著者
島崎 武雄 市川 幸男
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究論文集 (ISSN:13495712)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.85-96, 2007-06-15 (Released:2010-06-04)
参考文献数
13

The Japanese Meizi Government employed a party of Dutch civil engineers. I. A. Lindo, one of them, made the levelling tour for the period during from 21st of July to 31st of November in 1872 from Horie to Tyôsi along the Tone River and the Edo River for the river improvement works. According to the results of this levelling Undo installed the Horie Bench-mark Stone of Y. P.(Yedogawa Peil) in the Seiryû Shrine in Horie in the end of 1872 for the river improvement works of the Tone and Edogawa River, which was the first bench-mark in the modem Japan. We describe the details of the levelling made by Lindo, based on the Lindo's Diary.
著者
山下 正貫 島崎 武雄 野倉 淳
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.83-91, 1983-06-24 (Released:2010-06-15)
参考文献数
8

高知県夜須町にある手結港は、江戸時代初頭、承応1年 (1652) から明暦1年 (1655) に土佐藩の家老、野中兼山によって建設された掘込港湾である。経世家、野中兼山は、土佐藩の経済的基盤を整備し、殖産興業を進めるべく、土佐地域の総合的な開発事業に取り組み、物部川の山田堰、仁淀川の八田堰、鎌田堰等を設置して水路を開削し、新田開発を行なったり、その拠点として後免、土佐山田、野市、新川等の新都市を建設した。また、運河開削と一体となった津呂港、室津港等の築港事業も手掛け、陸路と連関した海上交通路の整備を進めてきた。手結港は、その一環として整備されたもので、その技術的意義、大規模性が高く評価され、しかも、特筆すべきこととして保存が良好であることが指摘される。江戸時代初頭の土木構造物が、ほぼ創建当初の状態で保存されていることは、全国でも稀有のことである。小論では、江戸時代の建設の経緯、明治・大正・昭和期における港勢の変化と改修の経緯に関する調査結果を報告するとともに、現状の問題点、地域住民の意識と要望、今後の保存・利用・整備の方向について論及するものである。