著者
渡久山 幸功 とくやま ゆきのり Tokuyama Yukinori 沖縄キリスト教学院大学非常勤講師 英米文学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.15, pp.41-55, 2018-03-16

Two American authors, Vern Sneider and E. A. Cooper, wrote fictional stories set on Okinawa during the US military occupation period(1945-1972). Sneider wrote The Teahouse of the August Moon(1951)and The King from Ashtabula(1960), Cooper B.C. Street(2007 and 2015). Their approaches to dealing with Okinawan subjects are rather different from each other from a technical point of view: the former created fanciful narratives by employing Okinawan elements he reinforced to describe"what might happen"for Okinawans(Asians)if the US military government listened to the locals while the latter depicted the Okinawan society as realistically as possible in order to reveal what actually happened in Okinawa in the early 1960s. On the other hand, it is also true that the both authors shared the notion of criticizing the US military administration on Okinawa and both shared a similar message that the US should stop imposing American values on Okinawans and abusing Okinawan society and its people by the military logic. Their sympathy toward the Okinawans they actually met in person while stationed in Okinawa motivated them to write the Okinawan stories, and the essential messages in their novels are still effective and useful for US readers. Therefore, these "contact zone" stories are worth reading especially if Americans are eager to understand why Okinawans strongly oppose the US bases and to develop a much closer relationship between the US and Okinawa as long as the US military presence is necessary for regional security around the East Asia.米軍政府占領下時代(1945-1972)の沖縄を舞台した小説をヴァーン・スナイダー(Vern Sneider)とE. A. クーパー(E. A. Cooper)が出版しているが、両者の物語のアプローチの仕方は対称的なほどに異なっている。スナイダーは、The Teahouse of the August Moon(1951)とThe King from Ashtabula(1960)において、米軍統治下ではありえないような非現実的、空想的なストーリー展開を採用し、一方でクーパーは、B.C. Street(2007/2015)の中で1960年代前半の米軍基地周辺の沖縄社会をジャーナリズム的な写実的描写の手法を取り入れている。しかし、より重要なことは、彼らの物語には、在沖米軍政府への批判・風刺という観点を共有しているという事実である。沖縄滞在中に実際に出会った沖縄人への共感・共鳴が、沖縄を舞台にした小説を書かせる動機となっているが、アメリカの価値観の押しつけや軍隊の論理で沖縄社会や 沖縄の人々を乱用することアメリカ軍政府をアメリカ人の立場から批判している。米軍が東アジアの安全保障のために沖 縄駐留を継続することが必要であるというのであれば、アメリカ人が、なぜ沖縄の反米軍基地運動が激しいのかを理解す ること、及び、アメリカと沖縄の友好的で緊密な関係を築くこと、は必要不可欠であり、これらの「コンタクト・ゾーン」沖縄ストーリーは、被植民者(他者)と彼らの異文化を理解するための本質的なメッセージを内包している。
著者
大城 宜武 中村 完
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.4, pp.25-30, 2008-02

2002年に沖縄県在住者を対象にアンケート調査を実施、2,041人からの回答が得られた。本稿では基地と経済に関する問題を中心に分析した。数量化理論第3類による分析の結果「経済重視-基地反対」の因子、意思決定の「留保-明確」の因子を抽出した。「経済重視-基地反対」因子については、女性は20歳代、30歳代では経済重視であるが40歳代以後経済重視から基地反対に変化している。男性では20歳代から50歳代までは経済重視であるが60歳代以後は基地反対に変化している。1972年からの変化を見ると、基地と経済問題に対する意見・態度が明確でなくなっている。この30年間、基地経済を志向するよりは、反基地の志向が大勢を占めてきた。In 2002, 2,041 residents of Okinawa responded to a survey of their attitudes about the presence of US military bases and their economic benefits to the local economy. In light of the survey results, this article mainly analyzes the problems that concern the presence of these bases and the economy. We based our analyses on Hayashi's Type 3 Qualification Theory and extracted the "military-economy oriented and anti-base" factor. From our surveys, we were also able to extract the "clear and ambiguous" factor from the respondents' decision-making process. In terms of the "military-economy oriented and anti-base" factor, a certain shift in attitudes was observed: Women in their 20s and 30s were found to be "military-economy oriented," but women in their 40s and older tended to be "anti-base." Similarly, men in their 20s to 50s were found to be "military-economy oriented" while men in their 60s and older were found to be "antibase oriented." As we look at the changes from 1972, we noticed that the opinions and attitudes among people about the base and the economic issues become less and less clear. During the past 30 years, anti-base trends have come to dominate opinions favorable to the military-supported economy.
著者
浜川 仁
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.2, pp.69-81, 2006-01

This paper examines Eiki Matayoshi's Pig's Revenge (Buta no Mukui) —the 1996 winner of the prestigious Akutagawa Prize— in an attempt to uncover a form of Orientalism by Okinawans against their fellow Okinawans. It argues that during the process of modernization, local communities throughout Okinawa experienced a series of transformations within which intellectuals have come to harbor ambivalent opinions about their home islands and cultures. Such ambivalent feelings characterize the attitude of the protagonist, Shokichi, towards the three food-devouring female characters who represent the backwardness and the provincial elements of Okinawa. This paper demonstrates how Matayoshi's Pig's Revenge presents Okinawa as a political and cultural "other" in relation to Japan. Readers sense in the person of Shokichi the same kind of sorrow and loneliness as held by the Okinawan intellectual elite — victims of discursive self-exclusion, who, born and raised in Okinawa, were nevertheless forced to adopt foreign perspectives through which to "discover," ironically, what had always been theirs to begin with.小論では、又吉栄喜著「豚の報い」(以下「報い」)に、沖縄人による沖縄人に対するオリエンタリズムを探り出していきたい。沖縄は、琉球処分以来日本本土を通して、または外国から直接先進国の文物を受け入れてきた。その中で、沖縄人の思想や価値観も大きく変わってきた。財界や政界のエリートたち、特に文化思想的影響に直にさらされた知識人たちは、郷土に対し極めて両義的な感情を抱くようになっていった。この羨望と軽蔑の入り混じった感情が、「報い」の中では、食事を貪る女性たちを観察する主人公正吉の精神態度を特徴づけている。又吉の「報い」に見出されるのは、このように沖縄の後進性を象徴する、他者としての女性であり、正吉によって代表される有識者たちの孤独と疎外感が、この作品からは滲み出ている。彼ら知的リーダーたちは、近代の沖縄に生まれ、そこで生きながら、認識の上ではいつのまにか外にはみ出してしまい、そこから沖縄を「発見」せざるをえなかったと論ずる。
著者
渡久山 幸功 Tokuyama Yukinori 本学非常勤講師 英米文学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.11, pp.1-11, 2015-03

本小論では、ジョージ・エリオットの最高傑作長編小説『ミドルマーチ』におけるヴィクトリア朝の女性表象のステレオタイプと作者の結婚観を分析する。当時支配的であったステレオタイプ的な女性像を利用することによって、女性に悪影響を与える19世紀の家父長制英国社会を描いており、女性主人公であるドロシアとロザモンドの両者の結婚を比較しながら、エリオットは家父長制下の結婚制度を支持しているが、それは、エリオットにとって、健全な家庭生活が共同体の調和の構築に重要な役割を担っていると感じていたからである。高額な遺産の受け取りを断念してまでも、再婚を決意するドロシアの行動は、逆説的ではあるが、家父長制への抵抗という隠喩の機能がある。エリオットは、現実主義者であり、女性への適切な教育なしでは、女性の政治参加を理想化することはできなかったが、女性の政治参加に対する彼女の両価的な(アンビバレントな)態度は、『ミドルマーチ』の主要女性登場人物のステレオタイプ的な人格描写に明確に表現されている。
著者
Melley Christopher めりー くりすとふぁー メリー クリストファー 沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科非常勤講師・Ph.D(哲学)
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.13, pp.47-57, 2017-02-10

多くの他大学がそうであるように沖縄キリスト教大学もまた内外的に深刻な難問に直面している。この論文はこうした深刻な難問を概説し、人々の多様性を育てる学びの実行可能な中心的存在とその機能を果たすということがどのようなことを意味するのかを根本的に再考し、そして、持続可能な改革と洗練された改善法を採用し、各学部によって見出された本大学が保有する学術的強みを活かすことにより、沖縄の未来の貴重な一部を本大学が担うという可能性を高める具体的な手順を提案する。
著者
崎原千尋 さきはらちひろ Sakihara Chihiro 沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科特任講師アメリカ研究
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.14, pp.57-65, 2017-10-16

アメリカ文学の講義を担当するにあたって、いかにして沖縄の学生たちが黒人文学を身近な歴史や、社会、文化と関連 づけて読み解き、さらに、race(人種)、gender(ジェンダー)、そしてclass(階級)という概念をクリティカルに分析す る視座を身につけることができるのか、ということを常に問い続けて来た。本稿は、このような問いを基点とし、トニ・ モリスンのThe Bluest Eye(1970)を教材とした実践例を取り上げながら、文化研究の手法と「うちなーぐち」を使ったペダゴジカルな試みについて論述する。具体的には、(1)関連づけ:沖縄の歴史的、文化的文脈に関連づけさせ、親近感を持たせること、(2)可視化:視覚教材を用いて問題を可視化させ、分析概念を例示すること、に焦点を当て、学生たちが自ら進んで問題に対して取り組み、主体的かつトランスナショナルな学びが可能になることを示唆する。
著者
新垣 友子 島袋 純 あらかき ともこ しまぶくろ じゅん Arakaki Tomoko Shimabukuro Jun 沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科准教授・言語学 琉球大学教育学部教授・政治学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.13, pp.37-46, 2017-02-10

2009年、琉球諸語は危機言語としてユネスコに認定されたが、それ以来、復興のための言語計画はどのように展開されてきたのであろうか。琉球諸語の維持・継承に関する有効な対策を講じない限り、2050年には消滅するといわれているが、この件に関する行政の取り組みは、有効とは言い難い。本稿では、行政の取り組みを検証するとともに、国連やその他の国際機関がどのように「言語権」という概念を明文化してきたか軌跡を概観しながら、行政の取り組みがいかに遅れているか、また国として、いかにその概念の発展と逆行する見解を示しているかをみていく。
著者
Ulvog A. David あるふれっどでいびっどゆるヴぁーぐ アルフレッドデイビッドユルヴァーグ 沖縄キリスト教学院大学人文学部英語コミュニケーション学科准教授法学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.14, pp.25-36, 2017-10

Japan's current constitutionally-guaranteed right to petition as well as laws and regulations detailing the procedures for exercising this right have emerged as part of a centuries old process through which people have sought to have their voice heard in state affairs. This paper looks at the development of the right to petition in Japan's modern constitutions, relevant laws and regulations, legal theories and judicial decisions, and shows how the right to petition has evolved into a quasi-political right, supplementing and enhancing representative democratic systems and administrative organs.日本憲法で保障された現在の請願権、そしてこの権利を行使するまでの手順を具体化した法規制は、国民が自らの意思を政治に反映させようと努力してきた長年の過程の中で生まれた。本稿では、日本の近代憲法下での請願権の発展と、関連法規制、法理論や判例に焦点を当て、請願権が如何にして民主的代議制や行政機関を補完、強化する準政治的権利に変化したのかを明らかにする。
著者
照屋 信治 Teruya Shinji 人文学部准教授 近現代沖縄教育史
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-12, 2012-12

本稿の目的は、沖縄県立第三中学校教諭であった豊川善曄(1888-1941)の思想と実践を分析し、1930年代初頭の沖縄における郷土教育の可能性と陥奔とを検討するものである。近代沖縄教育史は、「同化」「皇民化」という用語で説明されてきた。教師たちは日本政府の同化政策を無批判的に推し進めた存在だと理解されてきた。しかし、1930年代初頭の郷土教育が盛んな時期、豊川善曄をはじめ幾人かの教師たちは、強い「沖縄人」意識をあらわにし、その必要性を訴えていた。豊川は、郷土史教育の目的を沖縄の「民族魂」の鼓吹であるとまで高唱していた。なぜそのようなことが戦前日本の公教育の場で可能であったのか、その教育的、社会的背景を探り、その思想の輪郭を描き、陥奔を指摘する。また、それらの作業を通じ、全国的に展開された郷土教育が、沖縄においては異なった様相を呈したことを明らかにする。This paper examines the work of TOYOKAWA Zenyou (1888-1941), a little known teacher in Okinawa's third middle school who sought to develop students with a strong sense of their cultural roots. This examination is grounded in considerations that the Regional Learning Project of the early 1930s in Okinawa had both possibilities and pitfalls toward effective education. The history of Okinawa's modern education has been described in terms of uncritical, widespread "assimilation" (kōminka). That is, teachers were understood to blindly play their crucial roles in carrying out the assimilation policies promulgated by the Japanese government. In the face of these assimilation policies stood TOYOKAWA who expressed the importance of "Okinawan consciousness," insisting that local students understand their history and culture. TOYOKAWA argued that a primary aim of regional history education was to bring up students with a strong awareness and consciousness of Okinawa. What possessed TOYOKAWA to resist the assimilation policy and assert the importance of Okinawan consciousness? What were the principal features of his ideas and their shortcomings? This paper aims to answer these questions. Based on my research, it can be said that the Regional Learning Project in Okinawa was significantly different in its aims from those in the mainland.
著者
伊佐 雅子 いさ まさこ Isa Masako 人文学部英語コミュニケーション学科教授・異文化コミュニケーション学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.12, pp.36-49, 2016-03

本研究は、大学が実施している短期の海外研修プログラム(ハワイ研修、海外幼児教育研修、海外ボランティア実習)が学生たちの自信感にどのように影響しているのかを調べた。調査の結果、「自信感」には、4因子(「自己肯定感」、「人間関係構築力」、「有能感」、「立ち直り力」)が抽出された。従来、能力的側面や自己評価的側面が重視されていた自信であるが、本研究では"生きる力"にも大きく関連している「人間関係構築力」と厳しい状況からなる「立ち直る力」も含んでいる。海外ボランティア研修参加者は、語学研修参加者に比べ、参加前、参加後とも「自信感」が高く、特に「人間関係構築力」と「立ち直り力」は高かった。一方、語学研修者と海外幼児教育参加者の「自信感」の伸びがみられた。今後は、「自信感」尺度に加え、「自己効力感」尺度も入れて、大学生の海外研修の効果を調査していきたい。The purpose of this study was to examine how three kinds of overseas short-term study programs, such as an intensive language program, a program in early childhood care and education, and volunteer work-study had an impact on college students confidence-building. Factor analysis of the Confidence Scale scores identified four essential factors for developing confidence: "self-affirmation" "ability to build interpersonal relationships" "sense of capability" and "ability to recover", all of which suggest that confidence encompassed not only factors pertaining to competence and self-evaluation, but also to their ability to build interpersonal relationships and to recover from difficult situations. Members of the overseas volunteer work-study group scored high on confidence building, especially, in the "ability to build interpersonal relationships" and the "ability to recover" in the pre-test and post-test compared with members of the intensive language program. On the other hand, in the intensive language program and early childhood care and education groups, members' scores in confidence building appeared to have improved because of their intercultural experience. These findings, however, suggest that further study on the impact of study abroad of college students should be carried by using a confidence-building scale including a self-efficacy scale(SES).
著者
Tokuyama Yukinori 渡久山 幸功 本学非常勤講師 英米文学
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.10, pp.13-19, 2014-03-05

Many critics have been bothered at the controversial ending of Henry James's masterpiece, The Portrait of a Lady (1881 ), when Isabel Archer decides to return to Rome where her bus band, Gilbert Osmond, is waiting for her despite their miserable, dysfunctional married life. To account for Isabel's incomprehensible decision, I aim to explicate the transformation of her notion of independence. Her notion of independence before her marriage is too optimistic, naive, unpractical and even romanticized On the other hand, the new notion that is modified after she realizes her husband's true motive of marrying her is much more solid and realistic. This modified notion of independence entails her own responsibility for consequences of her actions, driving Isabel to venture to rescue Pansy, her daughter-in-law, from being miserably obedient to her father as Isabel herself. In this sense, her return to Rome implies that Isabel becomes able to commit herself to others' well-being. Allegorical reading of symbolism that the main characters connote enables the reader to grasp the author's intention to depict "impossible" marriage between Isabel and Osmond: the former embodies American ideals and traits while the latter the dark side of American history/society that saw the European immigrants and their descendants who have manipulated and even abused others (non-white minorities in particular) under American ideals. James seems to suggest how important it is for the two sides of America to confront each other in order to create better or more mature American society in the future.ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の長編小説『ある夫人の肖像』(1881)の結末シーンは、これまで多くの批評家を悩ませてきた。それは、アメリカ人の若い女性主人公イザベル・アーチャーが、結婚生活が破綻しているにもかかわらず、夫ギルバート・オズモンドが待つイタリア・ローマへと帰還することを決意する場面である。小論では、イザベルの理解しがたい決定を説明するものとして、彼女が抱く独立(自立)の概念を検討する。イザベルの独立の概念は、当初、経験が浅く、非実用的で、理想化されているが、オズモンドとの悲惨な結婚生活の経験を通して、また、オズモンドの結婚の目的を知ることによって、真の独立とは、自分自身の行動・結果に責任を持つことであるという新たな独立の概念を構築することになる。この修正された新しい独立・自立の概念が、オズモンドとの対決を決意させ、さらに、義理の娘であるパンジーを彼女の父親オズモンドから救済する目的でローマに戻る。彼女のローマへの帰還は、イザベルが他者の幸福に献身的にかかわることができるようになったことを示唆している。 寓話的な読みを採用して主要登場人物に帯びている象徴性を解釈すると、イザベルはアメリカの理念と特性を体現し、オズモンドは、そのアメリカの理念に背後にあるアメリカの闇の部分を体現しており、二人の「あり得ない結婚」は、アメリカ社会の肯定的な面と否定的な面の対峙を意味している。作者ジェイムズにとって、イザベルのオズモンドとの結婚生活の継続は、19世紀アメリカ社会が成熟していく過程には不可避的な文化・社会的な衝突を象徴していると結論付けた。
著者
大城 宜武
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.6, pp.57-70, 2009-12

本研究の目的は、金城安太郎(1911年12月10日-1999年1月13日)の業績のうち、新聞小説の挿絵について検討することである。金城安太郎は1951年から1969年の間に18作品の小説の挿絵を描いている。総数は4369点に上る。このうち、1765点が発見されている。金城安太郎は、「挿絵は小説と表裏一体である」と述べている。これが、安太郎の挿絵観の中心思想である、と考える。This paper closely examines Kinjo Yasutaro's illustrations for newspaper novels. Among his many other artistic achievements, Kinjo began illustrating newspaper novels at the age of sixteen. From 1951 to 1961, Kinjo illustrated 18 novels. His work ranges from contemporary themes to historic ones. In all, Kinjo illustrated over 4000 pieces of which only 1765 are extant. The artist suggests that both the novel and the illustration itself represent "two sides of the same coin." We believe that this aphorism is central to the artist's approach to his work as an illustrator.
著者
大城 宜武 中村 完 芳澤 毅
出版者
沖縄キリスト教学院大学
雑誌
沖縄キリスト教学院大学論集 (ISSN:13498479)
巻号頁・発行日
no.1, pp.31-45, 2005-02

本研究は、日本復帰30年目の沖縄における住民意識について検討することを目的とする。2002年に実施されたアンケート調査で得られた2,100人分のデータについて検討したものである。戦争、自治、人権について復帰前後の変化の有無、戦争、自治、人権に対する態度と年齢との連関を中心に検討した。主な結果は以下の通りである。1.米軍基地の存在が、平和の危機、自治権侵害、人権侵害の主因であると考えるものが多い。2.沖縄に駐留する日本の自衛隊については、やや寛容な意見が多い。3.日本政府の沖縄の民生の安定に関する施策については好意的な評価がなされている。4.年齢と戦争、自治、人権の間の連関は有意であり、高年齢層は明白な態度を示し、若年層は消極的な態度である。5.日本復帰への評価は「どちらともいえない」が一番多く、積極的な肯定または否定は避けられていた。Based on a questionnaire survey conducted in September 2002 for 2,100 Okinawan subjects of five age groups (ranging from 17 to 60 years old or over), the study aims to examine their social awareness. It mainly reviewed the correlation between their attitudes toward the war, autonomy, the human rights in Okinawa and the age groups. The main results were as follows: 1. Many of them thought that the presence of the U.S. military bases in Okinawa is the primary cause of crises such as disturbance of peace, suppression of local autonomy, and violation of human rights. 2. Many of them are rather tolerant of the Japanese Self-Defense Forces stationed in Okinawa. 3. Many of them gave a favorable evaluation for the Japanese government's policies on Okinawa's social welfare. 4. The correlations among the age and the attitudes towards the war, autonomy, and the human rights are statistically significant: the higher-age bracket had explicit opinions; contrary, the youngerage layer showed less concern. 5. Many of them avoided to comment strongly on the issue of re-annexation of Okinawa by Japan: most of them answered; "it was neither good nor bad."