著者
橘田 誠
出版者
法政大学公共政策研究科『公共政策志林』編集委員会
雑誌
公共政策志林 = Public policy and social governance (ISSN:21875790)
巻号頁・発行日
no.8, pp.1-13, 2020-03

本論文の目的は,1956年に創設された政令指定都市に行政区が設けられた経緯をふまえ,行政区の現状と今後の展望を考察することである。政令指定都市は,市域内に区域を分けて行政区を設け,区の事務所(区役所)を置き,市長の補助機関として事務所の長である区長を配置している。本論文では,まず,戦前からの行政区制度の理論的研究と政令指定都市の増加に伴い行政区が多様化していることを整理した先行研究を紹介する。第2章では,戦前の郡区町村編制法の区,市制と市制改正後の区,地方自治法に規定された区の形態から,1956年に政令指定都市の行政区制度が創設されるまでの沿革をまとめている。第3章では,政令指定都市の行政区の現況を概観して,行政区の機能・役割が多様化していることに言及する。第4章では,国における第30次地方制度調査会等の大都市制度改革議論と行政区制度の関係を整理する。最後に,第4章で紹介した大都市制度改革議論の結果,制度化された仕組みを活用した行政区改革の選択肢を示した上で,大都市自治の拡充という視点から,行政区制度の利点を活かした都市内分権を進めるための方向性を提示する。
著者
橘田 誠
巻号頁・発行日
pp.1-233, 2014-03-20

本稿は戦前期からの大都市自治拡充運動の成果として、1947(昭和22)年に地方自治法によって制度化された特別市制度が施行されることなく廃止された過程や背景について、横浜市の神奈川県からの分離独立の歴史的経過に焦点を当て、考察することによって、制度が実現しなかった要因の一端を明らかにしようとするものである。まず、大都市制度の見直しが地方分権改革の俎上に上がっていた2011(平成24)年33月に、都道府県を対象とした大都市制度など地方自治制度に対するアンケート調査を実施し、都道府県の姿勢を明らかにした。この結果をふまえ、従来の特別市制運動論については、五大都市と五大府県との対立点という枠組みで論述されることが多かったが、本稿では、これまで必ずしも詳細に整理されてこなかった個別府県と個別市の関係性を、具体的には神奈川県と横浜市の論争に焦点をあてて、特別市制問題の基層を分析することを試みた。1947(昭和22)年に地方自治法で規定されながらも、憲法95 条の地方自治特別法に基づく住民投票範囲の変更により、直接的に特別市の実施を阻んだと指摘される要因には、GHQの存在があるが、その中でGHQの政策決定に影響を与えた有力人物の一人が、地方自治制度に必ずしも精通していなかった外交官出身の神奈川県知事であった内山岩太郎である。内山の主張は、GHQの意向を踏まえた、府県知事公選や地方分権といった地方自治改革の基本的な考え方を論拠としたものであり、その主張が功を奏したと思われがちであるが、一方で横浜市の位相がこれに影響を与えた可能性も高い。具体的には、神奈川県と横浜市の対立のみならず、横浜市と川崎市という自治体間関係が輻輳し、特別市が実現しなかった遠因となったことも史料により明らかにする。我が国の地方自治制度改革議論は、広域自治体と基礎自治体が併存する地方自治二層制が議論の前提となっている。戦前からの特別市の制度化を求める動きは、官治・集権へのアンチテーゼである大都市自治の拡充運動であり、市民に最も近接した自治体が求める究極の地方分権の姿でもあった。しかし、一層制地方自治制度を志向した大都市を初めとした基礎自治体と二層制地方自治制度の堅持を志向した府県である広域自治体の軋轢で制度が成立しなかった歴史的動向を整理することで、今日的な意義を明らかにしようとするものである。