- 著者
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森木 良太
小寺 浩二
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2008, pp.113, 2008
新河岸川は江戸時代から舟運が盛んであり、流域には舟問屋が建ち並んでいた。東上線開通後は水上交通が衰退しつつあったが、流域には水田が広がり、現在でも河川との関わりは深い。一方、支流上流部や河川から離れた地域においては、江戸時代から茶や芋の生産が盛んである。畑作中心の地域では、本川や流域下流部とは異なり、河川への関わりはあまりない。本研究では流域全体の小学校の校歌を調べ、自然景観との関わりの地域差を明らかにする。 小学校は、川越市、ふじみ野市、富士見市、志木市、朝霞市、新座市、和光市、所沢市、狭山市、入間市の公開分の校歌を使用した。 新河岸川流域について歌われている小学校は108校中28校であった。富士見市、朝霞市、新座市の小学校で多く歌われていることがわかった。一方、同じ流域であっても、所沢市、狭山市ではあまり歌われていない。新河岸川流域は、戦後のベットタウン化により新設された小学校が多いが、昭和以降に新設された小学校ほど流域の表現が歌詞に出てこない傾向があった。 新河岸川流域の歌詞が存在する小学校の多くが、明治時代からあった小学校だということがわかった。ただし、歴史のある小学校でも新河岸川流域の表現が歌詞に出てこない小学校はあった。流域で最も歴史のある小学校は川越や志木、所沢にあり、いずれも明治初期に開校しているが、いずれも新河岸川流域が歌われていない。川越で最も古い中央小学校では、歌詞には入間川の表現が使われ、新河岸川の表現が出てこなかった。