著者
殷 晴
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.127, no.12, pp.1-38, 2018 (Released:2019-12-20)

邸報(邸抄・京報・京抄とも呼ばれる)とは、宮廷の動静、皇帝の諭旨、大臣の上奏文を日ごとにまとめて掲載した小冊子である。清代の官僚と知識人、そして中国に滞在していた宣教師や外交官にとって、邸報による中央情報の共有は、社会情勢を把握するための重要な手段であった。 しかし、邸報が実際に如何なる過程を通じ、誰の手によって発行され、流通させられたかについては、不明な点が数多く残されている。本稿では邸報の発行と流通過程を解明し、この過程に見られる清朝中央情報の伝播のあり方を考察した。 『大清会典』における邸報についての規定は、実際には遵守されていなかった。諭旨と上奏文を集めて筆写したのは中央官庁に勤務する書吏であり、邸報の印刷も清朝の約三分の二の時期において、民間の商業出版者に委ねられていた。また、邸報の内容には諭旨と上奏文のみならず、王公の従者が私的に探った非公式の政治情報も含まれていた。中央政府は邸報による情報伝播に対し、内容の編集・審査も、印刷と配達用の資金の提供も行わず、誤報が摘発された際に関係者を処罰するという最小限の関与にとどめる姿勢を貫いていた。中央政府が政令を邸報を通じて積極的に公布しようとしたというよりも、むしろ、書吏と業者は地方官をはじめとする人々の中央情報への渇望に応じる形で、政府内部でやり取りされた情報から邸報という商品を作り出し、中央政府がそれを許容したのである。 19世紀末になると、情報発信に対し受け身の姿勢にとどまっていた清朝中央の従来の方針は、近代化の要請に対応できなくなった。こうした状況の下、中央政府は1907年に『政治官報』を発刊し、さらには1911年にそれを『内閣官報』と改称して、「法律、命令の公布機関」と位置づけた。邸報と近代的な官報とでは、政策意図の面でも、発行と流通の仕組みの面でも、根本的に異なると言える。