著者
横手 直美 玉田 敦子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.52-56, 2019-01-25

はじめに 日本の無痛分娩の割合は欧米の医療先進諸国と比べて低いが,その割合は2008年の2.6%(厚労省研究班)から2016年は5.2%(日本産婦人科医会)と2倍に増加している。 日本産婦人科医会は,2017年8月に「無痛分娩を提供する施設では,器械分娩や分娩時出血異常,麻酔合併症などに適切に対応できる体制を整える」1)という提言を出した。しかし,従来の日本の助産教育は正常分娩の介助に主眼があり,基礎教育のテキスト等では無痛分娩に関する歴史的背景やケアの具体的な指針は見受けられない。 筆者らは,臨床現場の助産師らがジレンマや葛藤を抱きながらも,日々の助産実践を通して,安全と快適な助産ケアを探究している様子から,無痛分娩の先進国フランスの助産ケアがヒントになるのではないかと考え,パリの助産師学校と大規模産院の視察を行った。
著者
横手 直美 玉田 敦子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.138-142, 2019-02-25

はじめに 前号(1月号)ではフランスにおける麻酔分娩の実際と助産教育について報告した。麻酔分娩がデフォルト(標準設定)となった現在,麻酔分娩から自然分娩へ回帰しようとしている女性,そのケアに戸惑いを示す助産師がいることも分かった。本稿ではこの問題を指摘し,積極的に活動している民間団体と新しい取り組みについて紹介する。
著者
横手 直美
出版者
日本母性衛生学会
雑誌
母性衛生 = Japanese Lournal of Maternal Health (ISSN:03881512)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.432-438, 2005-01-01
参考文献数
11
被引用文献数
1

本稿は, 緊急帝切で生児を出産した女性の産褥1週間における出産体験の認識をトラウマという視点から分析し, 緊急帝切におけるトラウマの要因を知ることを目的とした。民間の産婦人科病院で, 緊急帝切で生児を出産した産褥入院中の女性11名に対し, 2回の半構成的面接(産褥2日, 7日)と参加観察を行い, 逐語記録とフィールドノートから得られたデータを分析した。その結果, 今回の出産をトラウマとして認知していた者は8名で, トラウマの要因として, 母体側要因の【猛烈な陣痛の痛み】【極度の疲労感】【わが身に死が迫る実感, 恐怖】【状況に抵抗できない無力感】【陣痛に屈してしまう無力感】, 児側要因の【児死亡の恐怖】【出生後の後遺症の心配】, 環境要因の【出産環境の急激な変化】【予想外の緊急手術による準備不足】という9要因が抽出された。以上から緊急帝切における女性のトラウマは, 手術そのものよりも, 手術に至るまでの過酷な陣痛体験と手術が必要となった逼迫した状況下での恐怖や無力感と関係があると考えられた。医療者は, たとえ緊急帝切によって母児が救命されても, 女性が出産体験をトラウマとして認知している可能性があることを十分認識する必要がある。
著者
堀井 直子 三浦 清世美 久米 香 横手 直美 中山 奈津紀 青石 恵子 田中 結花子 山口 直己 足立 はるゑ
出版者
中部大学
雑誌
中部大学生命健康科学研究所紀要 (ISSN:18803040)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.11-20, 2008-03
被引用文献数
1

目的 看護大学生の学習ニーズを反映させた教育方法を検討するために、入学時に学生が保健看護学科を選択した動機を明らかにする。方法 予備調査として、2006年5月に保健看護学科2006年度入学生81名を対象に、学科志望動機に関する記述を求め内容の分析をした。次いで本調査を2007年7月〜9月に保健看護学科2006年度入学生80名および2007年度入学生124名を対象に、予備調査の結果をもとに作成した学科志望動機質問紙(無記名自記式)を用い、集合調査を行った。結果 入学生の志望動機は、2006、2007年度ともに、「社会に出てから人のために役立つ仕事がしたい」「看護師・保健師の国家試験受験資格が得られることに魅力を感じた」「身近な人を助けたい」が全体の83〜92%の割合を占め上位であった。また「人とコミュニケーションをとることが好き」「人の世話が好き」なども約70%の学生が挙げており、看護を目指す学生は、人と関わることが好きで、看護職を、資格の取れる、人のためになる仕事であると認識して志望していると言える。また入学時と現在の「看護を学びたい思いの強さ」は、2006年度生は入学時"強い"45.6%が現在21.5%へ減少した。2007年度入学生は入学時"強い"43.4%から現在54.9%に増加していた。入学時の志望動機を大切にし、学習意欲の向上と職業的責任の自覚を強化していくための教育方法の工夫が必要であることが示唆された。