著者
小林 隆久
出版者
宇都宮大学
雑誌
宇都宮大学国際学部研究論集 (ISSN:13420364)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.115-123, 1998-06-30
被引用文献数
4

E.R.クルチウスによれば、「さかさまの世界」(mundus inversus)というトポスは、ヨーロッパにおいては古代より存在するという。(1)それは文学作品にかぎらず、もっと広く俗謡や絵画などの民衆芸術のなかにも、繰り返し現れている。古代から中世を経て近代に至るまで、幅広く出現したこの「あべこべの世界」 (the world upside-down,topsyturvy world)のイメージは、地理的に見ても、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、ロシア、スカンジナヴイア半島など広範な社会に及んでいる。(2)興味あることには、江戸時代末期の戯作者、鶴屋南北の作品「東海道四谷怪談」や「盟三五大切」にもこの「あべこべの世界」が極めてグロテスクに描かれている。またこれは16世紀のドイツに登場したハンス・ザックスの謝肉祭劇にも見られるが、本論文では、主としてイギリスのエリザベス朝からジェイムス一世の時代にかけて活躍したシェイクスピアとベン・ジョンソンの戯曲を中心にこの問題を考えてみたい。
著者
松村 史紀 Fuminori MATSUMURA
出版者
宇都宮大学国際学部
雑誌
宇都宮大学国際学部研究論集 = Journal of the School of International Studies, Utsunomiya University (ISSN:13420364)
巻号頁・発行日
no.55, pp.75-96, 2023-02-01

The Soviet Union successfully launched its first artificial satellite on October 4th, 1957. This Sputnik incident has been remembered mainly as a shock for the United States because it immediately prompted Washington to emulate Moscow in space developments. In fact, however, the shock was not only for the U.S. but also for many other powers including China.The sputnik shock for China was initially reflected not by its space policy but by its earnest news reports. Both Chinese communists (Beijing) and nationalists (Taipei) were enthusiastic about press reports on the U.S.-Soviet rivalry in launching satellites as an effort to conduct propaganda strategies. Previous studies, however, focus more on Beijing's space developments that virtually started in the 1970s but less on China's propaganda or press reports in the late 1950s.This article aims to examine the Sputnik impact on China's newspapers by comparing press reports of the People's Daily owned by the Chinese Communist Party and those of the Central Daily News published by the Chinese Nationalist Party. The initial reports of the three major events consisted of the Sputnik-1 launching on October 4th, 1957, the Sputnik-2 launching on November 3rd and the first U.S. satellite (i.e., "Explorer-1") launching on January 31st, 1958. From these reports, two conclusions can be drawn.First, both parties exaggerated achievements attained by their Cold-War allies. Beijing tried to illustrate that the Sputnik launching proved high growth of a former developing state, the Soviet Union, in the scientific technological field as well as that the incident destabilized the consolidation of the Western bloc. By contrast, Taipei could not show that the U.S. restored its prestige as a leader of the free world until the latter successfully launched its first artificial satellite.Second, Chinese communists and nationalists similarly downplayed great feats achieved by their Cold-War adversaries. Whilst Beijing flouted the U.S. "Explorer-1" that was even smaller than the size of the Sputnik-1, Taipei claimed that Moscow managed to launch its satellites at the great sacrifice of citizens' ordinary life. Moreover, the latter even expected serious anti-communist movements to take place soon behind the iron curtain.
著者
米山 正文
出版者
宇都宮大学
雑誌
宇都宮大学国際学部研究論集 (ISSN:13420364)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.111-121, 2007-03

本論文は、ハーマン・メルヴィルの中篇小説『船乗りビリー・バッド』(1924)の語りの技巧を分析したものである。これまで批評家たちは登場人物の1人、ヴィア艦長に関する作者の立場について「受容派」と「皮肉派」に分裂し、解釈をめぐって論争を繰り広げてきた。本論文は「皮肉派」の立場をとり、ヴィアに対する作者の隠れた皮肉を、複雑な語りのテクニックの中に読み取ろうとするものである。第1章では、語り手がヴィアの高貴な人物像を構築していく過程を概観したうえで、微妙な揶揄によって、それを脱構築していく過程を詳細に分析した。ヴィアへの揶揄を読み取るうえで、他の登場人物クラガートとビリーとの比較検討を行った。第2章では、小説の最後の3章が、それまでの完結したストーリーを根底から覆すように意図されていることを論じた。この3章で、語り手はヴィアの自己欺瞞や歴史の歪曲化を暴露し、船員の詩的想像における真実を列挙することで、ビリー処刑の正当性を覆していると論じた。第3章では、軍艦の環境をめぐる語り手の分析的批判を詳細に吟味した。他の登場人物、老ダンスカーや従軍牧師への語り手の風刺を論じ、語り手が宗教的な立場から軍艦やそれが象徴する世界を批判していることを、他のメルヴィル作品との比較も行いながら論じた。
著者
阪本 公美子
出版者
宇都宮大学
雑誌
宇都宮大学国際学部研究論集 (ISSN:13420364)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.33-54, 2007-03

本論文は、アフリカにおいて貨幣経済の影響を受け、相互扶助の形態やジェンダーがどのように変容したかをタンザニア南東部農村の事例において考察したものである。リンディ州の2つの農村で行なった男女に対するインタビューから以下の6点が明らかとなった。第1に、人びとは食べ物の生産など自給自足的な側面も保持している。しかし、過去と比較して、生活において病気に対処するためなど貨幣の必要性が増した状況となりつつある。第2に、貨幣経済の影響を受けその形態は変容しつつも、相互扶助関係は現存している。過去には食糧を中心とした相互扶助関係であったが、現在は食糧不足に陥った場合、現金のある者が臨時に雇用するなど、現金と食糧による相互扶助関係へと変化している。第3に、そのような相互扶助の関係は男女によって異なり、一面においては女性が家族・近隣関係に限定され、男性が家族・近隣関係とともにグループ、友人関係にもネットワークを広げている。しかし、女性独自に展開している相互扶助関係もある。第4に、土地や家畜の所有方法は、女性が個人で所有しているのに対し、男性は妻と所有していることが多い。この背景には、農村に住んでいる殆どの男性が妻と住んでいるが、女性は必ずしも夫と住んでいるとは限らない事があげられる。その理由はさまざまであるが、このことが女性の独立に繋がるのか、脆弱性に繋がるのかは、注意が必要な点であろう。第5に、農業における男女分業は、イスラム教の伝授、殖民地などを経て現在に至っており、男性が換金作物、女性が野菜の栽培を担当していることは従来の先行研究に沿う結果であった。しかし、男性が主にモロコシ・雑穀・キャッサバなどの穀物を、男女がともに米を栽培している点は、従来の研究と必ずしも一致しない。最後に、貨幣経済の浸透に伴い男性が換金作物や商売、女性が家事を担当している傾向があり、男性を生産活動、女性を再生産活動に隔離している現状もみられた。他方、男女ともに食糧生産には従事しており、この点は、生産活動と再生産活動が一体化した経済のもと、男女の健全な関係を表している。以上のことから、本事例では貨幣経済の影響を受け変容しつつも、相互扶助の機能及び自給自足的な側面も保持しており、もうひとつの内発的発展のあり方も示している。他方、男女分業については、貨幣経済の影響を受け、男性が生産活動に、女性が再生産活動に隔離されつつある状況がみられ、このことは、世界的にも見られる現象でもある。生産活動と再生産活動が一体化した自給自足的な活動における男女分業と異なり、貨幣経済の浸透による男女分業は生産活動と再生産活動が分離させられ、資本主義経済による人間性の剥奪とも深く関連している。今後、更なる貨幣経済の浸透による生産活動と再生産活動の分離をすすめるか、貨幣経済の影響を受けつつも人間疎外を克服し、アフリカ独自の内発的発展のあり方を示すか、過渡期にあると言えよう。