- 著者
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森 宜人
- 出版者
- 社会経済史学会
- 雑誌
- 社会経済史学 (ISSN:00380113)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.1, pp.71-91, 2011
ドイツでは,国家的失業保険が未整備の中,19世紀末より都市レベルでの失業保険が実施された。その主流となったのは,失業した組合員に失業手当を給付する労働組合に対して,その給付額に応じて都市自治体が補助金を支出するガン・システムであった。ガン・システムには,労働者層の大部分を占める非組織労働者の排除や,自由労働組合への支援を通じた社会民主勢力の拡大の可能性などの問題が内包されていたが,多くの都市でその導入が検討された。大ベルリン連合内のシェーネベルクとシャルロッテンブルクもその一例である。シェーネベルクでは,ガン・システムを中核としつつ,非組織労働者をも包摂し得る制度が策定され,比較的早期に失業保険の導入が果たされた。他方,シャルロッテンブルクでも同様に非組織労働者の加入を重視した制度が策定されたが,市議会においてその導入は否決された。本稿では,この対照的な帰結がみられた両都市の比較分析を中心に,当時の都市行政の政策理念となっていた「都市の社会的課題」に即してガン・システムが受容された歴史的コンテクストを明らかにする。