著者
松浦 茂樹
出版者
一般社団法人 日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.1-36, 2021-10-01 (Released:2023-01-11)

明治から今日までに治水を目的とする利根川改修計画は,7回策定された。 1886(明治19)年着工の計画,1900(明治33)年着工,1910(明治43)年着工,1938(昭和13)年着工,1949(昭和24)年着工の計画である。さらに1980 (昭和55)年着工,2005(平成17)年改訂の計画である。 これらを基準点である中田(栗橋)の計画対象流量でみると,1886(明治19)年の計画では定められず,1900(明治33)年計画では3,750m3/s,1938(昭和13)年計画では9,200m3/s,1949(昭和24)年計画では14,000m3/s(ただし上流山地部ダム群で3,000m3/sを調節)となった。1949(昭和24)年計画で,ダム群による調節が登場したのである。 1980(昭和55)年計画,2005(平成17)年計画でもダム群による調節が行わ れ,前者の計画では,6,000m3/sをダム群で調節し17,000m3/sであり,後者の計画では,5,500m3/s調節し17,500m3/sとなっている。 なぜこのように変遷していったのか。1949(昭和24)年計画までは計画直前に生じた洪水(既往洪水)を参考にしたのに対し,1980(昭和55)年と2005 (平成17)年の計画では,年超過確率によって机上計算をもとに定めていった。 計画手法が異なったのである。また,1949(昭和24)年計画までは既往洪水を参考にしたといっても,1938(昭和13)年・1949(昭和24)年計画ではピーク流量の最大値に基づいて定めていったのに対し,それ以前の計画では異なっていた。1886(明治19)年計画では,対象とする洪水がそもそも小さかった。 1900(明治33)年計画では,最大流量ではなく,それより小さい流量を対象と したのである。

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PDFあり。近現代の7回にわたる利根川改修計画(改定)についての論文。 ⇒松浦 茂樹 「近代利根川改修」 『水利科学』65巻4号 (2021) https://t.co/tgiA8h6MfP

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