著者
戚 傑
出版者
宇都宮大学
雑誌
宇都宮大学国際学部研究論集 (ISSN:13420364)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.153-164, 2003-10-01

本研究では、ミシェル・フーコの権力観、特に「管理論(governmentality)」に照らし合せて、日本における児童像がいかに教師の多様な教授法によって作り上げられたかについて言説的に検討を行った。まずは、教育における自由と抑圧の観点から、日本の学校教育システムについて分析を試みた。その結果、日本の学校教育システムにおいて、「学習指導要領」に象徴されるように、政府または政治による、教育における教師の自由に対する制限、学校・教師による学生の自主性等に対する規制や管理の存在が表層的に見て否定できないものの、学校の秩序を根本から保障している要因として、学校・教師による多様な、ユニークでしかも「ソフト」な管理の「テクノロジ(technology)」を広く取り入れられている実態がより重要であることが明らかになった。次に、ソフトな管理のテクノロジの特徴について考察し、「建設的話法」、「日誌作成」、「集団行動」等に見られるように教師の教授法・学生管理法には誘導的なアプローチが特に多用されていることを指摘した。最後に、教師の多様な教授法による効用について分析し、それが学生を直接管理することにとどまらず、むしろ学生を「自己管理」することに仕向ける一種の「テクノロジ(technology)」としてより効果を発揮されていることが注目すべきであると結論付けた。