著者
早川 勢也 山口 英斉 梶野 敏貴
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.547-552, 2022-08-05 (Released:2022-08-05)
参考文献数
25

現在の宇宙に多様に存在する元素,そのうちの最も軽い数種類の元素が初めて合成されたのが,ビッグバン宇宙開始後3分から20分ほどまで続いたビッグバン元素合成(Big Bang Nucleosynthesis, BBN)である.BBNによる軽元素同位体,特に重水素と4Heの推定生成量は,観測と非常に良く一致することから,宇宙背景放射ゆらぎの観測と並んで標準宇宙論を支持する大きな証拠の一つとされる.一方で,7Liの生成量はそれらより10桁近く少ないものの,理論・観測の不定性をそれぞれ慎重に考慮しても,理論による推定値が観測値の3倍程度になってしまうという「宇宙リチウム問題」が存在し,宇宙核物理学分野で長年の未解決問題となっている.この原因を巡っては,低金属星の観測からBBN直後の7Li量を推定する解析方法に残る問題点,標準BBN理論を超える未知の物理を組み込む必要性,宇宙磁場ゆらぎのような宇宙論的効果,あるいはBBN計算に必要な原子核反応率データの不定性や問題点など,いくつかの可能性がさまざまな分野の研究者によって検証されてきたが,未だに解決には至っていない.BBN中では7Liは陽子との反応によって壊れやすいため,7Li生成量の大半は,実際にはBBN後に残る7Beの崩壊に由来する.つまり,7Beの増減を左右する原子核反応が7Li生成量の鍵を握る.7Beの生成に関する核反応率は比較的よくわかっている一方,7Be量を減らす反応が近年注目され,複数のグループによる実験が報告されている.特に,BBN中に多数存在する中性子が誘起する7Beの破壊反応が重要な反応と考えられている.しかし,中性子は半減期約10分で陽子にベータ崩壊し,7Beは半減期約53日で7Liに電子捕獲崩壊する不安定核である.不安定な核同士の反応を直接測定するのは技術的に難しく,BBNに新たに定量的な制限をかけるまでには至っていなかった.我々は,この困難を克服するために「トロイの木馬法」という間接手法を用いることで,最も重要な7Be(n, p)7Liおよび7Be(n, α)4He反応を新たに測定した.これは,不安定な中性子の代わりに重陽子を標的として用い,そこへ7Be不安定核ビームを入射し,7Beと重陽子中の中性子の準自由反応の情報を抜き出す,という手法である.この実験によってBBNエネルギー領域でのデータを必要十分な精度で拡充することができ,特に,これまで未測定であった7Li第一励起状態への遷移の寄与7Be(n, p1)7Li*を初めて明らかにした.本研究と過去の実験データとを併せて,最も整合性が高いと考えられる反応断面積の励起関数をR行列解析によって導き出した.これにより,BBNエネルギー領域を含む広いエネルギー範囲(10-8–1 MeV)にわたり複合核である8Be共鳴構造に伴う不定性も含めて合理的に評価し,BBN計算に必要な精度の熱核反応率を導き出した.この反応率をBBN計算へ適用した結果,7Be(n, p1)7Li*反応チャンネルの寄与によって,7Liの推定生成量を1割ほど下方修正する可能性を示した.本研究では,この未測定であった反応チャンネルが7Be+n反応の重要性をより強調する結果となったとともに,この反応のみによる問題解決の可能性は,より定量的な意味で排除された.原子核物理の不確実性が一つ解消した今,宇宙論的効果などさまざまな理論的仮説による宇宙リチウム問題の解決法が,より高精度で検証できるようになるものと期待する.