著者
李 炯哲 李 炯 喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:18838111)
巻号頁・発行日
no.11, pp.161-173, 2010

太平洋戦争の敗戦が必至となった1945年早春から降伏を決定した8月中旬までの終戦過程を無決定という観点から検証した。一撃講和,早期終戦,即時終戦へと和平派の判断が変わる中,抗戦派は本土決戦を固持して譲らなかった。その拮抗を終わらせたのが二度にわたる天皇の決断であったが,終戦が遅延したので日本は度重なる大災難に遭った。国家的犯罪とも言われる終戦決定の遅延の主因は,軍部の抵抗,対ソ和平交渉でソ連に翻弄されたこと,煩雑な会議過程と国体護持をめぐる観念的な論議などであるが,究極,軍民の首脳らが本土決戦を避けて天皇の決断に服従したのは幸いであった。しかし,国際法上の盲点に突かれて,終戦後も満州ではソ連軍の武力行使が続いたので,当地の日本軍民が新たなる悲劇に見舞われた。