著者
高雄 芙美
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.125-141, 2014-12-20

西日本各地で標準語化とともに関西方言化が進んでいるが広島では他地域ほど関西方言化が見られないことが指摘されている。この他地域とは異なる広島方言の特性を捉えるためには広島方言の実態を明らかにする必要がある。本稿では広島方言の「のだ」形式について,標準語,関西方言と比較し記述することで,広島方言の文法的特徴の一面を明らかにする。加藤2003,2006によると「のだ」は,命題内容について判断済みの情報である,ということを表す。また終助詞「よ」は命題内容について,発話者が排他的な知識管理をおこなう準備あること示す。どちらも話者の知識管理に関わる談話マーカーである。広島方言,関西方言では名詞化辞「の」は「ん」となり,「のだ」は広島方言では「んじゃ」,関西方言では「んや」となる。「んじゃ」「んや」の前が否定辞「ん」「へん」など撥音のときは「のじゃ」「のや」のようになる。「んじゃ」「んや」は言い切りの場合,気づき・発見の用法で使われることが多い。自分の情報を披瀝する場合は広島方言では「んよ」,関西方言では「ねん」が使われることが多い。広島方言では「*んじゃよ」とはならず「んよ」と,名詞化辞「ん」に直接「よ」がつく。伝聞の形式「んと〔んだって〕」も名詞化辞「ん」のあとにコピュラ辞が現れない。推量形や従属節などは広島方言では「んじゃろう」「んじゃけど」のように「んじゃ」が現れるが,関西方言では「んやけど」「ねんけど」のように「んや」「ねん」の両方が現れる。また「のなら」「のだったら」のような仮定形は広島方言では「んなら」が一般的で,関西方言では「なら」は使われず「んやったら」が一般的である。広島方言では従属節の「んじゃけー〔んだから〕」,「んと〔んだって〕」で在来の方言形が保たれているが,関西方言では「んやから」「んやって」のように標準語と同じ形式が使用されている。関西方言は「ねん」のような独自の方言形式を持つ一方使用頻度の高い文法形式に標準語化が見られる。広島方言は「ねん」のような独自の形式はないが,「のだ」形に用いられるような使用頻度の高い文法形式で在来の方言形を保持している。
著者
宮澤 優樹
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.25-38, 2015

世界的な人気を博したシリーズの第一作である『ハリー・ポッターと賢者の石』は、一見して夢に満ちたファンタジー小説だ。だがその表面的な覆いを取り払ってみたとき、一般的に思われている明るい側面とは別の、「怖い」側面を読み取ることもできる。事実『賢者の石』では、「表面的な見かけの下にあるものを推理せよ」と言うかのように、隠蔽とその内実という組み合わせが多用されている。主人公のハリーが迎えられる世界は、普通の人間の目からは隠された世界だし、対峙することになる宿敵は、おどおどとした無難な人物の皮をかぶり、つねに近くにいる。これらはいずれも、なんの変哲もない見た目を隠れ蓑とし、ほんとうの姿を隠している。このようなプロット上の仕掛けが、物語全体についても当てはまっているのではないだろうか。作品の隠された姿へと、登場人物や情景が漏らす細部を順に追うことでたどり着くことができる。その先にあるのは、生死が軸となったハリーと宿敵との関係である。ハリーは、「例のあの人」と呼ばれ、すでに死んだはずの宿敵と共通する性質を持つ。ハリー自身もまた、生死の境におり、直接には名指しえない性質を抱えている。そのことは、ハリーを「生き残った男の子」と呼ぶことが欺瞞であり、同時に、宿敵をはっきりと名指すことが、不誠実な態度であることを示唆する。したがって、『賢者の石』が迎えた結話、「名指しにくい相手を名指す」、「前を向いて生きる」という決意は、表面的な見せかけなのだとも読める。前向きなメッセージが発せられる一方で、それとはちょうど逆の筋書きが描かれている。この物語は、児童文学という「隠蔽」と、それに並行する名状しがたい状態を描く、二重の小説なのである。
著者
髙橋 小百合
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.16, pp.85-100, 2016

本論文は、明治期における木戸孝允と幾松に関する言説を、二人の関係性の描写から分析し、同時代の男女交際論等、男女関係についての思潮をふまえながら、文化史中に占める二人の描写の位置および意義について考察したものである。論者には『日本近代文学会北海道支部会報』一九号掲載予定の別稿「<木戸孝允>像の生成」があり、そこでは木戸孝允が死去から明治末年までのあいだ、どのように語られていったのか、その変容と文脈パターンについて論じた。本論文では、そこで見出した六つの文脈パターンのうち、以後、大正、昭和期とより重要性を濃くするであろう<木戸と幾松> <幾松あっての木戸>について一歩踏み込んだ論を展開したつもりである。本論文の第一章「木戸表象の傾向と類別」は、木戸を語る文脈パターンについてまとめ、右の別稿の内容を引き継いだかたちである。よって、本論文の核は第二章以降にあるといえる。幾松はなぜ、木戸を語る言説のなかで存在感を増し、大衆的歓迎をうけたのか。第二章では、木戸と幾松の関係が、近代的恋愛の文脈に読み替え可能であることを論じ、同時に、幾松の芸妓という出自に着目して、近代と前近代の微妙なあわいに、ふたりの「恋愛」があることを明らかにした。第三章は、一方で二人の関係表象がもつ「復古」性について論じている。「王政復古」「一君万民」のイデオロギーとからめながら、<尊いから尊い>カミの論理で語られる木戸と、太古、国運を占う巫でありえた(元)芸妓幾松との関係が、国生み神話に準ずる「復古」の国づくりを表徴しうると指摘した。幾松あることによって、木戸のイメージは①愛妓とついには恋愛結婚を遂げた②<勤王の志士・桂小五郎>として定型化していく。それは同時に<近代>化と<復古>の二律背反、あるいは混淆を示す営為でもある。これこそ、日本の<近代化>の姿そのままであり、本論文のもっとも強調しておきたいところである。
著者
池田 証壽
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
vol.150, pp.201-236, 2016-12-15

初唐の宮廷写経25点の漢字字体を検討し,開成石経の顕著な規範性に 比して,相当の揺れがあることを報告し,開成石経の漢字字体と他の時代・ 地域の標準文献の漢字字体とを同列に扱うべきでないことを述べる。唐代字 様は,初唐標準から開成標準への移行を促したと見るべきであり,日本の古 辞書である『新撰字鏡』と『類聚名義抄』における唐代字様の受容状況を観 察し,漢字字体の年代性の相違が両者の字体記述の相違として反映している ことを指摘する。
著者
武藤 三代平
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.15-32, 2016-12-15

これまで明治政治史を論及する際,榎本武揚は黒田清隆を領袖と仰ぐこと で,その権力基盤を維持しているものとされてきた。箱館戦争を降伏して獄 中にあった榎本を,黒田が助命運動を展開して赦免に至った一事は美談とし ても完成され,人口に膾炙している。そのためもあり,黒田が明治政界に進 出した榎本の後ろ盾となり,終始一貫して,両者が「盟友」関係にあったこ とは疑いを挟む余地がないと考えられてきた。はたしてこの「榎本=黒田」 という権力構図を鵜呑みにしてよいのだろうか。 榎本に関する個人研究では,明治政府内で栄達する榎本を,黒田の政治権 力が背景にあるとし,盲目的に有能視する論理で説明をしてきた。榎本を政 府内でのピンチヒッターとする一事も,その有能論から派生した評価である。 しかし,榎本もまた浮沈を伴いながら政界を歩んだ,藩閥政府内での一人の 政治的アクターである。ひたすら有能論を唱える定説が,かえって榎本の政 府内での立ち位置を曇らせる要因となっている。 本稿では榎本が本格的に中央政界に進出した明治十年代を中心とし,井上 馨との関係を基軸に榎本の事績を再検討することで,太政官制度から内閣制 度発足に至るまでの榎本の政治的な位置づけを定義するものである。この明 治十年代,榎本と黒田の関係は最も疎遠になる。1879年,井上馨が外務卿に なると,榎本は外務大輔に就任し,その信頼関係を構築する。これ以降,榎 本の海軍卿,宮内省出仕,駐清特命全権公使,そして内閣制度発足とともに 逓信大臣に就任するまでの過程において,随所に井上馨による後援が確認さ れる。この事実は,従来の政治史において定説とされてきた,「榎本=黒田」 という藩閥的な権力構図を根本から見直さなければならない可能性をはらん でいる。
著者
久井 貴世
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.55-80, 2014-12-20

江戸時代の文献史料をもとに,史料中に記載されるツル類の名称を整理し,現在の種との関係について検討を行った。これは,文献史料を用いた研究を進めるにあたっての基礎作業として位置付けられる。本稿では,マナヅルGrus vipioとナベヅルG.monachaに関係する四つの名称を対象とした。“真鶴”・“”と記載される名称はマナヅルを指し,方言や別名もみられた。“黒鶴”・“陽烏”は,およそナベヅルを表わす名称として用いられ,一部でクロヅルG.grusを示唆する記述もみられた。“薄墨”は淡色化個体やクロヅル,“霜降鶴”は交雑種やカナダヅルG.canadensisを示す可能性を提示したが,あくまでも推測の域を出ない範囲のものであった。江戸時代には,現代よりも多種多様な名称が存在し,一部では史料によって想定される種が異なるなどの齟齬もみられた。マナヅルとナベヅルを示す名称に関しては大きな混乱は確認されなかったが,“薄墨”や“霜降鶴”については情報が断片的あるいは曖昧であるため,種を定めることが困難であった。今後新たな情報が追加されることで,より詳細な検討を行うことが可能である。
著者
Dallyn Thomas
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
Journal of the Graduate School of Letters (ISSN:18808832)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.19-27, 2017-02

This paper will report and analyze ongoing changes in the accentual system of Hokkaido Japanese (HJ), a regional variety spoken on the northernmost islands of the Japanese archipelago, originating in relatively recent settlement from mainland Japan. In recent years, as in almost all regions of Japan, HJ has undergone dialect levelling towards standard (Tokyo) Japanese (TJ). Although the accentual system of HJ, in terms of the possible number of contrastive accent patterns and the prosodic characteristics that define them, is largely identical to that of TJ, traditional HJ differs significantly from TJ in which lexical items are realised with which accent pattern. Adopting an analysis using Kindaichiʼs word-accent classes (Kindaichi, 1973; 1975), this paper will examine accent class correspondences in bimoraic native nouns, based on a survey 24 native speakers of HJ from four different areas across the island. The results of this survey illustrate a clear pattern of agestratified variation in accent class correspondences that are shown to be consistent with a broader dialect levelling trend towards TJ. However, the pace of this process does not appear consistent across all survey sites, suggesting possible implications for media-driven models of dialect levelling in Japan.