著者
森本 岩太郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.95, no.4, pp.477-486, 1987
被引用文献数
11

打ち首(斬首)の所見が認められる古人首例は比較的少なく,偶然に発見されたとしても,頭蓋の刀創などから斬首を間接的に想定した場合が大部分を占めると思われる.著者が最近経験した鎌倉市今小路西遺跡出土の南北朝期(14世紀後半)に属する斬首された2個体分の中世頭蓋の場合は,切られた上位頸椎が一緒に残っていたので打ち首の技法がよく分かる.当時の屋敷の門付近に,A•B2個体分の頭蓋と上位頸椎だけが一緒に埋められていた.首実験後に首だけが遺族に返されず,そこに仮埋葬されたものであるらしい.2体とも男性で,年齢は A が壮年期前半,B が壮年期後半と推定される.頭蓋は無傷で,それぞれの頸椎が日本刀のような鋭利な刃物により切断されている.頭蓋と第1~3頸椎からなる男性 A の場合,切断面は第3頸椎体の前下部を右後下方から左前上方へ走って椎体の途中で止まり,その先の椎体部分は刀の衝撃によって破壊され失われている.切断面の走向からみて,第4頸椎(残存せず)を右後下方から切断した刃先が第3頸椎体に達して止まったと思われる.頭蓋と第1~4頸椎からなる男性 B の場合,主切断面は第4頸椎の中央を右からほぼ水平に走っている.切断面より上方にある右横突起と右上関節突起の上半部だけが残存し,それ以外の第4頸椎の大部分は失われている.A の場合と同様に,刃先が第4頸椎の椎体の途中で止まって,その先の部分が破壊されたものと推定される.別に第3頸椎の左下関節突起先端部から右椎弓根基部上面へ向けて椎体を左下方から右上方へ斜めに走る副切断面があり,この副切断面によって改めて首が切り離されている.失われた第3頸椎の椎弓板もこのとき壊されたと思われる.切断面の走向からみて,両個体とも,垂直に立てた頸部を横切りにされたというよりは,むしろ正座のような低い姿勢をとって前方に差し伸べた頸部を,左側やや後方に立った右利きの執刀者により切り下ろす形で右背後から鋭く切断され,絶命したと推定される.この際,首は一気に切り落とされていない.これは俗に「打ち首はクビの前皮一枚を残すのが定法」と言われるところに近似の所見であり,この技法の確立が中世までさかのぼり得るものであることが分かる.2体とも最初に第4頸椎部を正確に切断され,頭蓋には刀創の見られないところから,同一の練達者によって斬首されたと推測されるが,切られたほうも死を覚悟した武士であったかも知れない.英国のSutton Walls 出土の鉄器時代人骨における斬首例のように,首を刀で一気に切り離すのが昔のヨーロッパ流のやり方とすれば,中世における日本の打ち首では頸部を後方から半切して処刑する点にその特徴があると思われる.
著者
森本 岩太郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.95, no.4, pp.477-486, 1987 (Released:2008-02-26)
参考文献数
6
被引用文献数
10 11

打ち首(斬首)の所見が認められる古人首例は比較的少なく,偶然に発見されたとしても,頭蓋の刀創などから斬首を間接的に想定した場合が大部分を占めると思われる.著者が最近経験した鎌倉市今小路西遺跡出土の南北朝期(14世紀後半)に属する斬首された2個体分の中世頭蓋の場合は,切られた上位頸椎が一緒に残っていたので打ち首の技法がよく分かる.当時の屋敷の門付近に,A•B2個体分の頭蓋と上位頸椎だけが一緒に埋められていた.首実験後に首だけが遺族に返されず,そこに仮埋葬されたものであるらしい.2体とも男性で,年齢は A が壮年期前半,B が壮年期後半と推定される.頭蓋は無傷で,それぞれの頸椎が日本刀のような鋭利な刃物により切断されている.頭蓋と第1~3頸椎からなる男性 A の場合,切断面は第3頸椎体の前下部を右後下方から左前上方へ走って椎体の途中で止まり,その先の椎体部分は刀の衝撃によって破壊され失われている.切断面の走向からみて,第4頸椎(残存せず)を右後下方から切断した刃先が第3頸椎体に達して止まったと思われる.頭蓋と第1~4頸椎からなる男性 B の場合,主切断面は第4頸椎の中央を右からほぼ水平に走っている.切断面より上方にある右横突起と右上関節突起の上半部だけが残存し,それ以外の第4頸椎の大部分は失われている.A の場合と同様に,刃先が第4頸椎の椎体の途中で止まって,その先の部分が破壊されたものと推定される.別に第3頸椎の左下関節突起先端部から右椎弓根基部上面へ向けて椎体を左下方から右上方へ斜めに走る副切断面があり,この副切断面によって改めて首が切り離されている.失われた第3頸椎の椎弓板もこのとき壊されたと思われる.切断面の走向からみて,両個体とも,垂直に立てた頸部を横切りにされたというよりは,むしろ正座のような低い姿勢をとって前方に差し伸べた頸部を,左側やや後方に立った右利きの執刀者により切り下ろす形で右背後から鋭く切断され,絶命したと推定される.この際,首は一気に切り落とされていない.これは俗に「打ち首はクビの前皮一枚を残すのが定法」と言われるところに近似の所見であり,この技法の確立が中世までさかのぼり得るものであることが分かる.2体とも最初に第4頸椎部を正確に切断され,頭蓋には刀創の見られないところから,同一の練達者によって斬首されたと推測されるが,切られたほうも死を覚悟した武士であったかも知れない.英国のSutton Walls 出土の鉄器時代人骨における斬首例のように,首を刀で一気に切り離すのが昔のヨーロッパ流のやり方とすれば,中世における日本の打ち首では頸部を後方から半切して処刑する点にその特徴があると思われる.
著者
森本 岩太郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.367-374, 1971 (Released:2008-02-26)
参考文献数
20
被引用文献数
2 2

愛媛県上黒岩岩陰遺跡出土の,縄文早期中葉に属する12~14歳の若年者1体の脛骨は,扁平度が強く,VALLOIS 法による脛指数は54.7を示した.これに対し,日本各地で得られた縄文後•晩期の同年齢者6体の脛指数の平均は77.7であり,扁平脛骨は1例もみられない.一般に扁平脛骨は思春期以後に発現する形質とされているので,上黒岩岩陰の若年者の扁平脛骨は,縄文早期人が後•晩期人よりやや早熟の傾向をもつことを物語るものとして注目される.この上黒岩の若年者の扁平脛骨では,骨幹の周径に対する横断面積の比率が,縄文後•晩期若年者の脛骨に比べて小さく,骨質の不足がうかがわれる.若年者の場合だけでなく,上黒岩岩陰の縄文早期に属する成人7体の脛骨も,各地で得られた縄文後•晩期の成人113体に比べると,骨幹が細い.脛骨骨幹横断形の変異が,下肢運動に対する脛骨の栄養学的•構築学的反応の表われであるとするならば,上黒岩岩陰の若年者の扁平脛骨は,縄文早期の生活条件が後•晩期に比べていっそうきびしかったことを反映するもののように思われ,興味深い.