著者
松本 美予
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100072, 2011

レソト王国は南部アフリカ・ドラケンスバーグ山脈の中心部に位置し、四国の1.4倍程の面積しかない山岳国である。地域の経済大国である南アフリカ共和国に国境線を囲まれるという地理的特徴を持ち、1900年代始めから南アフリカ鉱山への出稼ぎ労働が主要な生業の一つであった。国土の東半分を占める山岳地は人の移住が1890年代より始まり、農村社会の形成初期から出稼ぎ労働は生計の柱であった。現金収入と共に形成された生業形態は1980年代まで続くが、アパルトヘイト政策が撤廃された隣国南アフリカの政治経済変化を受け、大きく変化する。本研究では、レソト山岳地において、出稼ぎ労働による現金収入を中心とした複合的農牧業が、南アフリカの政治経済変化によってどのように変化したのかを明らかにする。<br><b>出稼ぎ労働の最盛期(~</b><b>1970</b><b>年代) </b><b></b>現金収入は農耕と牧畜に投資され、出稼ぎ労働を柱とした複合的な生業形態が実施されていた。農耕では、種・農具・留守の男性労働力を補うための人件費などへ現金が投資された。そして牧畜では、多くの家畜(牛・羊・山羊)が購入され、それらは出稼ぎ労働引退後の備えとなった。&nbsp;<br><b>出稼ぎ労働の減少(</b><b>1980</b><b>年代~現在) </b><b></b>80年代以降、反アパルトヘイト運動が激化し、南アフリカ国内の黒人へ労働市場が開放されていった。それに加え、金価格の下落や、出稼ぎ労働者が担っていた単純作業の機械化などの要因が重なり、レソトからの出稼ぎ労働者は鉱山労働より締め出された。新規採用はなくなり、契約の更新もされなくなった。また、同時期に家畜泥棒が増加し、農村における牛や羊の頭数が減少した。つまり、多くの世帯では出稼ぎと家畜という二つの主要な現金収入源を同時に断たれてしまったのである。その結果、残された農耕への依存が高まり、自給レベル以上の労力を投入せざるを得なくなった。栽培作物が換金作物にシフトするなど、現金収入源としての重要な位置づけになったのである。また家畜泥棒による家畜の減少は、燃料の収集にも影響を与えたと考えられる。農村部では牛フンを燃料として利用しているため、牛の減少は燃料の不足を意味する。調査村においても、牛フンに代わる燃料となる潅木の採集場所が拡大していた。現金収入の減少は、地域の自然資源に強く依存した生活を農民に強いることになり、今後、耕作地や植物資源への負荷がますます高まっていくことが危惧される。