著者
後藤 嘉也
出版者
北海道教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

平成17年度に、ハイデガー哲学の内在的・歴史的研究をとおして、非対称的共同性という問題を浮かび上がらせ、ハイデガーに学びハイデガーを批判したドイツ系哲学者と対話して非対称的な共同性の構造を解明し、平成18年度に、ハイデガーに学びハイデガーを批判したフランス系哲学者と対話して非対称的な共同性の構造を解明した。平成19年度にはこれらの研究を総括し、そこからハイデガー哲学を逆照射するとともに、非対称的共同性の構造の解明に関して暫定的ながら結論を出した。それはおよそ次のとおりである。非対称的共同性は死すべきものたちの単独性と複数性から解明できる。できるかぎり自らを不死にしようとする努力はおそらく幻想を核にしており、死すべきものは、不死の神々にならうのではなく死すべきもののことを考えなくてはならない。そうすることによって、私たちは、19世紀半ば以来の誰でもない人の支配する公共性・公開性から自らの運命に、そしてまた同じく死すべきものである他者の運命に引き戻される。自他の死はそれぞれの単独性を浮き彫りにし、私をこえた他者の命令の前に私を立たせる。これに応えて私は種々の仕方で生と死を他者と自分に返し与える。そのとき、愛や友情においてであれ、民主的な討議においてであれ、他者(たち)と私はけっして一つにはならない。それぞれの単独性を受け入れることは自他の複数性を承認することである。ところが、自己愛ゆえだけでなく、そのためにも、複数のものたちに無条件に従うことは不可能であり、単独性をおびた他者たちを比較考量せざるをえない。単独のものを計算しその他者性を否定しながらも、死すべきものたちの統一なき統一という可能性を、調和を拒まれ逸脱にみちた一種の公的空間を、いまここで遠くに望めるかもしれない。