著者
橋本 道範
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.129, no.6, pp.32-48, 2020 (Released:2021-09-09)

本稿は、環境史的視野をもった消費論、環境史的消費論を構築するために、中世の近江国菅浦における産物の消費実態の考察から、生業の構造とその変化を解明したものである。 網野善彦が「湖の民」と述べたように、菅浦については内水面を対象とした二つの生業、漁撈と水運に従事したムラというイメージが流布している。しかし、まず近世菅浦研究がそのイメージを一新し、中世菅浦研究もそれに続こうとしている。それは、アブラギリ生産など、「集落とその背後などの陽当たりのよい傾斜地」を対象とした生業の重要性を提起したものと総括できる。 建武二年(一三三五)に進上を誓約したとされる供御、コイ、ムギ、ビワ、ダイズのうち、コイが長禄元年(一四五八)には代銭納化されていたのに対し、ビワは禁裏に献上され、都市領主社会内部でも分配されていた。十五世紀の王権と都市領主にとっては、菅浦はビワの名産地という位置づけであった。 一方、琵琶湖地域内での贈答をみると、菅浦産コイの贈答も確認できるものの、もっぱら菅浦から贈答されるのはビワとコウジであった。いずれも「集落とその背後などの陽当たりのよい傾斜地」の産物である。ここで注目したいのは、反対に菅浦へと贈答されるもののなかに、琵琶湖産淡水魚のフナ・ウグイ・アユがみえることで、もし菅浦の主たる生業が漁撈であれば贈答されるとは考えにくい。地域内の消費実態からも中世菅浦の生業の重心が、内水面ではなく、「集落とその背後などの陽当たりのよい傾斜地」に置かれていた可能性は高い。 中世菅浦は、多様な生業を複合的に組み合わせて生存していたが、消費論はこうした複合する生業を羅列的に明らかにするだけでなく、それらの首都や地域における価値づけなど、階層的構造とその変化を解明する可能性を秘めている。その上で、この構造と自然条件との関係が解明できれば、地域環境史にも貢献できると考える。
著者
橋本 道範
出版者
史学会 ; 1889-
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.129, no.6, pp.986-1002, 2020-06