著者
渡久山 幸功 Tokuyama Yukinori 本学非常勤講師 英米文学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-11, 2015-03

本小論では、ジョージ・エリオットの最高傑作長編小説『ミドルマーチ』におけるヴィクトリア朝の女性表象のステレオタイプと作者の結婚観を分析する。当時支配的であったステレオタイプ的な女性像を利用することによって、女性に悪影響を与える19世紀の家父長制英国社会を描いており、女性主人公であるドロシアとロザモンドの両者の結婚を比較しながら、エリオットは家父長制下の結婚制度を支持しているが、それは、エリオットにとって、健全な家庭生活が共同体の調和の構築に重要な役割を担っていると感じていたからである。高額な遺産の受け取りを断念してまでも、再婚を決意するドロシアの行動は、逆説的ではあるが、家父長制への抵抗という隠喩の機能がある。エリオットは、現実主義者であり、女性への適切な教育なしでは、女性の政治参加を理想化することはできなかったが、女性の政治参加に対する彼女の両価的な(アンビバレントな)態度は、『ミドルマーチ』の主要女性登場人物のステレオタイプ的な人格描写に明確に表現されている。
著者
Tokuyama Yukinori 渡久山 幸功 本学非常勤講師 英米文学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.10, pp.13-19, 2014-03-05

Many critics have been bothered at the controversial ending of Henry James's masterpiece, The Portrait of a Lady (1881 ), when Isabel Archer decides to return to Rome where her bus band, Gilbert Osmond, is waiting for her despite their miserable, dysfunctional married life. To account for Isabel's incomprehensible decision, I aim to explicate the transformation of her notion of independence. Her notion of independence before her marriage is too optimistic, naive, unpractical and even romanticized On the other hand, the new notion that is modified after she realizes her husband's true motive of marrying her is much more solid and realistic. This modified notion of independence entails her own responsibility for consequences of her actions, driving Isabel to venture to rescue Pansy, her daughter-in-law, from being miserably obedient to her father as Isabel herself. In this sense, her return to Rome implies that Isabel becomes able to commit herself to others' well-being. Allegorical reading of symbolism that the main characters connote enables the reader to grasp the author's intention to depict "impossible" marriage between Isabel and Osmond: the former embodies American ideals and traits while the latter the dark side of American history/society that saw the European immigrants and their descendants who have manipulated and even abused others (non-white minorities in particular) under American ideals. James seems to suggest how important it is for the two sides of America to confront each other in order to create better or more mature American society in the future.ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の長編小説『ある夫人の肖像』(1881)の結末シーンは、これまで多くの批評家を悩ませてきた。それは、アメリカ人の若い女性主人公イザベル・アーチャーが、結婚生活が破綻しているにもかかわらず、夫ギルバート・オズモンドが待つイタリア・ローマへと帰還することを決意する場面である。小論では、イザベルの理解しがたい決定を説明するものとして、彼女が抱く独立(自立)の概念を検討する。イザベルの独立の概念は、当初、経験が浅く、非実用的で、理想化されているが、オズモンドとの悲惨な結婚生活の経験を通して、また、オズモンドの結婚の目的を知ることによって、真の独立とは、自分自身の行動・結果に責任を持つことであるという新たな独立の概念を構築することになる。この修正された新しい独立・自立の概念が、オズモンドとの対決を決意させ、さらに、義理の娘であるパンジーを彼女の父親オズモンドから救済する目的でローマに戻る。彼女のローマへの帰還は、イザベルが他者の幸福に献身的にかかわることができるようになったことを示唆している。 寓話的な読みを採用して主要登場人物に帯びている象徴性を解釈すると、イザベルはアメリカの理念と特性を体現し、オズモンドは、そのアメリカの理念に背後にあるアメリカの闇の部分を体現しており、二人の「あり得ない結婚」は、アメリカ社会の肯定的な面と否定的な面の対峙を意味している。作者ジェイムズにとって、イザベルのオズモンドとの結婚生活の継続は、19世紀アメリカ社会が成熟していく過程には不可避的な文化・社会的な衝突を象徴していると結論付けた。