著者
池上知子 高史明# 吉川徹 杉浦淳吉
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第59回総会
巻号頁・発行日
2017-09-27

企画趣旨 2015年6月に公職選挙法が改正され,選挙権が得られる年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられ,2016年夏の参議院選挙から適用された。選挙運動を行うことのできる年齢も同様に引き下げられている。これを機に若者に投票所に足を運んでもらうにはどのようにすればよいか各方面で議論されている。また,受験勉強や部活動に追われている高校生や大学生に政治参加を促す主権者教育が教育現場の大きな課題となっている。一方,半数近い若者が「政治のことはよくわらない」という理由から政治参加に対して不安や戸惑いを感じているという調査結果もある。わが国の将来を担う若者が社会や政治のあり方を変える大きな力となることは歓迎すべきことではあるが,そのためには,若者自身の問題意識の深化や判断能力の向上をはかることが必要である。問題に対する表面的理解,近視眼的判断が国や社会の指針を左右することがあってはならないからである。本シンポジウムでは,日本の若者が現代社会に内包されている問題(格差・貧困・差別等)をどのように認識しているかを探り,社会の深層構造の理解と変革への動機を促す手立てについて考えてみたい。インターネット世代のレイシズム高 史明 近年の日本では,在日コリアン(日本に居住する韓国・朝鮮人)をはじめとする外国籍住民に対する差別的言説の流行が大きな社会問題になっている。こうした流行は2000年代を通して進展してきたが,2013年頃から社会的な関心も向けられるようになり,2016年の「ヘイトスピーチ解消法」の成立・施行をもたらしている。報告者はこうした在日コリアンに対するレイシズム(人種・民族的マイノリティに対する偏見・差別)の問題について,特にインターネットの使用との関連性に注目して,実証的な研究を行ってきた。本報告ではその成果を踏まえて,「若者はいかにして社会・政治問題と向き合うようになるのか」という問いの中でも,「インターネットが日常となった現在において,若者はどのような経路で社会・政治についての情報と接触するのか,それはどういった内容のものなのか,その結果若者はどのような政治的態度を持つのか」について論じる。 まず,若者層の情報獲得手段の変化,つまり新聞を読む習慣の減少とインターネットへの傾斜について,既存の調査および発表者の持つデータにもとづき紹介する。次に,インターネット上の2つのコミュニティ(TwitterとYahoo!ニュースのコメント欄)における言説の特徴についての研究を紹介し,インターネットを通じた情報接触が若者の政治的態度に及ぼしうる影響について論じる。最後に,報告者がこれまで行ってきた調査データを,「若者とインターネットとレイシズム」という観点から再分析した結果をもとに,若者は他の世代と比べてどの程度レイシズムを受容しているのか,またインターネットの利用はどのような影響を若者に及ぼしているのかを論じる。社会意識論から見た現代日本の若者-社会的なものにかかわりたがらない若者たち-吉川 徹 若者論は社会学のなかでも常に活況を呈している分野である。90年代に制服少女を語った宮台真司から,数年前の古市憲寿の幸福な若者に至るまで,若年層の新しく繊細な文化的動向は,「失われた20年」と形容される同時代の見通しにくさを端的に論じてきた。その反面,冷静に見極めると,日本社会における若者のプレゼンスはかつてないほど低下している。これは第一に,若年人口の量的な縮小による。現在の日本の若者の同年人口は,70年安保当時の若者であった団塊の世代のおよそ半数にすぎない。第二に,若者の年齢拡大がある。社会的役割や地位が未確立なアイデンティティ形成期,あるいはモラトリアム期を若者のメルクマールと考えると,非正規化,晩婚化,パラサイト・シングルなどの実態は青年期を長期化させている。政府統計や官庁の公式文書においても,かつては20歳前後であった若者の年齢幅が,いつしか35歳までとされるようになり,現在では40歳未満という見方が定着しはじめている。40歳といえば,一昔前ならば若者の親の世代にあたる。第三に,若者の集団としての画一性が失われ,ひとまとまりの文化現象を呈さなくなっていることがある。浅野智彦らはこれらの動向を受け,若者が「溶解」していると指摘する。 そんななかで,社会に対する広い視野や,人生の長いパースペクティブをもたず,自己利益だけをコンサマトリーに考える傾向が若年層で浸透している。合わせて就労,文化,政治,消費などの社会的活動の積極性も他世代より低い。さらに詳しくデータを見ていくと,これは現在の若年層に一様にみられる傾向ではなく,性別,学歴(社会的地位),地域による分断を確認できる。政治的な関心や政治的な行動には,若者内でのセグメントの分断がとりわけ顕著に表れる。一例を挙げるならば,若年・非大卒層は社会的な積極性が他の層と比べて著しく低い。しかし,かれらこそが,雇用条件の悪化や,経済的困窮,非婚化,晩婚化の当事者として政策上の支援を必要としている人びとに他ならない。本企画においては,このような若者の政治参加をめぐる不整合を検討したい。格差問題への理解を促すゲーミング杉浦淳吉 社会には様々な格差が存在している。経済格差をはじめ,学校教育には「スクールカースト」のような問題もある。格差が生じるプロセスとその葛藤および解決策をゲームによって体験しながら理解する実践的研究を紹介する。ゲーミング・シミュレーションは現実社会の問題構造を現実と切り離された安全な空間で再現し,それを体験できる環境を用意することが可能である。格差問題を扱ったゲーミングとして仮想世界ゲーム(広瀬,1997)が挙げられる。初期条件として優位な集団と劣位な集団を設定し,集団間の葛藤とその解決の学習が可能である。また,階層間移動ゲーム(大沼,1997)では,ゲーム内で階層格差を作り出し,いったん格差が生じると,それぞれの立場から問題をとらえるようになっていく。この2つのゲーミングは,格差による葛藤に対して参加者全体の合意にもとづくルール変更というオプションが用意されている点が特徴として挙げられるが,大多数にとって納得のいく提案でなければルール変更は実現されず,格差を解消するルールの導入は困難となる。これらのゲームは30~40名の規模で長時間にわたる演習が必要であるが,ここでは5~6名のグループ単位で簡便なルール設定による格差の拡大と解消,及びルールの改訂に焦点をあてるゲームの活用方法を提案する。 大富豪というトランプゲームはルールの設定の仕方により格差拡大およびその葛藤と解決を学習する演習に展開できる (杉浦・吉川,2016)。大富豪は様々なルールのバリエーションが存在するが,格差拡大のルールは実際に順位の変動を小さくし,また逆転機会を提供するルールは順位の変動を大きくしており,ルール設定の仕方次第で格差の固定化・流動化が可能となる。グループ間でルールの異なるゲームを設定した演習を行うと,各々体験したゲームが表す社会が閉鎖的か否かといった評価に違いがみられた。ルール改正の話し合いにおいて,リーダーと認識されたプレーヤのリーダーシップタイプと新ルールの評価の関連を検討したところ,リーダーが民主的であると認識されていたグループの方が,リーダーが放任的あるいは専制的であると認識されていたグループよりも,ルール変更により逆転のチャンスが増えたと評価していた。若者の多くによく知られ楽しまれているカードゲームを格差問題の理解につなげる学習ツールとして展開するための方法と効果について討論する。
著者
森永康子 大渕憲一# 池上知子 高史明# 吉田寿夫 伊住継行
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

社会心理学分野でも学校現場でも,「差別」をなくそうという試みは長い間続いている。しかしながら,「差別」はそうした努力をあざ笑うかのように,時代とともにそのターゲットや形を変えながら,連綿と存在している。このシンポジウムでは,今一度,基本に戻り,そもそも人はなぜ公正になれないのか,そして,なぜ差別がなくならないのかを考え,形を変えた現代の差別の特徴をもとに,「差別」を学校現場でどのように扱うことができるのかを考えてみたい。公正感の起源と差別大渕憲一 心理学では,自己利益を基本的動機付けと仮定する合理的人間観に立って仮説を立て,研究を進めてきたが,人間の感情や行動がこれ以外の関心によっても規定されることを示す証拠は少なくない。例えば,報酬分配の経済行動ゲームにおいて「好きなように分配していい」と言われているにもかかわらず,分配者は自分の取り分を減らしてまでパートナーと半々に分けようとするし,パートナーもまたそれを期待する。こうした行動は,人々が「人は公平に扱わなければいけない」「自分も人から公平に扱われたい」という公正関心を持っていることを示唆している。子どもたちに対して経済行動ゲームを模した実験を実施した発達心理学者たちは,学童期の子どもたちの行動には公正関心の実質的影響が見られることを示してきた(Fehr et al., 2008)。更に,近年は霊長類を被験体にした類似の実験も試みられ,普段から群れを成して暮らし,採食や防御に協力しあう種においては公正感に基づくと解釈される行動が観察されるとの報告がある(Horner et al., 2011)。これらの知見は,仲間を平等に扱おうとし,また自分が不平等に扱われることには反発するという公正関心がかなり原初的なものであることを示唆している。公正関心の起源を探るこうした研究者たちは,これを仲間同士の協力関係の形成・維持のために進化した心的特性であるとみなしている(Brosnan & de Waal, 2014)。人間や霊長類には血族関係を超えた協力行動が見られ,それは個体の生存と種族の保存にとって有益なものである。しかし,協力関係の維持には資源の適正配分が必要で,コストを負担せず利益だけを享受(ただ乗り)しようとする利己的個体は協力関係から排除される。排斥を避け,協力的であるとの評判を維持するために,個体には協力行動が必要とされる場面以外でも仲間を公平に扱おうとする志向性が発達したとされる。この論に従うなら,公正関心は本来,協力関係を形成しうる仲間に対して向けられるものである。実際,Fehrたちによると,スイスの子どもたちは,同じ施設の顔見知りの子どもたちに対しては平等分配を選択する割合が高かった。このことは,子どもたちが仲間以外を不平等に扱うことには余り抵抗を感じないことを示しており,そこに差別的行動を生み出す心理的素地を見て取ることができる。しかし一方で,公正関心は,他者の期待や不満を察知するという認知能力の発達を基盤にしており,それは仲間という社会的範疇を超えて公正関心が拡張される可能性を示唆するもので,差別を乗り越えるこうした観点からの実証研究と議論が期待される。差別はなぜなくならないのか:平等主義のパラドクス池上知子 2016年7月に起きた相模原事件は,社会に遍在するさまざまな差別・偏見問題の解消をめざして,これまで積み上げてきた営みを根底から覆されたような暗澹たる思いをわれわれにもたらした。それは,半世紀を優に超えるはるか以前に明確に否定されたはずの思想,差別の正当化につながりかねない危うい思想を彷彿させる事件であったからであろう。また,人権教育が行き届き,平等主義的価値観が共有されているはずの現代社会においても,ことあるごとに物議を醸す差別的言動が日常的に頻発している。このような現実を前にすると,人間社会から差別をなくすこと,もしくは人々の心の中から差別意識や差別感情を取り除くことがいかに困難であるかを痛感させられる。 社会心理学は,その黎明期より差別・偏見問題にさまざまな角度からアプローチしてきたが,そこで示される知見も総じて悲観論が優勢である。池上(2014)は,これまでの社会心理学が差別・偏見問題にどのように向き合ってきたかを振り返り,なぜ悲観論に傾きがちになるのかを考察している。そこでは,差別・偏見の解消がむづかしいのは,「差別的行動や偏見に基づく思考は,人間が環境への適応のために獲得した正常な心理機能に根差していること,その機能はわれわれの意識を超えた形で働くため,これを統制することがきわめて困難」(133頁『要約』より)であるからだと指摘している。加えて,「それにもかかわらず,社会心理学はそれらを意識的に制御することを推奨してきたことが,問題をさらに複雑にする結果となっている」(133頁 『要約』より)と論じている。換言すれば,偏見や差別は,人間にとって根源的欲求である認識論的欲求や自尊欲求の充足のために,また情報処理の効率化のために編み出された種々の心理機制(社会的カテゴリー化や集団自己同一視,二重処理システム等)の必然的帰結とも言える。このことは,個人の倫理観や道徳感情に訴えかける平等主義教育には限界があり,場合によっては,逆効果すらもたらしかねないことを意味している。本報告では,そうした議論を踏まえつつ,それでもなお,問題の解決に向けて前へ進むためにはどのような手立てがあるかを考えてみる。池上(2014)では,楽観的見通しを与えてくれる研究動向として,潜在認知の変容可能性と間接接触の功用を挙げているが,それらに共通するのは,人間の本性に抗うことなく自然に寄り添う形での介入の有効性を示唆している点である。本報告では,差別・偏見研究が悲観論から楽観論へ転換する契機について,報告者自身がかかわっている研究例を交えながら議論したい。引用文献池上知子(2014)差別・偏見研究の変遷と新たな展開-悲観論から楽観論へ- 教育心理学年報, 53, 133-146.新しい偏見とヘイトスピーチ(差別扇動表現)高 史明 近年の日本では,在日コリアン(日本に居住する韓国・朝鮮籍の人々)など外国籍住民に対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)が氾濫し,深刻な社会問題となっている。こうした事態を受けて,2016年には「ヘイトスピーチ対策法」(「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立・施行された。この法律は,国および地方公共団体に対して,「本邦外出身者に対する不当な差別的言動を解消するための教育活動を実施するとともに,そのために必要な取組を行うよう努める」ことを課している。こうした状況において,教育に携わる者には,外国籍住民に対する偏見や差別がどのような形で表れるのか,どのように獲得されあるいは伝達されるのかといった知識が今まで以上に求められるようになっている。 そこで発表者はまず,アメリカでの黒人に対する人種偏見の研究の中で提唱された「現代的レイシズム」に特に注目し,現代社会における人種・民族偏見の様相を論じる。このレイシズムは,①差別は既に存在しない,②したがって黒人が低い経済的地位に留め置かれているのは差別のためではなく本人たちの努力不足によるものである,③にもかかわらず黒人はありもしない差別に対する抗議を続け,④不当な特権をせしめている,という4つの相互に関連する信念にもとづいている。こうしたレイシズムは,人権教育の場面でおそらく想定されている種類の露骨なレイシズム(「黒人は劣っている」といった信念にもとづくもの)とは異なるものである。 また,「現代的レイシズム」は黒人に対する偏見を捉えるために提唱された概念であるが,その後,女性や性的マイノリティに対してもそれに相似する偏見が存在することが示されている。「現代的偏見」と総称されるこれらの偏見は,低い地位に置かれてきた様々なマイノリティの権利が伸張したときにマジョリティが抱く反感と,それにもとづく差別的言説を捉える上で非常に有用である。 これらの現象についての先行研究を踏まえた上で,ヘイトスピーチの問題に対して学校教育は何ができるのかを論じる。