著者
村端 佳子
出版者
宮崎国際大学教育学部
雑誌
宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 (ISSN:21887896)
巻号頁・発行日
no.6, pp.15-27, 2019-12

第二言語習得における最近の研究では、言語的マルチコンピテンスの観点からどのように複数言語が個人の頭の中で作用し合い、第二言語使用者はいかに単一言語使用者と異なるのかが探られており、その証左が多く報告されている。本研究では、とくに日本語の複数標識である「−たち」の使い方の例を挙げ、個人的なレベルではなく社会的なレベルにおける言語的マルチコンピテンスを探る。 英語では可算・不可算名詞を区別し、生物・無生物に関係なく数えられる物が二つ以上ある時には必ず複数形にする。一方、日本語では人間と一部の動物にのみ随意的に「–たち」をつけることがあっても、無生物につけることはない。ところが最近の日本語では、本来は容認可能とされない無生物名詞に「−たち」をつけた「本たち」のような使い方を頻繁に見かけるようになった。また人や動物にも多用されるようになっている。興味深いことに、たとえば一般的な複数を表す「サル」と個別化された複数の「サルたち」が使い分けられている。このような複数形の用法は、狩猟の獲物や食料を 表す deer/deers などの英語の名詞にも見られ、deers のような複数形を用いる時は、その動物の個別化をしているときであるという。すなわち、複数があるということは単数があるということであ り、単数と複数の区別をするということは、認知的には個別化を意味するのである。 現在使用されている日本語の「–たち」の複数形の用例と、英語の単数形・複数形の使い方の用例を比較し、複数形の認知的なプロセスを論じた上で、本論では日本語における「−たち」の多用が英語の学習や習得の影響であり、日本社会における言語的マルチコンピテンスとみなしても良いのではないかと提議する。
著者
村端 五郎 村端 佳子
出版者
The Japan Society of English Language Education
雑誌
全国英語教育学会紀要 (ISSN:13448560)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.49-64, 2016 (Released:2017-04-05)
参考文献数
66
被引用文献数
1

The aim of this paper is twofold: to elucidate theoretical and empirical underpinnings of the notion of linguistic multi-competence (LMC) of the second language (L2) user and to discuss its implications for English education in Japan. In the center of the LMC notion is the term ‘user,’ which was first used to avoid a negative connotation inherent in the term ‘learner’ as a deficient language speaker who is never able to attain a native-like proficiency in a L2. With a great impact of the LMC idea on applied linguistics and L2 learning and teaching, the term has been widely spreading, though slowly, among applied linguists and language teachers particularly in Europe and North America. As for the situation in Japan, however, the LMC idea itself or the L2 user concept has not yet attracted much attention. We begin by examining theoretical backgrounds of LMC. Next, we review some distinctive features of L2 users’ language and mind such as reverse transfer, hyper linguistic susceptibility, and cognitive restructuring to show how unique L2 users are. Finally, we discuss some pedagogical implications of LMC for English education with the solutions to current issues in Japanese English education in mind such as the role model for Japanese, L1 use and translation work in the classroom, the goals of English learning and teaching, and Japanese perception of themselves as English users.
著者
村端 佳子 黒木 美佐
出版者
宮崎国際大学教育学部
雑誌
宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 (ISSN:21887896)
巻号頁・発行日
no.7, pp.32-43, 2020-12

平成 29 年に告示された学習指導要領において、外国語活動・外国語の目標の中に「外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ」外国語による言語活動を通してコミュニケーションを図る資質・能力を育成することを目指す、という文言が盛り込まれている(文部科学省、2017)。そこで本稿ではそのような言語独特の見方や考え方を英語と日本語の絵本の中に探り、英語に特有な「見方・考え方」を児童に感じさせる可能性を探った。 一般的に英語は説明的で客観的な文章を好み、日本語は論理的な表現は好まず、オノマトペの多様に見られるような感覚的で曖昧な文を好むという違いが見られる。本稿ではそのような違いが日英の絵本にも現れるのかを探るために、英語が原本で日本語に訳されている2冊の絵本『はらぺこあおむし』と『あたまからつまさきまで』の英語と日本語を比較分析した。これらの2冊はいずれもエリック・カールによるもので、日本語でもよく読まれている人気の絵本である。比較してみると、日本語の絵本では、語り口調や劇的要素を用いるという特徴や、変化する人称代名詞に加えてオノマトペの多用から、感覚的で直接的な表現が多く見られるということがわかった。一方、英語の絵本では説明的で分析的および客観的表現が特徴として見られた。このような表現方法の違いや特徴は日本の文学作品にも見られ、日本語と英語の一般的な表現方法の違いと見ても良い。そこで、子供達が慣れ親しんでいて理解が容易であると思われるような英語絵本の読み聞かせをすることは、言語によって物事の描き方には違いがあることや、違いだけでなく日本語と英語の共通点への気づきを促すことへとつながる。このように英語の絵本に触れさせる利点の一つとして、英語の見方や考え方を明確に理解するとまではいかないが、英語独特の表現方法にふれることができる可能性を論じた。
著者
村端 佳子
出版者
宮崎国際大学教育学部
雑誌
宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 (ISSN:21887896)
巻号頁・発行日
no.5, pp.1-12, 2018-12

本研究の目的は、日本語母語話者が第二言語としての英語を学ぶことで、日本語の使用や認知になんらかの影響が見られるかどうかを、体の部位を表す言葉に関して調査することである。近年第二言語の学習や使用が母語話者の言語の使用や認知に何らかの影響を与えているという研究が多くなされている(Cook, 2002)。日本語を母語とする話者に関しても、色彩(Athanasopoulos, Damjanovic, Krajciova, & Sasaki, 2011: Murahata, Murahata, & Murahata, 2017)、名詞の複数形(Cook, Iarossi, Stellakis, & Tokumaru, 2003; Murahata, 2012)、分類(Murahata, 2012)などに関する英語学習の影響が報告されている。それでは日本語母語話者が英語を学ぶことで、体の部位の切り取り方になんらかの影響を受けるのだろうか。例えば、日本語の「手」は英語の arm と hand の両方を、「足」は legと foot の両方を指すことがある。また、英語の head には、日本語の「頭」「顔」「首」が、back には「背中」「腰」が含まれる。二つの言語に見られるこのような差のために、二言語使用者(バイリンガル)の言語使用や認知に単一言語話者(モノリンガル)とは異なる差が見られれば、それはマルチ・コンピテンス(multi-competence)の証左となり(Cook & Li, 2016)、バイリンガルのユニークな側面を見ることができる。そこで、本研究では日本語を母語とする英語ユーザを参加者として、英語の能力によって二つのグループに分け、「手」「腕」「足」「脚」「頭」「背中」を指す部分の色ぬり実験を行うことで、英語学習・使用が体の切り分け方になんらかの影響を及ぼしているかどうかを探った。
著者
村端 佳子
出版者
宮崎国際大学教育学部
雑誌
宮崎国際大学教育学部紀要 教育科学論集 (ISSN:21887896)
巻号頁・発行日
no.6, pp.15-27, 2019-12

第二言語習得における最近の研究では、言語的マルチコンピテンスの観点からどのように複数言語が個人の頭の中で作用し合い、第二言語使用者はいかに単一言語使用者と異なるのかが探られており、その証左が多く報告されている。本研究では、とくに日本語の複数標識である「−たち」の使い方の例を挙げ、個人的なレベルではなく社会的なレベルにおける言語的マルチコンピテンスを探る。 英語では可算・不可算名詞を区別し、生物・無生物に関係なく数えられる物が二つ以上ある時には必ず複数形にする。一方、日本語では人間と一部の動物にのみ随意的に「–たち」をつけることがあっても、無生物につけることはない。ところが最近の日本語では、本来は容認可能とされない無生物名詞に「−たち」をつけた「本たち」のような使い方を頻繁に見かけるようになった。また人や動物にも多用されるようになっている。興味深いことに、たとえば一般的な複数を表す「サル」と個別化された複数の「サルたち」が使い分けられている。このような複数形の用法は、狩猟の獲物や食料を 表す deer/deers などの英語の名詞にも見られ、deers のような複数形を用いる時は、その動物の個別化をしているときであるという。すなわち、複数があるということは単数があるということであ り、単数と複数の区別をするということは、認知的には個別化を意味するのである。 現在使用されている日本語の「–たち」の複数形の用例と、英語の単数形・複数形の使い方の用例を比較し、複数形の認知的なプロセスを論じた上で、本論では日本語における「−たち」の多用が英語の学習や習得の影響であり、日本社会における言語的マルチコンピテンスとみなしても良いのではないかと提議する。