著者
柏瀬 愛子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.215-222, 1976-03-15

コダーイは,「音楽はすべての人のためのものである.その教育が,ある一部の特別な人にのみ行なわれるものであってはならないし,またどんな領域においても,人をして「名演奏家」に仕込むものではない.一般大衆が,音楽の良さがわかり,それを楽しむようでなくてはならない.」と常に述べ,音楽を愛し楽しむ手段として人々に勧めたのがうたうことであった.自らも,歌唱教材となる作品を多く作り,これを使ってこども達の教育にあたった.このコダーイの生みだしたうたうことによって行なう教育は,声楽の分野だけをしめるものではなく,器楽教育の中でも生かされるべきものである.ハンガリーの器楽教育で中心的役割を果たしているのは,国営の器楽学校である.そこで指導を受けている人の46%がピアノの学習者であると伝えられているが,この人達の練習課程をみると,初めの1年は肉声による音階練習の期間である.つまり,ピアノを志すものであっても,音に対しするどい感覚がもたれるように,うたうことによって訓練されるのである.次いで6年間にわたってあらゆるピアノ奏法に対する訓練がなされ,コースを終わる頃にはメンデルスゾーンの無言歌集やバッハの2声インベンシヨンが上手に弾きこなせるようになるといわれている.この間ピアノに触れるようになった1年目では,とり扱われる曲数はわずか5曲ぐらいといわれている.1つの曲であらゆるテクニックの勉強が行なわれ,音楽的想像がもたれるように指導されていく.また,曲を完全に自分のものにしきってしまうということも課せられているそうである.練習はただ多くの曲を弾きこなせるようにさせればよい,というものではない.弾く過程でどのような体験をさせるかということで基礎が身につくものであるといえよう.日本のピアノ教育では,依然として,百年以上を経た教則本であるバイエル,ツェルニーを利用されることが多い.こうした教則本を使ってレッスンするにしても,コダーイの理念に基づいたうたう指導と,あらゆるテクニックをもりこんだレッスンがとり行なわれたなら,手の動きに結びついた音のイメージを強くした奏法から脱してゆくのではないだろうか.現にコダーイメソードによって指導した2人の演奏は,他のどの子よりも音のひびきに生きたものを感じさせられた.また,いつも歌いながら楽しんで弾いている姿が見受けられる.今回は対象が個人レッスンの2名だけであったが,機会があれば幼稚園などのグループレッスンでコダーイ・メソードによる楽器指導の実践を試みてみたいと考えている.また,大学生に対する方法も研究してみたい.
著者
柏瀬 愛子 小西 由利子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要. 人文・社会編 (ISSN:09152261)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.125-132, 1994-03-05

子どもたちの表現活動を「豊かにさせたい」と願うならば,当然,人的環境である指導者自身の表現力が問われることになる。内面的,主観的なもの(自己の心に描かれた思い)を何等かの手段に託して表出するということは,演技力もさることながら,自己がもつ感性とイメージする力に支配される。従って,教員養成校の学生にとって大切なことは,あらゆる場合,臨機応変で,しかも素直な直観的行動(イメージする力)が取れることであろう。イメージの育て方は,絵画をはじめ多岐に渡るが,今回は子どもの生活と切り離すことのできない音楽活動(調性嗜好)を取り上げ調査してみた。イメージの育成に関しては,技術の優劣より直観的発見とそれを如何に表現するかの力量に掛かって来る。今回の「調べ」についての調査は,一応,最低線の楽典が理解されている学生がもつ,内的感情を素直に表現させる素地を作ろうと試みたものである。2大学の学生で領域「表現」の授業を取っている者168名を調査対象とし,指導者の移調演奏するアメリカ民謡「メリーさんのひつじ」を聴き,好みの調性をえらばせることを手始めに,既成の詞にメロデーを付けたり,既成曲に合う作詩をさせたりしたものから,学生の好む調性を知ろうとしたものである。我々は,今回の調査結果で学生に不足している諸々を発見した。今後の授業方針として,この結果を踏まえ,調性の理解が深められる内容を盛り込んでいきたいと考える。
著者
柏瀬 愛子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.187-198, 1977-03-15

知能と音楽的能力の相関については,未だ十分明らかにされていない.しかし,鈴木鎮一氏は,「音楽はどの子も教え方一つで育つものである」,「人間の音感覚は3才頃をもって,もっともよく発達し成人とほぼ同じ能力をもち出す」,「手指の運動は脳の発達を促す」など述べておられる.こうした説からいっても幼児期での楽器指導は大切な活動の一つであり,知能発達の誘因ともなるといえよう.音感教育にもっとも適しているのが旋律楽器であることはいうまでもないが,中でもとくに笛,ハーモニカ,バイオリンなど,鍵盤をもたない楽器は,自分の耳だけを頼りに音を捜さねばならないので,より絶対音感が身につくとされる.しかし,こうした楽器を幼ない子どもの集団保育の中に採りいれることは容易なことではない.そこで比較的取り扱いがやさしい鍵盤ハーモニカによる楽器指導が,早期音楽教育の叫ばれだした今日,盛んになりだしたのである.ピアニカの演奏がやさしいとはいえ,子どもたちにとっては,そう簡単なことではない.「早くまとまった曲を演奏させたい.」それも「上手に」などと,その結果はあせるあまりに導入をおろそかにし練習を強要すれば,子どもたちは楽器に対する興味を失ないその練習に負担を感じだす.一旦興味を失なったなら上達は望み薄いこととなる.また,このことから端を発して,すべての音楽活動を嫌うようになるかも知れない.(音楽嫌いの多くは,練習の強要とその過程の中でおこる劣等感からだともいわれる.)子どもの楽器指導は,それがどんな種瀬の楽器であれ,子どもの心に負担を感じさせることなく,楽しいあそびとして受け入れられるものでありたい.またその練習は,もちろん自発的になされるものであって,強要されてはならない.こうしたことをふまえた上で指導者は次の事項に留意すべきであろう. 1)十分検討された無理のないカリキュラムによる指導. 2)一度体験させたことは,何度もくり返しを行ない,十分理解をもたせるようにすること 3)いたずらに多くの活動を与えず,応用,活用の体験をもたせていくこと. 4)子ども自身に発見させること. 5)楽器の練習としてではなく,総合的な音楽体験を与えるようにすること.6)「きかせる」ことを大切にすること. 音楽教育はただ芸術教育,情操教育としてとらえるだけのものではない.人間形成の一端を荷なう大切な役割をもっていることを常に心して,その指導にあたらねばならない.音楽することを楽しみ,音楽が好きになる心を育ててこそ,感覚の発達,ひいては知能の発達も促がされるではないだろうか.今回のピアニカ一斉指導では,いろいろのことを体験した.この体験を生かして,いま一度本学付属幼稚園の年中児(4才児)を対象とした指導を,毎日,自分の手によって行なってみたいと思つている.