著者
殷 燕軍
出版者
関東学院大学経済経営研究所
雑誌
関東学院大学経済経営研究所年報 (ISSN:13410407)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.131-150, 2013-03

中国では,11月8日から始まった共産党第十八回代表大会は,2002年に最高指導者となった胡錦濤(Hu Jintao)の替わりに,習近平(XI Jinping)を総書記とする新執行部が選ばれた。また今年の3月に開かれる全国人民代表大会にて国家主席にも選ばれ,名実ともに中国の最高指導者になった。まさに10年一度の世代交代である。2002年胡錦濤氏をはじめとする中国指導部から10年経ったいま,中国の対外政策の変化も見え始めている。本稿は,21世紀最初の10年における胡錦濤体制の対外政策を振り返りつつ,習近平新体制の対外政策を予測してみたい。
著者
殷 燕軍
出版者
関東学院大学経済経営研究所
雑誌
新世紀 : 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派機関誌 (ISSN:13447904)
巻号頁・発行日
no.274, pp.153-151, 2015-01

中国では,11月8日から始まった共産党第十八回代表大会は,2002年に最高指導者となった胡錦濤(Hu Jintao)の替わりに,習近平(XI Jinping)を総書記とする新執行部が選ばれた。また今年の3月に開かれる全国人民代表大会にて国家主席にも選ばれ,名実ともに中国の最高指導者になった。まさに10年一度の世代交代である。2002年胡錦濤氏をはじめとする中国指導部から10年経ったいま,中国の対外政策の変化も見え始めている。本稿は,21世紀最初の10年における胡錦濤体制の対外政策を振り返りつつ,習近平新体制の対外政策を予測してみたい。
著者
殷 燕軍
出版者
関東学院大学経済経営研究所
雑誌
関東学院大学経済経営研究所年報 (ISSN:13410407)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.94-124,

1970年代はじめからスタートした米中関係改善と戦略的協議は,ただ単に米中両国間の問題ではなく,国際政治の枠組みに大きなインパクトを与え,世界を驚かせた。1949年の新中国成立後から22年も「隔絶」され,また朝鮮戦争やベトナム戦争により敵国同士となった米中両国は,自国の戦略的国益のため,極めて早いスピードで準同盟関係を結び,首脳同士の間にも一時的に「水入らず」的な信頼関係が形成された。しかも米国はアジア最大の同盟国である日本に事前通告なしで行なわれたため,戦後長い間米国の対中政策に追随してきた日本政府に大きく衝撃を与えた。言ってみれば米国の一種の対日裏切り行為である。そればかりではなかった。戦略交渉のなか,外交関係も持たない米中両国は,二国間問題,地域問題,世界問題など幅広く,深くかつ率直的な意見交換をし,日本問題は「意外」に重要なテーマの一つになった。1970年代の米中交渉は今日の米中関係の基礎とも言える重要な意味があり,その基本的原則は今日も変わっていない。他方,米中接近の連帯的効果として日中国交正常化が実現された。しかし米中接近にはなぜ「日本問題」は米中会談の一つのテーマにならなければならないのかが必ずしも検証されなかった。さらにこの二つの出来事は冷戦構造を変えたばかりではなく,東アジアの枠組みを変化させ,かつて単純な日米対中というイデオロギーで構成した「二者的関係」から日米中の三者関係へ変質させ,日米関係にも亀裂を生じさせた。本稿は近年米国側が公開した米中交渉に関する史料を根拠に,米中両国首脳の対日本認識と1970年代からスタートした日米中の三国関係を再考し,米中接近の意味,米中関係における日本問題の意味,日米関係における中国問題の意味を再吟味しようとするものである。
著者
殷 燕軍
出版者
関東学院大学経済経営研究所
雑誌
関東学院大学経済経営研究所年報 (ISSN:13410407)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.94-124,

1970年代はじめからスタートした米中関係改善と戦略的協議は,ただ単に米中両国間の問題ではなく,国際政治の枠組みに大きなインパクトを与え,世界を驚かせた。1949年の新中国成立後から22年も「隔絶」され,また朝鮮戦争やベトナム戦争により敵国同士となった米中両国は,自国の戦略的国益のため,極めて早いスピードで準同盟関係を結び,首脳同士の間にも一時的に「水入らず」的な信頼関係が形成された。しかも米国はアジア最大の同盟国である日本に事前通告なしで行なわれたため,戦後長い間米国の対中政策に追随してきた日本政府に大きく衝撃を与えた。言ってみれば米国の一種の対日裏切り行為である。そればかりではなかった。戦略交渉のなか,外交関係も持たない米中両国は,二国間問題,地域問題,世界問題など幅広く,深くかつ率直的な意見交換をし,日本問題は「意外」に重要なテーマの一つになった。1970年代の米中交渉は今日の米中関係の基礎とも言える重要な意味があり,その基本的原則は今日も変わっていない。他方,米中接近の連帯的効果として日中国交正常化が実現された。しかし米中接近にはなぜ「日本問題」は米中会談の一つのテーマにならなければならないのかが必ずしも検証されなかった。さらにこの二つの出来事は冷戦構造を変えたばかりではなく,東アジアの枠組みを変化させ,かつて単純な日米対中というイデオロギーで構成した「二者的関係」から日米中の三者関係へ変質させ,日米関係にも亀裂を生じさせた。本稿は近年米国側が公開した米中交渉に関する史料を根拠に,米中両国首脳の対日本認識と1970年代からスタートした日米中の三国関係を再考し,米中接近の意味,米中関係における日本問題の意味,日米関係における中国問題の意味を再吟味しようとするものである。
著者
殷 燕軍
出版者
JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.1995, no.110, pp.175-188,L16, 1995-10-21 (Released:2010-09-01)
参考文献数
52

The letter to John F. Dulles from the Japanese Prime Minister Yoshida Shigeru on December 24th, 1951 is an important document of Japan's policy towards China after World War II. It has been regarded as Dulles's composition by existing research. But, in historical documents of the government of Taiwan, this writer found that when Yoshida Letter was being drafted, the government played an important role, especially in stating the keywords in the letter: “be applicable in all territories which are now, or which may hereafter be under the control of Government of the Republic of China”. And this writer proved that the important decision that includes these keywords was made not by Dulles but by the government of Taiwan under unavoidable conditions as a result of prior consultation between the United States and Taiwan.During the period of conclusion of the San Francisco Treaty, the government of Taiwan gave up the rights to make claims for reparations for Taiwan in order that the United States would support to join the treaty. However, because of the opposition by Britain and the other countries, Taiwan was forbidden to join the treaty. By considering global strategy, and furthermore to isolate China who had been fighting in Korea, the United States required Japan to settle the dispute with Taiwan and conclude the Japan-Taiwan Treaty. At that time, the United States persuaded Taiwan to yield on the problem of the treaty so that it was not applicable to mainland China and to propose a detailed scheme of it.Although Taiwan was persistent with her sovereing power over mainland China for a while, she had to propose a detailed applicable scheme of the Japan-Taiwan Treaty to the United States because of the pressure from the United States and the necessity of early conclusion of the peace treaty with Japan. The United States, on the other hand, was required by Taiwan to show the evidence that Japan would positively conclude a peace treaty with Taiwan.The word of application in the draft of Yoshida Letter which was presented afterwards by Dulles during a talk between Dulles and Yashida came from the very scheme of the government of Taiwan. The Yoshida Letter can be regarded as a result of the prior agreement between the United States and the government of Taiwan and as evidence raised by the United States to Taiwan that Japan would really conclude a peace treaty with Taiwan. The procedure of the negotiation concerning the Japan-Taiwan Treaty has also proved that the word of application came from the government of Taiwan.This article base on positivism proves the relationship between Taiwan and Yoshida Letter, which was an important document in Japan's China policy. The elucidation that Taiwan had played an important role in the procedure to draft the Yoshida Letter has practical significance to understand Japan-China relations during the early period after World War II, the relationship between the procedure of the United States's policy planning towards Japan and the government of Taiwan and the triangular relations among China, Japan and the United States.