- 著者
-
東田 道久
- 出版者
- 公益社団法人 日本薬学会
- 雑誌
- ファルマシア (ISSN:00148601)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, no.12, pp.1265_1, 2014 (Released:2017-02-10)
ファルマシア誌では,隔号で「家庭薬物語」を掲載しているが,お楽しみいただけているであろうか.家庭薬の普及には,それを宣伝する媒体の力も欠かせないであろう.配置薬における紙風船もその一つである.ところで,日本全国の銭湯で見られる黄色い「ケロリンの桶」.その湯殿に響く桶の厚みを感じる独特の音は,単に宣伝媒体にとどまらず,もはや銭湯自体に溶け込み,日本の文化となったと言えるかもしない.この桶,映画にも出演している.その桶の独占広告主は,富山の内外薬品である.同社は1902年薬種商として創業,1925年からは製薬会社となる.薬剤師でもあった社長の笹山順蔵は,社内に対しては厳しい品質管理を求める一方で,対外的にはユニークな広告手法を展開していた.当時まだ珍しかったスポーツ会場での垂れ幕などがそれである.その営業の遺伝子は娘婿の笹山忠松に引き継がれる.1963年,当時まだ木製の桶が多かった銭湯で,衛生面と強度からそれが合成樹脂に切り替わりつつある時期に,広告代理店・睦和商事の担当者・山浦和明と笹山忠松が出会う.「湯桶に広告を出しませんか?」と持ち掛けられたのがきっかけで二人は意気投合.昼は薬を,夜は温泉街に桶を一緒に売り込んで行った.桶は当初は白色であったが,その後,現在の鮮やかな黄色へと変わり,それが好評で,当時全国に23,000件もある銭湯をはじめとして,温泉,ゴルフ場などの浴室へも瞬く間に波及していく.以来現在まで,延べ250万個以上も納入.睦和商事は残念ながら2013年3月に廃業するが,その後の販売は内外薬品自体により引き継がれ,現在も週1,000個のペースで製造され続けている.銭湯で子供が蹴飛ばしても,腰掛けにされてもビクともしないケロリンの桶は,驚異的な強さから,別名「永久桶」とも呼ばれており,日本文化不滅の象徴となりつつあるのかもしれない.現在は,くすりの富山の「ご当地グッズ」としても,関連商品も含めて空港や駅で販売されている.ただ残念なのは,その桶を担いで銭湯に出かけることが出来ないことかもしれない.