著者
昆 隆
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.6, pp.23-32, 1985-06-10 (Released:2017-08-01)

「山月記」本文の叙述そのものから、「作品」としての、(辞書的)意義ならぬ(文脈的)意味を、読解しようとする試みである。基本線は、変身後の李徴が亡霊であること、その悲痛な独白自体が彼にとって未到の詩的達成を遂げていたこと、そして、鎮魂のあったこと、に在る。意識家李徴は変身による不幸の完成によって、無意識の裡に、感情の表現を得た-という逆説が、読み取られる。
著者
昆 隆
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.10, pp.1-11, 1988

「こゝろ」の「下 先生と遺書」の、特に叙述の様態について、考察した。Kの自決、殊にも「私」がお嬢さんと結婚して以降(「下・五十一」)の叙述が、ひたすら独白(モノローグ)化して行くのに対して、それ以前、「下・五十」までの叙述は、趣を異にしている。そこには「他者」の「声」がある。だが、若いころの「私」は、それをよく聴き取れたわけではなかった。ではなぜ、現在の「私」は、その叙述の裡に、能く「他者」の「声」を響かせることを得たのか。そこに、追想の問題が生じる。わたしはそれを、<追想-叙述>の機構の不可思議と、名づけてみた。生来の主我主義者(エゴイスト)とも評されるべき「私」が、自身に課せられた制約を乗り超えること、それが、「他者」の「声」に出会うことなのだが、それはいかにして可能だったか。何故というより-である。それを、本文の叙述の様態を考えることを通じて、明らかにしようと、試みた。