長野県内の国公立小学校362校にアンケートを郵送し,249校(67.9%)から返信を得た。アンケートの対象者は「普段の子どもたちの生活の様子をよく知っている学校職員」としたため間接的な回答ではあるが,おおむね子どもたちについてのデータを得られたと考える。ほかに,“ひとりもんジャンケン”の使用などの世代差を明らかにするため,2017〜2019年にかけて,県内小学校出身の全ての年代を対象に,幼少期に使用していた掛け声の聞き取りを行い,346人から160校分のデータを得ることができた。以上のデータを小学校の位置に図示し,分布とその地域的差異を考察した。2018年のアンケート調査より,“ひとりもんジャンケン”の使用は全体の約34%の小学校であった。その使用は南信と中信に集中していた。確認された掛け声は42種類であり,5タイプに分類できた。掛け声は地域ごとに異なり,「ひとりだし〜」タイプは飯伊・上伊那,「あいてのないもの〜」タイプは松本・諏訪・大北・木曽・上伊那に集中する。「なかまのないもの〜」タイプは非常に少数であり,上伊那・松本・長野と分布もまばらであった。「ひとりなし〜」タイプは上伊那のみであった。県内小学校出身者の聞き取りからも,掛け声は5タイプに分類できた。調査データよりグロットグラムを作成し,長野県の“ひとりもんジャンケン”の年代・地域別の掛け声、伝播などを考察した。使用は全年代を通して南信・中信に集中し,前半の掛け声は「ひとりだし〜」と「あいてのないもの〜」タイプが主流である。前者は飯伊,後者は松本や諏訪に集中し,両者の接触地域にあたる上伊那では2タイプ以外に「なかまのないもの〜」や「ひとりなし〜」タイプもみられ,複数の掛け声タイプの併用があるなど,最も多様性に富む。また,掛け声の使用開始時期が地域で異なっている。県内の使用は1930年代まで遡ることができ,飯伊で「ひとりだし〜」,上伊那で「あいてのないもの〜」タイプが使用されていた。1960〜1970年代頃では使用範囲が拡大し,「ひとりだし〜」タイプは上伊那,「あいてのないもの〜」タイプは松本へ拡がり,その後,大北や木曽に拡がったと考えられる。飯伊と上伊那,松本を核とし,周縁部へ連続的に伝播したと推察する。一方で使用率の低い北信・東信では,核となる地域からの移動による飛び地的な伝播であると考えられる。後半の掛け声では,両調査より39種類が確認でき,「鬼」という語を含む掛け声と,その他の語を含む掛け声とに大きく二分できた。前者は長野県全域でみられるが,後者は「ひとりだし〜」タイプを多用する飯伊に集中していた。用途などの詳細な事項を聞き取ることができた52名分のデータより掛け声と用途をまとめた。用途の大半が鬼決めで用いられ,そのほとんどの掛け声に「鬼」という語が含まれる。その他の用途としては,当番や係,順番,人気のある事柄を獲得できる人を決める際に用いている。また,「ひとりだし〜」タイプは,効率性のほか遊戯性を求めた使用もみられ,掛け声や用途は非常に多様性に富む。「あいてのないもの〜」タイプは,鬼を決める以外の用途ではほとんど使用がみられず,マイナスな事柄を決めるイメージを持つ人が多い傾向にあり,「ひとりだし〜」と「あいてのないもの〜」タイプの性格は明瞭に異なっていた。
著者
井田 仁康
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.29, 2021 (Released:2021-09-27)

地域区分は、地域区分をする目的により、また何を指標とするのかで異なってくる。ある地域を理解するために、その地域を一つとしてみなすのか、空間的特徴のあるいくつかのまとまり(地域)に分けてその地域を理解する方がいいのか、そういったことが検討されて地域区分が行われる。他方で小学校社会科および中学校社会科地理的分野の教科書などでは、日本を7地域に区分して学習するようになっている。日本を7地域区分は明治期に画定されたとされるが、この7地域区分が定着し、日本の地誌学習が進められてきた。日本を7地域に区分して考察することが日本地誌を理解しやすくしているのだろうか、そのような議論がなされないまま、子どもたちは日本を7地域に区分できることを所与のものとし、その地域区分の意味を考えることもなく形式的に分けたものとして学習していないだろうか。それでは日本地誌が7地域の寄せ集めという認識でおわり、総合的に日本の地誌を理解したということにならないではないだろうか。2.地域区分の重要性 2021年から施行されている中学校学習指導要領では、日本の地誌学習のはじめに地域区分の学習が行われる。地形、気候、地震・災害、人口、資源・エネルギー、産業、交通・通信などから、これらのいずれかを指標とすると、その指標に応じて日本が地域区分され、どのような特徴をもつ地域から日本が構成されているのかを明らかにすることができる。上記の項目すべてで地域区分を行なう必要もないが、どれかの項目で地域区分を行うことで、地域区分の意味が理解でき、指標により地域区分が異なり、どのような事象に対して地域区分して日本の理解をすべきかといった判断ができるようにもなるだろう。指標をつかって地域区分することは地図活用の技能となるが、地域をどのような基準でいくつに分けることで日本の理解につなげるかを判断することは、分布などに着目してどのような観点で区分するのかという思考力・判断力を伴うものである。また、地図で表現することじたい表現力を必要とするものである。このように地域区分には、知識・技能、思考力・判断力・表現力といった資質が必要とされ、また養うことができる。さらには、次の学習となる日本の諸地域でどのような地域区分が日本を理解していくのに適切なのかといった学習課題を明確にし学習する意欲をわかせる、すなわち主体性につなげることができる。このように、地域区分の学習は資質・能力の3つの柱にかかわる学習となりえるのである。3.地域区分とSDGs 17の目標と169のターゲットから成るSDGsには、それを理解し達成させるための教育が必要となる。その教育には、社会的事象の地理的な見方・考え方をはたらかせた思考力を養うことや知識・技能の習得が含まれる。このような教育がSDGsを支えるものとなる。その意味では地域区分の学習は、SDGsを支えるための基礎的な学習となる。さらには、世界地誌においては、SDGsにかかわる指標で地域区分図を作成することで、SDGsにかかわる地域的課題がみえてくる。人口や貧困に関する指標により、具体的に「貧困をなくそう」「人や国の不平等をなくそう」といった目標にかかわってこよう。日本国内においても気候災害にかかわる指標で地域区分図を作成することで、その地域にふさわしい「気候変動に具体的な対策」を考えることができ、それをどのような地域的範囲で考えていけばいいかといった効率的な対策にもつながっててくる。子どもたちに地域区分をさせることは、日本や世界を俯瞰できるという意味においてSDGsにとって重要なのである。
著者
櫛引 素夫 三原 昌巳 大谷 友男
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.66, 2021 (Released:2021-09-27)

1.はじめに 整備新幹線の開業は地域に多大な変化をもたらしてきた。しかし、住民の暮らしについては地理学的な検討がそれほど進んでいない(櫛引・三原、2020・2021)。発表者らは加速する人口減少・高齢化を背景として、新幹線の「暮らしを守る機能」に着目し、地域医療に整備新幹線開業が及ぼす効果の検討に着手した。本研究は、その端緒として、東北・北海道新幹線の新青森駅前に2017年開業した青森新都市病院に対するヒアリングの結果を報告、論点整理と展望を試みる。2.整備新幹線の開業と地域医療 整備新幹線の沿線は大半が地理的周縁部に位置し、人口減少や高齢化が著しい。特に東北・盛岡以北、北海道、北陸の路線沿線は積雪・寒冷地域でもある。 これらのうち、例えば新潟県上越市の上越地域医療センター病院は、2015年3月の北陸新幹線開業を契機に富山県から麻酔科医が入職、医師確保を実現したという。長野県飯山市の飯山赤十字病院は、新幹線駅前の立地を生かし、新たに11人の医師を採用した。2020年3月時点で27人の常勤者中、8人が新幹線通勤者である。3.青森新都市病院の事例 青森新都市病院は、函館市の医療法人・雄心会が運営している。同病院へのヒアリングによって、以下のような状況を確認できた。【進出の契機】雄心会は青函地域を営業エリアとする取引銀行の要請により、青森市内の2民間病院の運営を継承、合体・移転する形で、新青森駅前に総合病院・青森新都市病院を開設した。当初は新幹線駅前への進出構想はなかったが、駅前の保留地売却が難航していた青森市からの熱心な誘致と協力を受け、駅前への進出を決めた。【診療面での効果】開院当初は脳血管内手術等の高度な専門医療が行える医師がいなかったため、新幹線の動いている時間内であれば、函館から専門医の業務支援を受けることで、急性期脳梗塞等において早期治療を行う体制を整えることができた。このうち血栓回収療法では1時間程度でカテーテル手術が終わるため、手術を挟んで4時間半ほどで両病院間を往復できる。 青森新都市病院の医師もトレーニングを積んだ結果、現在は血栓回収療法の手術は、同病院の医師だけでも行えるようになり、24時間体制で迅速に対応できるようになった。 また、日本大、岩手医大、慈恵医大などから非常勤医の派遣を受けており、新幹線駅前の立地は、医師確保面でもメリットが あるという。 加えて、同病院の副院長は八戸市から新幹線通勤しており、前の職場だった同市内の病院よりも、通勤時間が短縮しているという。 一方、医療スタッフについては、県外からUターンしてきた人が3分の1を占めているといい、新幹線駅前という立地が、地元出身の県外在住者への知名度アップに貢献している可能性があるという。【当面の課題】同病院は開設当初から、「人の流れ」を生むことによる「病院を核とした街づくり」を目指していた。新青森駅はJR奥羽線の駅を併設、市営・民間のバス路線も乗り入れている。しかし、バス停から病院まで徒歩で10分ほどかかり、高齢者には負担が大きい。病院前まで乗り入れるバスもあるものの、1日3本に限られており、公共交通網の利便性向上が課題と言える。高齢社会への対応を考えると、病院の近傍に日常の買い物機能などがあれば、より大きな役割を果たし得る。4.考察 青森新都市病院は、必ずしも戦略的な展望によって新幹線駅前に開設された訳ではないにせよ、まさに整備新幹線開業が契機となって地元の医療環境が好転し、多くの成果が得られた事例と言える。特に青森県は脳血管疾患の死亡率が全国ワースト級であり、患者負担が小さい血栓回収療法の態勢が整ったことは地域医療に大きな意義を持つ。 ただし、新幹線駅前という立地が普遍的に同様の恩恵につながるとは限らない。同病院は、①新幹線沿線に支援を受けられる系列病院が存在、②新幹線による移動と血栓回収療法の時間的な相性が良かった、③東京など新幹線沿線の複数の病院から多くの非常勤医師を確保していた、といった特徴が有利に働いた点には留意が必要である。 青森市はコンパクトシティ政策時代から新青森駅を重視し、2018年策定の立地適正化計画においても「『コンパクト・プラス・ネットワーク』の都市づくり」の都市機能誘導拠点と位置付けている。市の人口流出が加速する中、病院を一つの核としたまちづくりの行方が注目される。5.展望 今回の調査結果を起点として、青森新都市病院の開設が地域医療にもたらした変化の評価、他地域の新幹線駅一帯の病院に同様の変化が生じているか否かの検証、といった研究の展開が考えられる。一方で、同病院の開設が地域社会に及ぼした地理学的な変化についても、派生的な研究対象となり得よう。※本研究はJSPS科研費21K01020の助成を受けたものです。
著者
岩月 健吾
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.84, 2021 (Released:2021-09-27)

1.研究の背景および目的 かつて日本では,野外で採集したクモ同士を闘わせて勝敗を決める遊び(クモ相撲)が,沿岸の地域を中心に全国的に見られた(図1).クモ相撲は,第二次世界大戦後の経済成長に伴う社会・自然環境の変化を背景に多くの地域で消滅してしまった(川名・斎藤 1985).しかし,関東・近畿・四国・九州の一部地域では,クモ相撲が行事化し,組織的な運営のもとで現在も存続している. 本研究の目的は,現代におけるクモ相撲行事の存続要因を,行事の担い手(行事の運営者・参加者)に注目して明らかにすることである.民俗学における従来のクモ相撲研究では,遊びの分布やクモに関する方言,使用するクモの種類,遊びの形式に注目して,その地域差や類似性等が論じられてきた.しかし,行事化したクモ相撲を対象に,その存続の仕組みを明らかにする試みは少ない. 2.調査の対象および方法 本研究では,鹿児島県姶良市加治木町の年中行事「姶良市加治木町くも合戦大会」を事例として取り上げる(図2).地元で「加治木のくも合戦」の呼称で親しまれる本大会は,1996年に文化庁により,「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された.本研究では,「姶良市加治木町くも合戦保存会」役員や姶良市役所加治木総合支所加治木地域振興課職員,大会参加者を対象に,聞き取り調査を実施した.調査は主に,2015年,2018年,2019年の大会開催日(6月第3日曜日)に実施した. 3.結果 2011年〜2019年の大会参加者は,105人〜153人で推移している.全体に占める姶良市内からの参加者の割合は,2014年の45.7 %を除くと,53.6 %〜64.5 %で推移しており,本大会が地元住民によって支えられていることがわかる.また,県外からの参加者も,大会を活気づけ,試合を迫力あるものにする重要な存在である. 本大会の参加者の特徴として,他の参加者と家族・親族の関係にある者が多いことが挙げられる.例えば,2019年の参加者のうち,他の参加者と家族・親族の関係にある者は全体の64.5 %を占めている.何年も続けて大会に参加する者も多く,2019年の参加者のうち,2018年の大会にも参加した者の割合は66.1 %であった.このうち69.5 %は家族・親族の関係にあり,家族・親族での参加が大会参加者数の維持に大きく貢献しているといえる.こうした集団は,交際・結婚を機に新たに誕生したり,人数を拡大したりする.また,分裂してライバル関係になることもある. クモの採集場所は他人には秘密にされるが,家族・親族内では共有され,共に採集・飼育を行うことで知識・技術が継承される.子どもも幼い頃からクモに触れ,一担い手へと成長していく.しかし,中学生になると忙しくなり,継続できなくなるという課題がある. 本発表では,大会参加者の他に,運営者についても言及する. 文献川名 興・斎藤慎一郎 1985.『クモの合戦—虫の民俗誌』未来社.
著者
松山 周一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.59, 2021 (Released:2021-09-27)

本発表では、地理学において既往の研究でコンテンツ内に描かれる場所をどのように特定しようとしてきたのかということについて、それを前提として作品に場所の表象を施していると考えられる、聖地巡礼ないしコンテンツツーリズムで取り扱われる作品に当てはめながら検討することを目的とする。地理学では、映画をはじめとしたメディアコンテンツの世界を地図化する試みがなされてきたが、いずれの事例においても課題を有している状態にある。この問題点は場所の特定が作品内において確実にできない作品で検討していることが原因であるとも考えられる。そのため、作品内における場所の特定が前提となる日本のマンガ・アニメにおける聖地巡礼ないしコンテンツツーリズムで取り扱われる作品を検討することによって課題を克服できる可能性を有していると考えられる。
著者
小泉 佑介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.99, 2021 (Released:2021-09-27)

グローバル化の進展と共に環境問題の規定要因が多様化・複雑化する中で,地理学においてもその解明に向けた実証的・理論的研究が積み重ねられている。特に2000年代以降の新たな動きとして,ポリティカル・エコロジー論の研究動向をまとめた小泉・祖田(2021)によると,環境問題に関わる国家や国際機関,NGOなどの多様なアクターが複雑に絡み合う状況を,地理学のスケール概念から捉えなおすアプローチが注目を集めている。本発表は小泉・祖田(2021)の議論を踏まえた上で,環境ガバナンス論におけるスケール概念の適応可能性に言及した研究に焦点を絞り,その研究レビューを通じて今後の展開可能性を検討する。 地理学では,場所,空間,領域(性)といったタームに加えて,スケールも重要な鍵概念の1つである。とりわけ1980年代以降のスケールに関する議論では,スケールを社会的・政治的なプロセスを経て生産・構築されるものとして捉え,そこでのアクター間関係の相互作用を分析の主軸に据えてきた(Smith 1984)。これに対し,2000年代には地理学におけるスケールの議論が認識論的な方向に傾斜していることへの批判が高まり,Marston(2005)による「スケールなき人文地理学(Human Geography without Scale)」という問題提起が,地理学全体を巻き込む一大スケール論争を引き起こした。これら一連の論争は,2000年代後半には決着をみないままに収束していったが,スケールの理論化および実証研究への応用を目指す研究は,2010年代以降も絶えず継続しており,本発表が対象とする環境ガバナンス論にも大きな影響を与えることとなった。 批判地理学や政治地理学を中心とするスケールの議論は,一方でグローバル化が進展し,他方でローカル・アクターの役割が強化されるといった多層的なスケール関係の再編プロセスにおける政治力学に注目してきた(Brenner 2004)。これに対し,環境ガバナンスを議論する際には,地表面上に存在する山,川,海,植生,あるいは人間活動をいかに統合的な観点から管理するのかが問題となるため,スケールの社会的・政治的側面だけでなく,生物物理学的(biophysical)な要素を考察の対象に含める必要がある(McCarthy 2005)。 こうした問題意識の下で,近年の地理学ではいくつかの興味深い研究が蓄積されている。例えば,Holifield(2020)によると,水資源管理において,一般的には流域(watershed)といった広域的なスケールが好ましいとされる一方,現場のローカルな組織にとっては川沿い(bank to bank)といった目の届く範囲でのスケールが現実的であるため,環境ガバナンスのスケール設定には社会的・政治的意図が先行する場合が多いことが指摘されている。このように,自然科学的観点からの「理想的な」スケールと社会学的なプロセスを経て「生産された」スケールとの間には,常にミスマッチが生じるため,今後はこうした問題の解決に向けて,地理学と生態学等との統合的研究が求められるといえよう。