著者
曹 建平
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-18, 2015

本稿では近代満州における煙草市場の実態分析の一環として日系新聞の『満日』(マイクロフィルム)に注目し,そこに掲載された広告の内容を分析することにより煙草企業の市場販売戦略を明らかにすることを目的とする。分析にあたり,多国籍企業の英米煙草会社と日本資本の東亜煙草会社・満州煙草株式会社との広告を抽出し,広告における文字情報と図像情報から成る広告要素と広告手法に着目する。なお,史料とした『満日』は南満州鉄道株式会社が発行した『満州日日新聞』と『満州日報』との通称で,1907年に創刊され,1944年までに発行しつづけたものである。結論としては,まず,満州国期に数多くの煙草広告が掲載されたことが挙げられる。悉皆的な集計と分析をしないと正確な判断はできないが,全体的な印象としては,英米煙草会社の広告はほかのメーカーに比較すると,はるかに多いようである。これは巨大な資本力に負うことと考えられる。そして,英米煙草会社は広告にさまざまな手法を用いたりして単一銘柄を集中に広告するほか,図柄を変化させて広告効果の向上を図った。また,宣伝文のないシンプルな広告が多用され,視覚効果に訴えていた。次に,日本資本の煙草企業が新聞広告を活用していた実態が明らかになった。東亜煙草会社は早い時期から新聞に広告を出したが,掲載頻度がそれほど高くなかった。そして,日中戦争勃発前に掲載した広告はまだ普通の商品広告で,製品品質の良さや包装の美しさなどの点をアピールする余裕があったようであるが,日中戦争勃発後,戦争の相乗結果もあって消費者の愛国心を利用して国貨購入を呼びかける広告手法はその広告の基本路線となった。一方,国策会社として設立された満州煙草株式会社の広告は戦争の勃発・拡大を背景として誕生したもので,戦時宣伝や戦争支援の意味合いが見え,イデオロギーの宣伝陣地となっていた。