著者
川本信正森川貞夫編
出版者
大月書店
巻号頁・発行日
1987
著者
森川 貞夫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.27-42, 2010-03-20 (Released:2016-10-05)
参考文献数
11

日本の全国的統轄スポーツ組織である体協(Japan Sports Association)・JOCはオリンピック大会に参加するために1911年に創立された。しかし体協・JOCは創立以来、スポーツの振興を多くのスポーツ愛好者に基礎を置いて進めるというよりは、政府・財界に寄生しながら今日まで進めてきたために未だ財政的にも組織的にも自立しえないでいる。したがって、戦前も戦後も「国策としてのスポーツ」への協力・推進と「競技力向上」に実際の活動・事業の力点が置かれてきた。 1970年代前後の国際的な「スポーツ・フォア・オール」運動の進展に呼応するように一時日本でも国のスポーツ政策に路線の転換が行われたが、21世紀直前より再びオリンピック大会での「メダル獲得率」を目標にした「強化策」と結びついた「スポーツ立国」論という、大国主義的イデオロギーを中核にした「国策としてのスポーツ」論が幅をきかせ始めている。 本論では、これまでの「国策としてのスポーツ」論を歴史的に追求しながら、さらに今日の「スポーツ立国論」が結局は「メダル獲得率」を目標とする「強化策」と結びつき、必然的に「実績主義」「メダル主義」に陥らざるを得なくなるという問題点を指摘し、それをどのように克服していくかの展望を「スポーツの高度化とスポーツの大衆化の統一」という視点から叙述する。
著者
森川 貞夫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.24-49,126, 2000
被引用文献数
1

東京高等師範学校-東京文理科大学-東京教育大学につながる同窓組織「茗渓会」は, 戦前戦後を通じて日本の教育界に有数の人材を輩出したばかりでなく, 日本のスポーツの普及・発展にも大きな役割を果たした。しかしそれは同時に天皇制ファシズムの下では国家的イデオロギーと結びついたスポーツ政策と一体のものであった。しかも東京高師設立の目的が師範学校校長および教員を養成することであったこと, また実際に卒業生の大半が戦前においては全国の中等学校・師範学校および教育行政の中枢にあったためにかれらは, その国家的イデオロギーを率先実行する「下士官」の役割をになわざるを得なかった。したがってスポーツに限ってみても日本のスポーツの普及・発展に貢献すると共に戦前のスポーツによる国威発揚・体力向上・思想善導政策に積極的に加担していくという東京高師出身者の歴史的・社会的役割は避けがたいものであった。しかしその体質は戦後のスポーツの民主化の際に「戦争責任」や「戦争反省」を深く問うこともなく, 無批判に体制に順応し自らが積極的に従属していくというものであり, 今なおその体質が問われるところである。このような体質はスポーツ界にあっては支配的ではあるが, すべての者がそのような立場に立つというわけではない。それを分けるのは東京高師出身者の社会的階層が丸山真男のいうところの中間層の, 主として「第一類型」に属しているところから来るものであり, 国民大衆の側につくのか, 支配的権力の側につくのかの「動揺」はたえずつきまとうものであり, その選択は個人の主体形成に関係する。しかもそれはまた内部での「凌ぎ合い」に加えて, 外部での茗渓外出身者との「覇権争い」もあり, たえず自己矛盾に苛まれざるを得ないものである。