著者
楠田 剛士
出版者
九州大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

報告者は、長崎原爆の文学/表象に関して、二つの側面から資料調査と分析を行った。ひとつは、前年度から引き続き、非被爆者の作家たちが、原爆の事実と虚構を織り交ぜて小説を書くという方法に関するものである。具体的には、1「井上光晴『明日-一九四五年八月八日・長崎』における「再現」の方法」という論考を発表した。そこで明らかにしたことは、原爆投下前日を再現するという井上の試みが、同時代的な被災地復元運動の成果を取り込んでいること、引用された資料が小説の下敷きの意味に留まらず作品内で独自の機能を果たすことである。それを踏まえ、虚構の登場人物たちそれぞれの経歴を繰り返し描き、原爆で失われた無数の過去を物語の形で取り戻そうとする小説『明日』を、原爆の表象不可能性の問題に対する井上の真摯な応答として評価した。もうひとつは、被爆者自身による表現活動への注目であり、やはり前年度から調査を進めていた一九五〇年代の長崎原爆の表現である。それは、2「山田かんとサークル誌」としてまとめ、さらに資料編として3「長崎戦後サークル誌「芽だち」総目次」を作成した。長崎における戦後文化運動の一例としてサークル誌「芽だち」を取り上げ、先行資料をまとめた上で、詩人・批評家として活躍した山田かんの出発点に「芽だち」があること、長崎の被爆者・労働者による原爆表現・運動として資料性・重要性があること、長崎における他のサークルや以後の平和運動とのつながりを考える上で「芽だち」が重要な結節点であることなどを指摘した。2を補足する3の総目次は、記事情報の共有化によって今後の研究を促進するものとして意義があると考える。以上が本年度の主な研究成果である。