- 著者
-
桝田 一二
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 地理 (ISSN:21851697)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, no.1, pp.29-51, 1940-01-01 (Released:2010-03-19)
- 参考文献数
- 10
菅平の保持する一、三〇〇米の高距的位置は氣温を著しく遞減し、無結霜期間僅かに一二五日、加ふるに長期の深雪は農作期間を極度に短縮せしめた。從つて土地利用度を低下し、夏作の畑作のみの一毛作とし、作物を著しく制約附け、冷凉地域の農作物、即ち北海道地域の耕作景觀を現出した。夏作一毛作への制限は其收穫量を高めるため耕地も一戸當二町歩強として耕作地積を増加せしめた。養蠶に於ては僅かに秋蠶の單一飼育に限られた制約は雁行的集約飼育となり、換金價値のより大なる養蠶業の進出は嘗て最も重要農作物たりし小麥を勞力對抗上より驅逐し、廣大な蠶室の擴張となつて家構を特色づけた。農繁期の勞力不足は馬力に依據して高度の農繁に對抗した。蓋し勞力配分の高度の偏夏型は稀に見る所であつた。其反面極端に長い冬籠は出稼も見ず久しく籠居隔絶境を續けた。此間自給自足農業で肥料は馬の厩肥に大部分依存した。最近縣道の改修延長に伴ひ自動車の連絡はスキー客を招致し、廣大な蠶室を宿舍に提供し、これに誘因して今日の躍進を來たし、餘剰勞力は活用せられ、スキー客の人肥は新しく蔬菜栽培の新作物の獲得を見、低位平地作に比し早期出荷に於て特殊の經濟的市場圈を獲得するに至つた。擱筆に當り絶えず御指導を賜つた田中教授、本調査に種々便宜を與へられた佐々木事務官並に現地調査に際し資料を提供された下平初治・金井庄三郎・小林八郎・山口嘉市・佐藤恭次郎諸氏並に菅平ホテル、北信牧場事務所其他各位に感謝する次第である。