著者
庄子 晃子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.51-58, 1997-09-30
被引用文献数
4

1933年11月11日から商工省工芸指導所で顧問を務めたブルーノ・タウト(Bruno Taut、1880-1938)は、翌年3月6日の離任に際し、3月5日付で"Bericht uber meine bisherige Arbeit fur Kogeishidosho-Sendai(仙台の工芸指導所のための私のこれまでの仕事に関する報告)"を提出した。この中でタウトは、工芸指導所で果たした仕事を、1.大規模なプログラムの提案、2.個別的なプログラムの提案、3.優良品の選択、4.教育的な仕事、5.実際的な仕事、に五分類している。1.は1933年11月14日付の工芸指導所への提案"PROGRAMM(プログラム)"を指し、2.は研究試作についての個別的具体的諸提案を示す。3.は見本のための国内外の優良工芸品の選択を、4.は所員への教育を意味する。5.はタウトのデザインになるドアハンドルとタウトの指導による木製仕事椅子、金属製卓上照明具などの"Mustermodell(規範原型)"の試作研究実践の報告である。この文書は、工芸指導所でのタウトの仕事の全貌を彼自身が記録したものとして、さらには昭和初期の工芸指導所のデザイン研究の実情を示すものとして重要である。
著者
庄子 晃子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.43, no.5, pp.31-36, 1997-01-31
参考文献数
22
被引用文献数
5

ドイツの建築家ブルーノ・タウト(Bruno Tauto, 1880-1938)は, 1933年11月より翌1934年3月まで, 乞われて我が国の工芸産業の指導機関である商工省工芸指導所の顧問(嘱託)を務めた。タウトは最初の出会いである1933年9月の工芸指導所研究試作品展覧会の視察に基づく提案書の提出を皮切りに, 赴任直後から離任直前まで, 工芸指導所に対して熱心に提案や助言を重ねた。タウトが工芸指導所に提出した文書10編が岩波書店に残る。それらは, Vorsch1age(提案)6編, Berichte(報告)3編, Antwort(返答)1編に整理できる。それらの中でタウトは, 輸出振興を課題として欧米物のスケッチ的模倣的図案に終始している工芸指導所に対し, 伝統と現代の統合, すなわち日本の古来からの伝統(感覚, 形式, 材料, 技術)と西欧の近代精神・技術・生活との結合から, 日本独自の現代産業工芸の典型としての質の高い規範原型を創出して, 国内の工房や工場を指導していくことが工芸指導所の責務であり, 真に日本的なものは世界に通じるとする立場を貫いた。
著者
庄子 晃子
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.55-64, 1998-05-31 (Released:2017-07-21)
参考文献数
12
被引用文献数
1

ブルーノ・タウト(Bruno Taut, 1880-1938) は, 仙台の商工省工芸指導所で, 1933年11月11日から1934年3月6日まで顧問(嘱託)として指導に当たった。この間の1933年12月15日から2か月弱, タウトは, 東京や京阪地区の伝統ある工房で工芸指導所に適切な工芸品を選択するための旅に出た。その旅先の京都から, 所員斎藤信治に宛てた2通の手紙が今日に残る。それは, 1934年1月8日付の"Brief des Herrn Prof. Taut an den Herrn Saito (タウト教授氏から斎藤氏への手紙)"と, 1934年1月12日付の "Brief an den Harrn Saito (斎藤氏への手紙)" である。翻訳を試みたところ, 前者は斎藤からの手紙に対する返書であり, 工芸指導所の金工部と木工部での規範原型の研究についての助言と工房探訪の若干の報告であることがわかった。後者は, 諸工房の訪問についての詳しい報告であり, タウトが選んだ優良工芸品の数々が記されている。彼が, 伝統ある工房で優良工芸品を選択し収集したのは, 現代の新しい規範原型を創出する基礎は伝統にあることを示すためであったといえる。
著者
庄子 晃子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.50, pp.29, 2003

昭和3年に仙台市に設立された商工省工芸指導所は、海外にも受け入れられる漆器の創出が指向し、所員小岩峻(古明)が外国人の嗜好に合う鮮明色の漆塗装方法の研究開発に携わり、昭和7年に『工芸ニュース』誌(1巻1号)上で発表、昭和8年に特許を申請、同10年に「漆器新塗飾法」として特許110460を得るに至っている。これがいわゆる玉虫塗である。 工芸指導所は、東北帝国大学金属材料研究所と協力して、研究成果の商品化とそれらの流通を図るために昭和8年に「東北工芸製作所」の設立を支援し、昭和14年に同所に「漆器新塗飾法」の特許を使用することを認めた。同年12月に第一回玉虫塗新作発表会が仙台の三越デパートで開催され、以後、玉虫塗漆器は同所の主力商品となった。本稿では、玉虫塗漆器の研究開発と商品化および流通面での跡づけを行なう。
著者
庄子 晃子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.59-68, 1997-09-30
被引用文献数
2

ブルーノ・タウト(Bruno Taut、1880-1938)は、仙台の商工省工芸指導所顧問の職を辞して去る最後の日の1934年3月6日の日記に、「指導所の展覧会について更に一つの案を立てる、新しい方向の特徴をはっきりさせるためである」と記している。幸いにその文書"Vorschlag fur Ausstellungen von Kogeishidosho(工芸指導所の展覧会のための提案)"が今日に残る。その中で、タウトは、展覧会場内を三重の同心円状にレイアウトし、中心部に工芸指導所顧問として自ら収集した日本の伝統的優良工芸品を、その周りにタウト指導の照明具と家具の規範原型のための形態研究やデザインスケッチ等と製作が完了しているテストチェア、さらにはタウト設計でやはり製作が終わっているドア・ハンドルを、そして、部屋の周辺の壁沿いには工芸指導所の従来からの試作品を展示することを提案している。それは、工芸指導所が、タウトの指導を受けて、日本の伝統と西洋の近代の統合を基礎として、新しい日本の産業工芸を成立させるための作業を開始したことを示す展覧会の提案であった。
著者
庄子 晃子
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.55-64, 1998-05-31
被引用文献数
1

ブルーノ・タウト(Bruno Taut, 1880-1938) は, 仙台の商工省工芸指導所で, 1933年11月11日から1934年3月6日まで顧問(嘱託)として指導に当たった。この間の1933年12月15日から2か月弱, タウトは, 東京や京阪地区の伝統ある工房で工芸指導所に適切な工芸品を選択するための旅に出た。その旅先の京都から, 所員斎藤信治に宛てた2通の手紙が今日に残る。それは, 1934年1月8日付の"Brief des Herrn Prof. Taut an den Herrn Saito (タウト教授氏から斎藤氏への手紙)"と, 1934年1月12日付の "Brief an den Harrn Saito (斎藤氏への手紙)" である。翻訳を試みたところ, 前者は斎藤からの手紙に対する返書であり, 工芸指導所の金工部と木工部での規範原型の研究についての助言と工房探訪の若干の報告であることがわかった。後者は, 諸工房の訪問についての詳しい報告であり, タウトが選んだ優良工芸品の数々が記されている。彼が, 伝統ある工房で優良工芸品を選択し収集したのは, 現代の新しい規範原型を創出する基礎は伝統にあることを示すためであったといえる。