著者
朴 淳香
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.70, pp.96_3, 2019

<p> 明治期の幼稚園草創期の「遊戯」は、伊澤修二の遊戯研究が端緒となり、フレーベルの思想を元にした指導書に準じる形をとって導入された。集団で唱歌と共に行われていたが、雅楽調で幼児の興味と一致していたとは言いがたい内容であったとされている。明治9年、初の官立幼稚園として設置された東京女子師範学校附属幼稚園では、保姆であった豊田芙雄の記録によれば、「家鳩 民草 水魚 猫鼠 盲ひ 還木 蝶々 此門 兄弟姉妹 風車」などの遊戯を行い、新案を考え、歌詞所作を工夫したとある。明治33年の「幼稚園保育及設備規程」には保育4項目の一つとして「遊嬉」が位置づけられたが、明治期後半の幼稚園「遊戯」は草創期以来の幼稚園「遊戯」に加え、小学校「体操遊戯」の影響も受け、混迷していたと考えられる。児童心理研究が始まり、大正期にかけて幼児の発達に即した内容に変化させようとする動きが見いだされる中、高島平三郎と松本孝次郎は共に、雑誌『児童研究』において「遊戯」に関する複数の論考を発表している。高島と松本の論考では発達という視点から「遊戯」を捉えており、幼児にふさわしい内容へと変化する流れの一端を担っていたと考えられた。</p>