著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.113-125, 1988-03-20

本稿は、中村俊也譯『公羊家の哲學』〔白帝社刋、原書は陳柱著『公羊家哲學』〕の正誤表である。紙面の都合で、訂正の對象は、引用文に、しかも、そのうちの、公羊の經・傳・注、春秋繁露、及び左氏の傳・注からのものに、限った。なお、引用文を、譯者は、訓讀しているので、訂正も、やむをえず訓讀で示した。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-139, 1983-03-15

『史記』太史公自序の一節は、津田左右吉によって、「前漢末に擬作補入せられたものではないか」と疑われている。ところで今『春秋繁露』兪序篇の一節をみると、問題の太史公自序の一節と、内容が極めてよく似ていて、両者の同時代性というものが考えられる。とすれば、兪序篇の一節の晩出性の立証と、太史公自序の一節の晩出性の立証とは、お互いに他を補完し合うという関係にあると言える。そこで、本稿では、まず「素王説」「五始説」というものに関連して、兪序篇の一節の方の晩出性を立証し、つづいて「"空言" と "行事"」というものに関連して、兪序篇の一節と太史公自序の一節との両者の晩出性を同時に立証する。そして、これらの立証と、さきの津田説とを考え合わせ、更に両者間の相互補完性というものを考慮すれば、『春秋繁露』兪序篇の一節は董仲舒のものではなく、また『史記』太史公自序の一節は司馬遷のものではなく、実は、両者はともに前漢末のものであるということが確定的となるのである。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.105-170, 1992-03-20

本稿は、何休『春秋公羊經傳解詁』の日本語譯である。譯出作業はかなり進んでいるが、紙面の都合で、今囘はとりあえず、(三) として、莊公十一年から僖公四年までを掲載する。以後、數年にわたって連載する豫定である。なお、本稿は、一九九一年度跡見學園特別研究助成費、及び三島海雲記念財團學術奬励金による研究成果の一部である。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.61-113, 1990-03-20

本稿は、何休『春秋公羊經傳解詁』の日本語譯である。譯出作業はかなり進んでいるが、紙面の都合で、今囘はとりあえず、隠公の部分〔全體の約十二分の一〕を掲載する。以後、數年にわたって連載する豫定である。なお、本稿は、一九八九年度跡見學園特別研究助成費による研究成果の一部である。