著者
李 勇華
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.8, pp.47-60, 2014-08-10 (Released:2019-08-30)

「言語論的転回」以後、書かれたものならば、なんでもエクリチュールとされるので、「近代小説のエクリチュール」という表現はトートロジーではないか。また、「作者の死」が宣告されたので、主体のことが語りうるのかと言われるが、その通りである。しかしそれはポストモダンの文学研究の枠組みであり、それを超えるには、主体のあらためての召還、他者を認め、自己否定を内包する書く行為のある近代小説が求められる。それが田中実の〈近代小説〉の特徴である。それを明らかにするために、本稿ではバルトの書こうとする「小説」と絡めて、安藤宏の〈表現機構〉と田中実の〈第三項〉を比較してみたい。
著者
李 勇華
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.23-36, 2017-04-10 (Released:2022-04-28)

魯迅の『故郷』は日中両国で半世紀以上読まれた名作である。本論の前半では『故郷』をめぐる藤井省三と田中実の読みを比較検討し、世界観認識の違いが「読み方」に決定的な違いをもたらすことについて論じた。田中実によって展開されている第三項論は「語ることの虚偽」との闘いを内包しており、それによって〈近代小説〉を〈近代の物語文学〉から峻別できる。『故郷』の場合は、〈語り手〉の「私」を相対化する〈語り手を超えるもの〉を読者が構造化することが必須である。また、第三項論の方向性はテクスト概念の提起以後、さらに転換していったバルトの理論の方向性に極めて近いと私には思われる。そのため本論の後半では『明るい部屋』というバルトの最後の著作を取り上げて、田中実との間にある相同性についても論じた。
著者
李 勇華
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要. 第一部, 学習開発関連領域 (ISSN:13465546)
巻号頁・発行日
no.68, pp.114-105, 2019-12-20

Postmodern is (re) defined as a coexistence of two types of worldview perceptions: materialism reflection theory and the third term theory, which is sung by Tanaka Minoru. In the development of Roland Barthes' thought, the essay "The Death of the Author" and "From work to Text" can be considered as Barthes' postmodern. T. Todorov of France and Tando Hirofumi of Japan who criticized the present literary education failed to catch Barthes` thought and could not pass postmodern. Therefore, it should be reconsidered whether literary education criticism made by them is valid. At the end of this paper, I would like to show the appropriate reading of the future cross-research between literature study and literature education study by reading Lu Xun's "Kokyo" in a reading required by post-postmodern thought.