著者
東田 道久
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.51, no.12, pp.1113-1115, 2015 (Released:2018-08-26)

北陸新幹線が開通し,関東から北陸へのアクセスが大変便利になった.東京から富山までは約2時間,名古屋と変わらない時間での往来が可能である.江戸の昔,越中富山藩は,加賀藩の負債も背負って独立,当初は経済的に恵まれない状況におかれていた.その状況を打開するために考え出された産業が「くすり」であった.くすりは命にかかわるため付加価値も極めて高く,また軽くて運びやすいため,遠方でも物流が容易である.江戸城内での販売促進キャンペーンを経て,売薬ネットワークも確立させ,越中・富山の産業として発展,今日まで続く「くすりの富山」ブランドの看板と独占的販売権 (懸場帳:かけばちょう) を築き上げてきた.本グラビアでは,今も富山の産業に深く根ざしている「くすり産業」の原点とも言えそうな昔ながらの趣を残す各地や博物館を訪ね,その歴史と,先人たちの熱意と情熱に思いを馳せる.(各施設等の説明文の後に,詳細情報をウェブより入手する際の検索ワードを記載した)

1 0 0 0 OA ケロリンの桶

著者
東田 道久
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.50, no.12, pp.1265_1, 2014 (Released:2017-02-10)

ファルマシア誌では,隔号で「家庭薬物語」を掲載しているが,お楽しみいただけているであろうか.家庭薬の普及には,それを宣伝する媒体の力も欠かせないであろう.配置薬における紙風船もその一つである.ところで,日本全国の銭湯で見られる黄色い「ケロリンの桶」.その湯殿に響く桶の厚みを感じる独特の音は,単に宣伝媒体にとどまらず,もはや銭湯自体に溶け込み,日本の文化となったと言えるかもしない.この桶,映画にも出演している.その桶の独占広告主は,富山の内外薬品である.同社は1902年薬種商として創業,1925年からは製薬会社となる.薬剤師でもあった社長の笹山順蔵は,社内に対しては厳しい品質管理を求める一方で,対外的にはユニークな広告手法を展開していた.当時まだ珍しかったスポーツ会場での垂れ幕などがそれである.その営業の遺伝子は娘婿の笹山忠松に引き継がれる.1963年,当時まだ木製の桶が多かった銭湯で,衛生面と強度からそれが合成樹脂に切り替わりつつある時期に,広告代理店・睦和商事の担当者・山浦和明と笹山忠松が出会う.「湯桶に広告を出しませんか?」と持ち掛けられたのがきっかけで二人は意気投合.昼は薬を,夜は温泉街に桶を一緒に売り込んで行った.桶は当初は白色であったが,その後,現在の鮮やかな黄色へと変わり,それが好評で,当時全国に23,000件もある銭湯をはじめとして,温泉,ゴルフ場などの浴室へも瞬く間に波及していく.以来現在まで,延べ250万個以上も納入.睦和商事は残念ながら2013年3月に廃業するが,その後の販売は内外薬品自体により引き継がれ,現在も週1,000個のペースで製造され続けている.銭湯で子供が蹴飛ばしても,腰掛けにされてもビクともしないケロリンの桶は,驚異的な強さから,別名「永久桶」とも呼ばれており,日本文化不滅の象徴となりつつあるのかもしれない.現在は,くすりの富山の「ご当地グッズ」としても,関連商品も含めて空港や駅で販売されている.ただ残念なのは,その桶を担いで銭湯に出かけることが出来ないことかもしれない.
著者
東田 道久
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.7_1-7_1, 2017

街ではみみにふたをして歩いている人をよく見かける。あれはよろしくない。みみは危険察知アンテナとして最も感度の良い器官であり、それにふたをすると危険に反応できない。著者は最近とんでもないスピーカーを買い、静寂を目指して引いていく音の響きの美しさにめざめた。そこには「精度と純度」がある。人生の引き際にもその美学を反映させたいが、そのためには種々の意見に純粋な気持ちでみみを傾け、脳を刺激し続けることが大切な気がする。