著者
林 友里江
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.124, no.11, pp.37-60, 2015

古代日本の文書行政の進展は、読申公文から申文刺文へという政務体系の移行に表れる。本稿では、太政官の政務における弁官局の関与の仕方の変容から文書行政の進展過程を検討した。<br> 弁官から議政官への行政案件の上申である弁官申政は、本来は一連の太政官の日常政務の一環として行われていたが、(延長 923-31・承平931-35年間に成立した陣申文は、申政とその前提となる結文のみを独立=孤立=疎外させたものであった。そのため申政者は結文の責任者である大弁に限られたが、それに伴い弁官局の秩序に変化が生じ、大弁は弁官本来の業務に携わらなくなり局の代表者となった。また、陣申文の成立は読申公文と完全に分離した純粋な申文刺文の政務の成立であり、文書行政の進展の到達点として評価できる。<br>また、弁官は本来狭義の太政官からの独立性を有したため、弁・史は少納言・外記に取り次がれて申政を行っていた。しかし南所申文・陣申文には少納言・外記は関与せず、弁官が太政官を訪れ申政するという構造は失われた.さらに、これに対応する変化が太政官奏に起きており、狭義の太政官たる議政官・少納言・外記によって行われた太政官奏に代わり、議政官と弁官によって行われる官奏が主となった。弁官申政における申政事項は申政後も弁官の手から完全には離れず奏にも弁官が関与するようになり、政務全体から弁官の独立性が失われた。<br> 弁官の独立性は、口頭行政を含む直接的・具体的な把握方法で諸司管隷を行ったことに根ざしているが、それらが失われたことで弁官は独立性を喪失した。これが文書行政の進展による政務の変化と同期していることは、文書行政の進展が文書への習熟のみによって実現するのではなく、太政官の秩序の変化、律令制下に残存していた伝統的かつ素朴な作法の放棄をも伴わなければならなかったことを示す。以上のように、文書行政の進展は政務の方法や意識の抜本的変革を必要とし、十世紀前半まで徐々に進行したのである。