著者
布川 由利
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.49-70, 2019-11-30 (Released:2021-07-10)
参考文献数
22

本稿の目的は,選抜・配分システムにおける「冷却」研究の新たな方針を提示することにある。特に本稿では,「冷却」の社会学的研究の端緒となったErving Goffmanの議論に立ち返ることで,人々が選抜・配分されるということがその当人たちによっていかに経験されるのかを,彼ら自身の理解を通して明らかにする研究の方向性を示す。 Goffmanは,社会生活において人々が経験するある種の「失敗」を,個人が他者とのかかわりのなかで特定の役割や地位を持っていることを提示するのに失敗している状態として捉え,そしてその「失敗」を受け入れる過程を「冷却」としている。Goffman の観点に立てば,ある個人が獲得することを望んでいた/当然視していた役割や地位が,いかなる事実によってもはやその人のものではないことがわかるのか,そしてそれをどのように受け入れるかは,相互行為に参与する当人たちにとっての問題なのであり,よって「冷却」は本質的にその過程に参与する人々の理解からは切り離しえないものなのである。 しかし「冷却」を主題とする教育社会学研究は,「冷却」を選抜・配分システムの秩序維持を説明するための道具として使用してしまうことで,多様な現象を取り逃している。本稿ではGoffmanによる議論の意義をあらためて確認し,また高校で行われた履修相談の会話データの分析を通して,選抜・配分の過程を経験する人々の理解のありように基づく「冷却」研究が可能であることを示す。