著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.A1-A25, 2007-09

フランスではギゾーによって一八三四年に初めて大学に憲法講座が設置され、そこで初めて憲法の講義を行ったのはイタリア出身のペッレクリーノ・ロッシである。本稿は、その最初の講義の講義録を紹介するとともに、それを七月王政下の諸情勢の中に位置づけることによって評価したものである。ロッシの『憲法講義』は「開講の辞」と一〇五講義から成り、前半で人権が、後半で統治機構が論じられている。そこでは一八三〇年憲章の存在を前提として歴史的観点と比較法的観点から分析がなされている。同憲章の存在を前提としているという意味で『憲法講義』は法実証主義に立脚しているが、このことが『憲法講義』の後世への影響力を弱めた原因の一つである。すなわち、『憲法講義』は現行制度に密着するあまり個々の点で理論的展開が不十分なものとなり、体制の崩壊ととものその妥当性を失ったのである。その結果、講義内容の学問的レベルは高いとはいえず、個々の点における後世への影響も強いとはいえない。しかし、『憲法講義』の意義は、フランス革命に由来する諸原理に立脚した公法を初めて体系化することによって近代憲法学の原型を示したことにあると考えるべきである。
著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.A1-A20, 2008-01

尾高朝雄のノモス主権論においては、抽象的な理念であるノモスに主権が帰属させられる。また、純理派は、革命期において、主権の帰属主体が「個別的で具体的」であったことが議会による無制限な支配や多数派による圧制をもたらしたとして、抽象的な存在である理性に主権を帰属させることを主張した。いずれにおいても、主権の帰属主体が抽象化されることによって主権の帰属主体自らによる主権の行使は不可能となり、その結果として主権の帰属と現実における主権の行使とが分離され、主権の行使は内在的に制限される。ところで、カレ・ド・マルベールの国民主権論における国民も抽象的な存在であることから、ノモス主権=理性主権=国民主権となる。さらに、宮沢俊義の国民主権論も、「誰でも」によって構成される国民が抽象的な存在であることから、この等式における国民主権に含まれる。その結果、意外にも、主権の帰属主体に関する限り、宮沢・尾高論争における理論的な対立的要素はなくなるのである。
著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷大学社会学部紀要 (ISSN:0919116X)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.33-46, 2013-11-15
著者
時本 義昭
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷大学社会学部紀要 (ISSN:0919116X)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.26-38, 2013-03-15