- 著者
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櫻井 敏雄
- 出版者
- 近畿大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2002
本研究では城下町など、歴史的背景をもつ都市空間や集落において、社寺建築のもつ空間がどのような関わりもってきたかを著名な、ないし由緒のある社寺を通じて分析、考察したものである。社寺建築を個別的な建築の集合と見るのではなく、それら取り巻く境内全体を境内の外部空問の変容や、その周辺の空間を含めて検討したものである。都市空間の中心部は政治・経済・商業の中心となり、人間が集住する空間を狭め、一方で中心部は空洞化する現象を生み出している。本研究で扱った社寺の境内や門前の空間は経済性を追求する都市空間によって侵食され急激に変貌したが、宗教的・祝祭的空間は二度と再生できない空間である。そのためにはこの種の空間が町とどのような意味と係わり合いをもってきたか、ないしもっているかを明らかにし、見落としていた事実を掘り起こし、現在の都市の町づくりの中で再考する必要がある。本研究では大阪では大阪天満宮と天神祭り・天神橋筋・淀川、江戸では仲見世として賑わう浅草寺・浅草神社の境内の建築構成と歴史的変容の過程を考察し、戦災にあわなかった城下町金沢では観音院と東茶屋町(伝統的建造物保存群)の成立過程、卯辰山麓寺院群との関連性などについて検討した。その結果、江戸時代における庶民と祭事の関わりや、その重要性が認識され、為政者による行楽の場としての空間が現在の都市空間に大きな足跡を残し、ゆとりと行楽の場としての役割をなお留めている事実を明らかにすることができた。