著者
廣野 由里子 竹内 実
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 自然科学系列 (ISSN:09165916)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.63-93, 2010-03

タバコ喫煙は肺疾患や肺癌などの発症と深く関わっていることが知られている.タバコ煙の中には約6000種類以上の化学物質が含まれる.肺には,肺の免疫系において重要な役割を果たしている肺胞マクロファージ(Alveolar Macrophages:AM) が常在し,吸入されたタバコ煙がAMの機能に影響を与える可能性が考えられる.我々は以前より,喫煙によるAMの抗原提示能,食作用,サイトカイン産生などの免疫機能の抑制を報告してきたが,この抑制機構についてはいまだ解明されていない.この抑制の機序の一つとして,喫煙によるAMのDNA損傷とそれに引き続く細胞反応が関わっている可能性が考えられる.そこで今回,タバコ主流煙曝露によるAMのDNA損傷への影響,それに引き続くアポトーシスの誘導,細胞増殖およびDNA修復の可能性について検討した. タバコ喫煙は,C57BL/6マウスに1日20 本,10日間,タバコ主流煙を曝露し,AMは気管支肺胞洗浄により回収した.喫煙によりAM数の増加,AMの大型化と細胞内部構造の複雑化,AMの細胞質内への封入体の出現が認められ,喫煙によるAMの形態学的な変化が認められた.AMは食作用により異物を取り込み,活性酸素を産生し取り込んだ異物を殺菌,除去する.喫煙によりAMがタバコ煙粒子を取り込み,活性酸素種を産生することが考えられたため,喫煙によるAMの活性酸素種産生への影響を検討した.AMの活性酸素種(H₂O₂, O₂-)産生は,喫煙により増加した.活性酸素種はDNA損傷を誘導することから,喫煙によるAMのDNA損傷への影響を検討したところ,喫煙により,AMのDNA損傷が誘導されることが確認された.DNA損傷に続く細胞反応のひとつに,アポトーシスが知られていることから,喫煙により誘導されたDNA損傷が,アポトーシスを引き起こすか否かについて検討した.Fasレセプター(CD95) の発現は,喫煙により減少した.アポトーシスの初期の特徴であるミトコンドリア膜電位の低下が喫煙により認められた.一方,アポトーシスの実行役であるCaspase-3 mRNA発現およびCaspase-3/7活性は減少し,喫煙によってAMのアポトーシスが抑制されることが明らかになった.次にアポトーシス抑制因子であるXIAP, survivinのmRNA発現を検討したが,非喫煙群と喫煙群で差はなかった.また,細胞の生存に重要な役割を果たすAktのmRNA発現およびリン酸化は,喫煙により有意に減少した.喫煙によるアポトーシス抑制は,DNA損傷の修復もしくは細胞増殖が原因であることが考えられたため,AMのDNA合成について検討した.喫煙により3H-Thymidineの取り込みが増加し,喫煙がAMのDNA合成を促進することが確認された.このDNA合成が細胞増殖のためであるかどうかを検討したが,生存細胞数は非喫煙群と喫煙群で差はなかった.また,細胞周期に関しても,非喫煙群と喫煙群で差はなかった.さらに,喫煙群から回収したAMを24時間培養することにより,DNA損傷が修復されたことから,喫煙によるAMの3H-Thymidineの取り込みの増加は,細胞増殖ではなくDNA損傷の修復によることが示唆された. 以上の結果より,喫煙によるDNA損傷と修復の繰り返しや修復の間違いが,AMの免疫機能抑制に関わり,機能低下したAMがアポトーシスを起こさずDNA修復を通して肺内に留まり続けることが,喫煙による肺疾患や肺癌の発症と密接に関わっている可能性が示唆された.