著者
森永康子 大渕憲一# 池上知子 高史明# 吉田寿夫 伊住継行
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

社会心理学分野でも学校現場でも,「差別」をなくそうという試みは長い間続いている。しかしながら,「差別」はそうした努力をあざ笑うかのように,時代とともにそのターゲットや形を変えながら,連綿と存在している。このシンポジウムでは,今一度,基本に戻り,そもそも人はなぜ公正になれないのか,そして,なぜ差別がなくならないのかを考え,形を変えた現代の差別の特徴をもとに,「差別」を学校現場でどのように扱うことができるのかを考えてみたい。公正感の起源と差別大渕憲一 心理学では,自己利益を基本的動機付けと仮定する合理的人間観に立って仮説を立て,研究を進めてきたが,人間の感情や行動がこれ以外の関心によっても規定されることを示す証拠は少なくない。例えば,報酬分配の経済行動ゲームにおいて「好きなように分配していい」と言われているにもかかわらず,分配者は自分の取り分を減らしてまでパートナーと半々に分けようとするし,パートナーもまたそれを期待する。こうした行動は,人々が「人は公平に扱わなければいけない」「自分も人から公平に扱われたい」という公正関心を持っていることを示唆している。子どもたちに対して経済行動ゲームを模した実験を実施した発達心理学者たちは,学童期の子どもたちの行動には公正関心の実質的影響が見られることを示してきた(Fehr et al., 2008)。更に,近年は霊長類を被験体にした類似の実験も試みられ,普段から群れを成して暮らし,採食や防御に協力しあう種においては公正感に基づくと解釈される行動が観察されるとの報告がある(Horner et al., 2011)。これらの知見は,仲間を平等に扱おうとし,また自分が不平等に扱われることには反発するという公正関心がかなり原初的なものであることを示唆している。公正関心の起源を探るこうした研究者たちは,これを仲間同士の協力関係の形成・維持のために進化した心的特性であるとみなしている(Brosnan & de Waal, 2014)。人間や霊長類には血族関係を超えた協力行動が見られ,それは個体の生存と種族の保存にとって有益なものである。しかし,協力関係の維持には資源の適正配分が必要で,コストを負担せず利益だけを享受(ただ乗り)しようとする利己的個体は協力関係から排除される。排斥を避け,協力的であるとの評判を維持するために,個体には協力行動が必要とされる場面以外でも仲間を公平に扱おうとする志向性が発達したとされる。この論に従うなら,公正関心は本来,協力関係を形成しうる仲間に対して向けられるものである。実際,Fehrたちによると,スイスの子どもたちは,同じ施設の顔見知りの子どもたちに対しては平等分配を選択する割合が高かった。このことは,子どもたちが仲間以外を不平等に扱うことには余り抵抗を感じないことを示しており,そこに差別的行動を生み出す心理的素地を見て取ることができる。しかし一方で,公正関心は,他者の期待や不満を察知するという認知能力の発達を基盤にしており,それは仲間という社会的範疇を超えて公正関心が拡張される可能性を示唆するもので,差別を乗り越えるこうした観点からの実証研究と議論が期待される。差別はなぜなくならないのか:平等主義のパラドクス池上知子 2016年7月に起きた相模原事件は,社会に遍在するさまざまな差別・偏見問題の解消をめざして,これまで積み上げてきた営みを根底から覆されたような暗澹たる思いをわれわれにもたらした。それは,半世紀を優に超えるはるか以前に明確に否定されたはずの思想,差別の正当化につながりかねない危うい思想を彷彿させる事件であったからであろう。また,人権教育が行き届き,平等主義的価値観が共有されているはずの現代社会においても,ことあるごとに物議を醸す差別的言動が日常的に頻発している。このような現実を前にすると,人間社会から差別をなくすこと,もしくは人々の心の中から差別意識や差別感情を取り除くことがいかに困難であるかを痛感させられる。 社会心理学は,その黎明期より差別・偏見問題にさまざまな角度からアプローチしてきたが,そこで示される知見も総じて悲観論が優勢である。池上(2014)は,これまでの社会心理学が差別・偏見問題にどのように向き合ってきたかを振り返り,なぜ悲観論に傾きがちになるのかを考察している。そこでは,差別・偏見の解消がむづかしいのは,「差別的行動や偏見に基づく思考は,人間が環境への適応のために獲得した正常な心理機能に根差していること,その機能はわれわれの意識を超えた形で働くため,これを統制することがきわめて困難」(133頁『要約』より)であるからだと指摘している。加えて,「それにもかかわらず,社会心理学はそれらを意識的に制御することを推奨してきたことが,問題をさらに複雑にする結果となっている」(133頁 『要約』より)と論じている。換言すれば,偏見や差別は,人間にとって根源的欲求である認識論的欲求や自尊欲求の充足のために,また情報処理の効率化のために編み出された種々の心理機制(社会的カテゴリー化や集団自己同一視,二重処理システム等)の必然的帰結とも言える。このことは,個人の倫理観や道徳感情に訴えかける平等主義教育には限界があり,場合によっては,逆効果すらもたらしかねないことを意味している。本報告では,そうした議論を踏まえつつ,それでもなお,問題の解決に向けて前へ進むためにはどのような手立てがあるかを考えてみる。池上(2014)では,楽観的見通しを与えてくれる研究動向として,潜在認知の変容可能性と間接接触の功用を挙げているが,それらに共通するのは,人間の本性に抗うことなく自然に寄り添う形での介入の有効性を示唆している点である。本報告では,差別・偏見研究が悲観論から楽観論へ転換する契機について,報告者自身がかかわっている研究例を交えながら議論したい。引用文献池上知子(2014)差別・偏見研究の変遷と新たな展開-悲観論から楽観論へ- 教育心理学年報, 53, 133-146.新しい偏見とヘイトスピーチ(差別扇動表現)高 史明 近年の日本では,在日コリアン(日本に居住する韓国・朝鮮籍の人々)など外国籍住民に対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)が氾濫し,深刻な社会問題となっている。こうした事態を受けて,2016年には「ヘイトスピーチ対策法」(「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立・施行された。この法律は,国および地方公共団体に対して,「本邦外出身者に対する不当な差別的言動を解消するための教育活動を実施するとともに,そのために必要な取組を行うよう努める」ことを課している。こうした状況において,教育に携わる者には,外国籍住民に対する偏見や差別がどのような形で表れるのか,どのように獲得されあるいは伝達されるのかといった知識が今まで以上に求められるようになっている。 そこで発表者はまず,アメリカでの黒人に対する人種偏見の研究の中で提唱された「現代的レイシズム」に特に注目し,現代社会における人種・民族偏見の様相を論じる。このレイシズムは,①差別は既に存在しない,②したがって黒人が低い経済的地位に留め置かれているのは差別のためではなく本人たちの努力不足によるものである,③にもかかわらず黒人はありもしない差別に対する抗議を続け,④不当な特権をせしめている,という4つの相互に関連する信念にもとづいている。こうしたレイシズムは,人権教育の場面でおそらく想定されている種類の露骨なレイシズム(「黒人は劣っている」といった信念にもとづくもの)とは異なるものである。 また,「現代的レイシズム」は黒人に対する偏見を捉えるために提唱された概念であるが,その後,女性や性的マイノリティに対してもそれに相似する偏見が存在することが示されている。「現代的偏見」と総称されるこれらの偏見は,低い地位に置かれてきた様々なマイノリティの権利が伸張したときにマジョリティが抱く反感と,それにもとづく差別的言説を捉える上で非常に有用である。 これらの現象についての先行研究を踏まえた上で,ヘイトスピーチの問題に対して学校教育は何ができるのかを論じる。
著者
吉田寿夫 村井潤一郎 宇佐美慧 荘島宏二郎 小塩真司 鈴木雅之 椎名乾平
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

現状に対する憂いと企画趣旨吉田寿夫 SEM(structural equation modeling:構造方程式モデリング)ないし共分散構造分析と呼ばれる統計手法は,この30年ほどの間,心理学を始めとする多くの研究領域において多用されてきた。それは,既存の多くの分析法を包括する大規模なものであるとともに,コンピュータなしでは行うことができない,ほとんどのユーザーにとって「計算過程がブラックボックス化している」と言えるであろうものである。 筆者は,論文の審査などを行うなかでSEMを用いている論文を多々読んできたが,率直に言って,「へえー」とか「なるほど」といった感覚を生じさせてくれる脱常識性が高いと判断されるものや,著書などで引用したり授業で紹介したりしようと思うものに遭遇したことがない。そして,そればかりか,おそらくはSEMの数学的な高度さに惑わされて,その力を過大視し,不当な結論を一人歩きさせていると言えるであろう状態が蔓延っているように感じている。 主たる問題は,多くの専門家が「SEMは基本的に因果関係を立証する力を有するものではない」ことについて警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず,ユーザーの側がこのことをきちんと踏まえていないことにあると考えられる。そして,このことに関連して「予測と因果の混同」と言えるであろう事態が散見されるとともに,「適合度への過度の注目」,「適合度の評価における論理的必然性がないであろう基準の無批判な受け入れ」,「(重回帰分析におけるR2に相当する)説明力の非重視」,「パス係数の評価における統計的検定への過度の依拠」,「潜在変数間の関係の検討における希薄化の不適切な修正」,「測定の妥当性に関わる問題の軽視」,「個々人における心理過程の究明であることを踏まえない,個人間変動に基づく検討」などといった問題が指摘されてきた。 本シンポジウムでは,以上のような現状を踏まえ,SEMの有効性の過大視・不適切な適用や弊害の発生の抑制,適切な適用の促進といったことを目的として,現実の適用において散見される種々の問題事象を提示して,それらについて議論するとともに,SEMならではだと考えられる優れた適用例を提示して,SEMを用いることのメリットについて議論する。そして,そのうえで,適切な適用を促進し,不適切な適用を抑制するための方策について提言することができればと考えている。SEMの営為の根本を見つめなおす荘島宏二郎 SEMの最大の魅力は,何と言っても分析結果の視覚的了解性の高さである。端的に言って,パス図(path diagram)を用いたデータの要約結果,すなわち「情報の可視化(information visualization)」に優れている。SEM以前は,t検定・分散分析・回帰分析・因子分析が主な分析手法であったが,それらは,大抵,表によって結果が表示されていたため,パス図による現象の描写力の高さに多くの研究者が魅力を感じた。 また,計算機の高度化が手伝い,従来,理論的には考えられていたが,エンドユーザの計算機ではなかなか実現することが難しかったカテゴリカルデータ解析・多母集団分析・潜在クラス分析・マルチレベル分析・欠測データ分析などの「重たい」分析手法が,SEMというプラットフォームで花開いた。 今や,単なる「共分散構造」分析ではなく,それらの諸分析も含めての構造方程式モデリング(SEM)である。SEMに万能感を抱く研究者・分析者も多いのではないだろうか。 ほかにも,SEMの普及により,科学的意思決定がほとんどp値一辺倒だった時代から,適合度指標や自由度を総合的に見ていくという科学的態度を養うことに貢献したことも大きい。 反面,SEMの普及に伴い,肥大したSEMに対する信頼に基づく「因果に関する誤った言及(限定的に言及できる場合があるが)」や,SEMに関する不識・不案内に基づく「誤差間共分散の乱用」,「甘い適合度指標への過度の依存」,「パス図におけるトポロジカルな配置と印象操作」など,様々な改善すべき問題点がある。 さらに,SEMもまた方法論であることを考えると,本質的に複雑であり,超高次元多様体であるかのような現象のある一面を切り取ってくるものでしかない。当然,SEMの分析だけで現象を理解することはできず,他の方法と組み合わせて(方法論的多次元主義),現象を立体化しなくてはいけないが,SEMを過信する者ほど,往々にしてそういう態度は希薄である。 本報告では,心理統計学の専門家の観点から,統計分析という営為の本質に踏み込みつつ,「SEMが何をしているものか」ということについて試論(私論)を述べたい。SEMを使って論文を書くことについて小塩真司 正直なことを言うと,SEMや共分散構造分析を使って論文を書くことはそれほど多いわけではない。おそらく,自分がかかわる研究においてもっとも使う頻度が多い使用方法は,確認的因子分析であろう。その他の手法は,その研究の文脈に応じて使うことはあっても,無理に使ったという印象は少ない。また,おそらく探索的な検討が多いこともあるように思われる。 これまでSEMを用いた論文の査読などをしていて,いくつか気になることがあった。たとえば探索的な研究過程でSEMを用いること,それほど必然性が感じられないような場面で用いること,強固な目的があるわけではなく単にエクスキューズのためではないかと思わせる場面で使われていること,ここで使わないよりも使ったほうが採択率の上昇が見込めると考えているのだろうなという著者の意図が見えてしまうこと,などである。これらは決して糾弾されるような用いられ方ではない。現実として,特定の研究領域において新たな統計手法を用いることは,方法論上のアドバンテージと考えられて論文の採択率を高めるであろうし,研究者もそのことを念頭に分析をする可能性はある。 では,多くはない私自身の経験の中で,どのようにSEMを用いたのかを例示してみたい。第1に,確認的因子分析である。特に,複数の国を対象とした調査において,国をまたいでおおよそ同じ因子構造が見られるかどうかを多母集団解析で検討したことがある。この場合,測定不変性(measurement invariance)について検討することになる。そこには,因子と観測変数の配置が群間で等しいこと(configural invariance),因子負荷量が群間で等しいこと(metric invariance),観測変数の切片が群間で等しいこと(scalar invariance),観測変数の誤差分散が群間で等しいこと(residual invariance)という複数のレベルがあり,どのレベルまで満たされるかを検討することになる。第2に,縦断データの分析である。その中の1つは交差遅延効果モデル,もう1つは潜在成長曲線モデルである。縦断的なデータを分析する際に,SEMはその有用性を発揮するように思われる。 本報告では,査読経験と論文執筆経験の両面から,SEMの使用方法について考えてみたい。自身の研究におけるSEMの適用を振り返って鈴木雅之 発表者がSEMを適用した研究の多くは,大学院生時代に行われたものである。発表者が修士課程に入学した2008年の前後には,SEMを用いた研究が多くみられ,学部の授業ではSEMについて詳しく学ぶ機会がなかったことから,当時の発表者にとってSEMは最先端の分析手法であり,その可視性の高さから非常に魅力的なものにみえた。当時の自身の研究を振り返ってみると,「SEMを使ってみたい」という気持ちが先行しており,SEMのメリットを十分に活かした研究はできていなかったというのが,正直なところである。 発表者は大学院生時代,テストが学習動機づけや学習方略の使用に与える影響に関心を寄せていた。テストについては,内発的動機づけの低下や,目先のテストを乗り越えることだけを目的とした低次の学習が助長されるなど,その否定的な側面が強調されることが多い(e.g., Gipps, 1994)。一方で,テストが一種のペースメーカーとなることで計画的な学習が促進されたり,テストによる達成度の把握や学習改善が促進されたりするなど,テストには肯定的な側面もあることが示されてきた(e.g., Hong & Peng, 2008)。このように,テストの影響というのは一様ではなく,個人差がある。 テストの影響の個人差を説明する要因の1つとして,テストに対する学習者の認識(テスト観)に焦点が当てられてきた(e.g., Struyven et al., 2005)。つまり,あるテストが実施されることで学習者が受ける影響は,学習者がそのテストをどう捉えたかによって異なることが示唆されてきた。発表者は,テスト観が学習動機づけや学習方略の使用とどのような関連を持つかについて,質問紙調査や実験授業を行い,分析手法の1つとしてSEMを適用することで検討してきた。たとえば鈴木(2011)は,評価基準と学習改善のための指針を明確にしたフィードバックが学習動機づけと学習方略の使用に与える影響を,テスト観が媒介している可能性について検討した。また鈴木他(2015)は,縦断調査を行い,学習動機づけの変化とテスト観の関係について検討した。 本発表では,自戒の意味も込めて,これら一連の研究におけるSEMの適用を振り返りながら,SEMの適用方法について議論していきたい。
著者
大塚雄作 内田良# 尾見康博 金子雅臣#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 日本教育心理学会でハラスメント防止委員会が発足し,総会時に同委員会の企画する講演会やシンポジウムが開催されるようになって,今年度で9回目を迎える。これまでの企画では,主にハラスメントに対する会員への啓発的な内容が取り上げられてきた。昨年11月の同委員会で本年度の企画について話し合われ,われわれ教育心理学の教育,研究に携わる者として小学校~高校の教育現場でのハラスメントの実際をもっと知る必要があるのではないかという提案があった。たしかに,教育現場でのハラスメントがマスコミで伝えられることが少なくないにも拘わらず,その実態を深く知る機会は少ない。そこで,今回は教育現場でのハラスメントのうち,部活動に焦点を当てて,教育社会学と教育心理学の立場からこの問題を研究されている,それぞれ内田良氏と尾見康博氏の2人の研究者にご登壇いただき,教育現場のハラスメントについて深く知る機会としたい。 なお,指定討論者を本防止委員会専門委員の金子雅臣氏,司会を本企画立案の中心となった大塚雄作前委員長が務める。大塚氏は京都大学アメリカンフットボール部長の経験ももつ。制度設計なき部活動のリスクと未来を考える内田 良 本報告では,「制度設計の不備」の視点から,学校の部活動に付随するリスク(ハラスメントや事故)を検討する。学習指導要領において部活動は,教育課程外ではあるものの「学校教育の一環」として「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」というかたちで,学校の教育活動のなかに位置づけられている。この中途半端な位置づけによって,生徒はさまざまなハラスメントや事故のリスクに晒される。危険な場所での活動 部活動の練習はしばしば,廊下や階段を含むさまざまな空きスペースでおこなわれる。教育課程内の授業であれば,学習指導要領に定められた事項が適切に教育されるよう,施設(校舎外のグラウンドを含む)が用意されている。だが部活動においては,「学校教育の一環」であること以上の具体的な設計がなく,リソースも配分されていない。それゆえ一斉に部活動が開始されると,練習場所が不足し,不適当な空きスペースで練習がおこなわれ,事故のリスクが高まる。問われる外部指導者の質 部活動では,人的資源(専門的指導者)も不足している。教員は,部活動指導の専門家ではない。その解決策として,外部指導者の導入が進められている。ところが外部指導者も不足しているため,その質が問われないままに,生徒の指導が任されていく。指導者が外部の者である場合,学校や教育委員会の管理が届きにくく,また暴言・暴行事案を起こしても,介入が難しい。過熱が止まらない 教科というのは年間の標準的な時間数や単位数が決まっており,各クラスで時間割も組まれている。教えるべき内容も定まっている。このように制度設計が整っていると,50分の時間のなかで,授業が楽しくなる方法を教師は考える。他方で部活動では,活動時間をどれくらいに設定するかは,学校現場の自由裁量である。全国大会を頂点とする競争原理のもとに部活動が置かれている限りは,その活動実態はおのずと肥大化し,生徒に過酷な練習を突きつけることになる。 以上の3つのリスクを踏まえるならば,部活動を「自主的な活動」だと美化するわけにはいかない。むしろ,教育行政がそこに積極的に管理・介入することが,部活動のリスクを低減し,その持続可能性を高めていく。『主体的な学び』はハラスメント構造に風穴を開けられるか尾見康博 『ハラスメント』概念の登場によって,それまで後景に退いていたものが可視化され,女性をはじめ社会的弱者の(隠されていた)人権が認められるようになったことはたしかであろう。他方,現役大臣が「セクハラ罪という罪はない」と,セクハラの疑いのある部下をかばう発言をするなど,ハラスメントが軽く扱われることも少なくない。 部活においても,あたかも対応する刑罰がないから問題ないといわんばかりの指導がなされることがある。体罰を行使する指導者は体罰を『指導の一環』だと強弁することが多いし,身体的接触を伴わない怒号や罵声も「厳しい」「熱い」指導としていまだに受け入れられている。さらに深刻なのは,体罰を受けたと自認する者が受けた体罰を積極的にかつ前向きに容認していることであり,「たしかに殴られたが自分は体罰とは思っていない。厳しい指導をして下さって感謝している」といった受け止め方が珍しくないことである。 こうしたことの背景に,部活の集団組織としての特徴があると考えられる。そしてこの特徴は同時にハラスメントの背景にもなっていると考えられる。理不尽なことであっても顧問や先輩が絶対,といった『長幼の序』の過度の運用が部活において慣習化されていることがその一つである。たとえば,中学校に入ったとたん,誕生日が一日違うだけで「さん」とか「先輩」をつけて呼ばなければいけなくなったり敬語の使用が求められたりする。部活の場合にはさらに,後輩は先輩より先に集合しなければならない,などといった独自のルールが作られていることもある。こうした規律が厳しくなればなるほど,後輩は顧問や先輩に言われたことに疑問を感じても,何も言わずに黙って従うことが無難であり「正解」であり,主体的に考えないようになっていく。 逆に言えば,主体的に考えるような子どもたちばかりになれば,部活特有の規律は成立しにくくなる。そうした意味で,昨今の学校教育界隈で推奨されている『主体的な学び』に向けた積極的な取り組みは,部活の文化を変えることになるかもしれないし,逆に,部活が変わらなければ子どもたちに主体的に学ばせる習慣を身につけさせられなかったということになり,教育政策の失敗ということになるかもしれない。参考文献内田 良 (2019). 学校ハラスメント:暴力・セクハラ・部活動―なぜ教育は「行き過ぎる」か 朝日新書内田 良ほか (2018). 調査報告 学校の部活動と働き方改革:教師の意識と実態から考える 岩波ブックレット内田 良 (2017). ブラック部活動―子どもと先生の苦しみに向き合う 東洋館出版社内田 良 (2015). 教育という病―子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 光文社新書尾見康博 (2019). 日本の部活(BUKATSU)―文化と心理・行動を読み解く ちとせプレス尾見康博 (2019). 日本の部活の特殊性 心と社会(日本精神衛生会),175,115-119.Omi, Y. (2019). Corporal punishment in extracurricular sports activities (bukatsu) represents an aspect of Japanese culture. In L. Tateo., (ed.) Educational dilemmas: A Cultural psychological perspective. Routledge, pp.139-145.Omi, Y. (2015). The potential of the globalization of education in Japan: The Japanese style of school sports activities (Bukatsu). In G. Marsico, V. Dazzani, M. Ristum, & A.C.S., Bastos (eds.) Educational contexts and borders through a cultural lens: Looking inside, viewing outside. Springer, pp.255-266.
著者
藤間友里亜 外山美樹
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的 場面緘黙経験者は,その症状が消失し,寛解にいたった後にも不適応に陥ることが少なくないと指摘されている(久田・金原・梶・角田・青木,2016)が,これまで場面緘黙寛解後についての研究はほとんどされてこなかった。本研究では,場面緘黙の寛解を「日常生活において発話が必要とされる場面で話すことが一貫してできる状態」と定義し,場面緘黙時の経験や現在の状態にいたるまでの過程についての調査を実施した。それによって場面緘黙経験者が適応および不適応にいたる過程を明らかにすることを目的とした。方 法面接前アンケート 場面緘黙を経験した18歳以上の者21名に対し,年齢,性別,場面緘黙の基準にあてはまっていたか,現在は話すことが一貫してできるかを尋ねた。面接調査対象者:面接前アンケートの対象者のうち,寛解に達していなかった2名を除いた19名(男性5名,女性14名,平均年齢33.37±9.93歳)であった。調査内容と手続き:面接はSkype上で行った。主な質問は,「現在の生活で困っていることはありますか?」,「緘黙時にどのような経験をしましたか?」,「緘黙経験についてどのように受け止めていますか?」などであった。結果と考察 M-GTAを用いて分析を行い,21の概念と5つのカテゴリーが生成された。分析の結果作成された場面緘黙経験者の適応・不適応過程の結果図をFigure 1に示した。本研究の調査対象者は全員が寛解後に不適応を経験していた。寛解後不適応には,不安や人見知りといった気質と場面緘黙症状によって経験した緘黙時のネガティブな経験が影響していた。寛解後不適応から適応にいたる過程には不適応の改善が存在することが示された。総合考察 緘黙時に他者から責められることは自責につながっており,その自責は場面緘黙を知ることで解消されていた。よって,場面緘黙経験者本人が場面緘黙を知ることが重要である。また,周囲の人が場面緘黙を理解し,責めることを少なくすることも重要であると考えられる。本研究の対象者は,適応にいたっていても発話に対して苦手意識を持つ者が多かった。このことから,発話の苦手さによる困難を軽減するためには,発話能力を向上させるだけでなく,発話以外の対処も効果的に用いることが重要であると考えられる。 本研究より,場面緘黙寛解後にも困難を抱えることがあるという結果が得られ,寛解後の場面緘黙経験者の困難を軽減させる方法や適応にいたる過程についての研究は臨床的に意義があることが示された。
著者
犬塚美輪 三浦麻子#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

目 的 大学での学修において,ノート作成は有効な学習方略だと一般に考えられている。Kobayashi (2005) は,その効果は研究間の差が大きく平均すると小さいこと,適切なノート作成がされるかどうかが効果に関連すること,ノート作成において要約や精緻化などのgenerativeな活動がなされることが重要なことを指摘している。 授業中に作成するノートは,板書や教師の発話を記録することに重点が置かれやすく,genera- tiveな活動はなされにくい。一方,復習のためのノート作成では,情報の精査や要約,視覚的なまとめ直しなどの活動がなされやすいと考えられるため,学習を促進する効果的な学習方略となることが想定される。しかし,学生の中には,授業中に作成したノートやテキストを「見直す」だけで,復習のためのノート作成を行わない者も多く,効果的なノート作成が行われにくいと考えられる。また,コスト感の高さや有効性の認知の低さは,ノート作成を避ける要因の一つだろう。 以上を受けて,本研究では,限られたスペースにまとめるという課題によってgenerativeな活動を促すとともに,ノートをテストに持ち込めるようにすることで,ノート作成を促進する介入を行う。本研究では,こうした介入により,学習者のノート作成に関する認識が変化するか,またノート作成と成績に関連が見られるか,検討する。方 法対象者 統計学の入門授業の受講生49名。計画 対象者は,全15回の授業のうち,第2回に「テストのための学習方略質問紙」および「復習のためのノート作成質問紙」に回答した。質問項目はいずれも5件法での回答を基本とした。その後,第6回,第10回,第14回の3回,統計学の小テストを受け,第15回で総合テストを受けた。そのうち,第10回の小テスト以外のテストでは,「A4一枚表面のみ記入した『まとめノート』を持ち込んでよい」と指示された。また,第5回,第13回の授業では,復習のためのノート作成の効果と,よりよいノートを作るためのポイントが10分程度説明された。結果と考察事前のテスト学習方略 ノートや資料を「見直す」という回答の平均値は4.9以上 (SD=0.26) であり,学生が「見直す」方略をほぼ必ず用いると言えた。一方,復習のためのノート作成は平均値3.29 (SD=1.35) と相対的に低く,自発的に用いられにくい学習方略であると考えられた。自発的なノート作成の増加 第10回の小テストにおいて,自発的なノート作成を行ったのは7名とわずかであった。第6回の質問紙の項目との相関を見ると,「良いまとめノートになるよう工夫した」「まとめノートを作る時間的余裕がなかった」の2項目と中程度の相関がみられた (それぞれr=.39, p=.02; r=-.32, p=.06)。ノートづくりを工夫する経験が自発的な方略としてのノート作成を促進すると考えられるものの,まとまった時間を必要とする方略のため,主観的な「時間のなさ」から避けられやすいと考えられた。ノート作成に関する認識の変化 ノート作成に関する質問紙の項目のうち相関の高い組み合わせを選び,「工夫」「有効性の認知」「コスト感」の4尺度を作成した。第6回・14回の小テストと総合テストの際の尺度得点を,一要因被験者内計画分散分析で検討した結果,コスト感と有効性の認知には有意な変化が見られなかった (それぞれF(2,60)=2.24, 1.65) が,工夫は有意な主効果が得られ(F(2,62)=6.19, p=.004, η2p =.166),総合試験と各小テスト間に有意な差が見られた。総合試験では,小テストのときよりノート作成を工夫したことが示された。これは,ノート作成経験に加え,小テストより広い範囲の情報を精査・圧縮する必要が生じたためだと考察できる。ノート作成とテスト成績 2名の評定者が,総合テストのために作成されたノートの①記入量,②偏り,③構成の工夫,④図表,⑤具体例,⑥全体的な印象,を5段階で評定し(評定者間の評定の相関r>.73),2名の平均値を評定得点とした。また,授業者が授業中に配布した資料にはない表現や独自の整理が見られるかを3段階で判定し,⑦精緻化の評定得点とした。これらの評定得点を独立変数,総合テストの成績を従属変数とした重回帰分析(ステップワイズ)の結果,有意なモデルが得られ(R2=.300)④構成の工夫と⑦精緻化の偏回帰係数が有意であった(それぞれβ=.406, p=.006; β=.305, p=.036)。ノート作成における授業内容の構造把握と精緻化が,内容理解を促進することが示唆された。
著者
荊木まき子 森田英嗣 鈴木薫 枝廣和憲
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的 近年多職種連携教育は,教育領域においても緩やかにではあるが,始まりつつある(荊木・森田,2019)。しかし,教育領域における専門家である教員であっても,担任に代表される教諭や養護教諭等,異なる専門教育を受けており,またスクールカウンセラー(以下SC)やスクールソーシャルワーカー(以下SSW)に代表される他職種は,教員とは全く異なる養成教育を受けている。その中で,教育領域の多職種連携教育(IPE)を行うために,これらの異なる養成教育を受ける学生に対し,各養成校の学生がどのように多職種連携教育を学び,理解するのかについては,明らかにされていない。 もし,各養成学生間に専門性理解の違いが存在するならば,それを明らかにすることは,教育領域における多職種連携教育にとって,重要な示唆を与えるだろう。従って本研究では,小学校教員養成課程,養護教諭養成課程,SC養成として臨床心理士(公認心理師)養成課程の学生に模擬ケース会議(荊木・森田・鈴木,2015)を行い,その事前・後に学校内における専門家の専門性を記述してもらうことで,各養成学生の専門性理解の現状、及び模擬ケース会議の専門性理解に及ぼす結果を検討した。方 法研究協力者:小学校教員養成課程学生(以下<教員>)10名,養護教諭養成課程学生22名(以下<養護教諭>)は教育実習前,臨床心理士養成課程学生は11名(以下<臨床心理士>)内7名が学校実習後であった。実施時期:小学校教員養成課程・養護教諭養成課程は2015年1月,臨床心理士養成課程は2017年11月に行った。実施方法:中学2年生のリストカット事例による模擬ケース会議を各養成校で行い,事前・後にて,会議に登場する養護教諭,担任,管理職,SC,SSWによる5つの役割の専門性を自由記述してもらった。事後は,事前の記述に書き足す形で行った。分析方法:役割毎の自由記述による専門性から共通する項目を書き出し,項目数を養成学生毎に数えた。事後は新たな学習知見と見なし,累積数とした。これらの合計項目数を事前・後毎に比較して傾向を見た。各学生による事前・後毎の全専門性記述項目数はχ2検定,他の事前・後の項目数は直接確率検定にて検定を行った。また,各養成学生の自職種と他職種の専門性記述項目数を比較した。結 果 養成校毎の記述項目数を,Figure 1に示す。 <教員>は事前において,自職種である担任の専門性の記述項目数が他職種と比較して多い反面,全記述項目数では,他の養成学生と比較して少なかった(χ2(2)=14.58,P<.01)。事後では,全記述項目数が増加していた(P<.05)。特に,管理職の記述項目数が増加した(P<.05)。<養護教諭>は, 事前・後とも自職種である養護教諭の専門性の記述項目数が,他と比較して多く見られた。<臨床心理士>は,事前・後とも自職種であるSCの専門性の記述項目数が,他と比較して多く,特に事前では,SSWの記述項目数に差が見られ(P<.05),事後には有意傾向となった。以上より,事前・後に,各養成校の自職種の記述項目数が他職種と比較して,<教員>の事後の管理職以外は多く答えていた。 考 察 全体として事後に,各養成校の合計数が増加し,<教員>に有意差が見られたことから,模擬ケース会議学習効果が考えられた。特に管理職の仕事を<教員>の仕事として認識したと考えられた。他の<養護教諭>や<臨床心理士>の専門性理解に有意差がなかった理由として,事前に自他の職種をある程度理解し,事後も記述数の増加傾向があるものの,差が出るまでには至らなかったと考えられた。この<教員>と<養護教諭>・<臨床心理士>の理解差は,先行研究での教員養成の学生は教員が中心となり支援を行う認識を持つ傾向があること(森川・岩山,2019)を考えると,<教員>の専門性理解は,事前では各専門性について理解が乏しく,多職種連携教育の学習効果が現れやすかったと考えられた。比較的自他の専門性理解の記述数が多かった<臨床心理士>も,SSWは項目記述数が少なく,事後にその専門性理解は記述数が優位傾向になることで,一定程度改善されたと考えられた。 以上より,今後多職種連携教育において,各養成校の特性に応じた部分と共通する部分を整理して学習していく必要があると考えられた。
著者
宇田光 市川哲 西口利文 松山康成 溝口哲志# 福井龍太# 有門秀記 渡邊毅#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 本シンポジウムでは,過去4回にわたってPBIS(ポジティブ行動支援:ポジティブ生徒指導)の理論と実践を中心に,我が国の学校現場でのポジティブで予防的な生徒指導の導入方法について検討してきた。 今回は,「PBISと人格教育に関する実践」という副題で合計4名の先生方からPBISと人格教育の理論と実践についてご紹介いただく。そして,ポジティブで予防的な生徒指導を日本の学校において導入する場合には,どのような形が効果的なのか,またどのような課題があるのか,引き続き考えていきたい。米国におけるA中高一貫校での「PBIS」と「人格教育」の実践市川 哲 PBIS(Positive Behavioral Interventions and Supports:ポジティブ行動支援:ポジティブ生徒指導)とは,子供の適切な行動の増加を目的とし,スクールワイド,クラスワイドに行う「ポジティブで予防的」な生徒指導システムである(池田, 2014)。また,予防的支援の第1層,第1層で改善が見られなかった子供に対する第2層,第2層で改善が見られなかった子供に対する第3層の階層的支援からなる(Sugai, 2013)。 人格教育(Character education)とは,米国の子供が学校全体で市民(Citizenship)・公正(Fairness)・責任(Responsibility)・尊重(Respect)・寛容(Tolerance)等の価値概念(徳目)を10程度選択し,1つの概念を1つの単元として,幼稚園から高校まで繰り返し学習させるものである(中原,2017)。 発表者は2017年1月に米国ウィスコンシン州のA中高一貫校(以下,対象校)へ視察を行った。対象校は,視察時点で人格教育導入6年目(PBISも同時期に導入)であった。また,対象校はアメリカ全土で特に優れた人格教育に取り組んでいる学校の1校に選ばれており,人格教育とPBISに同時に取り組んでいた。本発表では,対象校における「PBIS」と「人格教育」の取り組みを紹介する。参考文献池田実(2014)「学校全体の行動教育(肯定的な介入と支援)」生徒指導士認定協会応用講座市川哲・池田実・渡邊毅(2017)米国における小中学校での「PBIS」と「人格教育」の実践に関する視察報告 平成28年度学校カウンセリング学会総会研修会Sugai,G(2013) すべての児童・生徒のためのポジティブな行動的介入と支援 日本教育心理学会第55回総会講演日本の小学校におけるSWPBIS松山康成 石隈(1999)は学校心理学の枠組みから,3段階の心理教育的援助サービスを提唱している。また文部科学省(2010)も,集団指導と個別指導を進める指導原理として,生徒指導事象を第1次から第3次的支援に分けて指導する必要性を示している。このようにわが国において多層支援の重要性は指摘されてきている。アメリカではこの多層支援はMTSS(Multi-Tier System of Supports)と呼ばれ、子どもの学力,行動などの様々な側面を多層支援でサポートしようとする取り組みが近年広がっている。その中でも行動面の多層支援として,PBISが着目されている。 私は,アメリカで取り組まれている PBIS の視察を2013年と2014年に2度行い(枝廣・松山, 2015),アメリカの学級で取り組まれている PBIS の実際を見た。アメリカにおいて数多くの実践研究が行われ支援効果が実証されているPBISであるが,日本ではまだ導入や展開といった動向は少なく,学校全体で取り組むPBISの実践例は僅かである。 そこで本研究では,学校全体でPBISに取り組むためにビジュアル版行動指導計画シート(松山, 2018)を開発し,それを用いて特別活動における委員会活動や児童会活動を通して全校児童を対象に実践を行った。具体的には,児童会活動において登校時におけるあいさつ回数の増加を目指した実践を取り組んだ。また委員会活動において清掃時間における残されたごみの数や大きさの減少を目指した実践を取り組んだ。この他,学校内3つの委員会活動において全校児童対象のSWPBISが実施された。各委員会,児童会担当の教員は,児童とともに行動指導計画シートを作成し、職員会議に提案,他の職員の協力を得ながら児童が主体となって取り組みを展開することとした。参考文献枝廣和憲・松山康成(2015)学校全体における積極的行動介入および支援(SWPBIS)の動向と実際 ―イリノイ州District15公立小学校における取り組みを中心に― 岡山大学学生支援センター年報 (8)27-37枝廣和憲・松山康成(2015)学校全体における積極的行動介入および支援の動向と実際 ―イリノイ州 District15 公立中学校における取り組みを中心に― 岡山大学教師教育開発センター紀要 5(1)35-43松山康成(2018)児童会活動による学校全体のポジティブ行動支援 ―ビジュアル版行動指導計画シートの開発と活用― 学校カウンセリング研究19 25-31 道徳教育とポジティブ生徒指導溝口哲志 近年子ども達による学級崩壊が大きな問題となっている。学級崩壊が起きる要因の一つとして,子どもたちの自己肯定感の低さが考えられる。その為,発表者は子ども達の自己肯定感を向上させることを第一に,学級経営や仲間作りをしてきた。主な取り組みとしては,3つある。 1つ目は「ポジティブカード」の活用である。これは,子ども達による賞賛活動の1つである。具体的には,子どもたちが友達にされて嬉しかった事や,すごいと思った事を星形の紙に書いて帰りの会で発表するという活動である。発表し学級全体から賞賛されることで,子ども達の自己肯定感や自己有用感を高める事を狙いとして取り組んでいる。 2つ目は「道徳カード」の活用である。これは,教師による子どもへの賞賛活動である。子ども達が徳目にあった行動をした際に,子ども達を褒めてカードを渡す活動である。全員の目の前で,教師が賞賛することによって子ども達の自己有用感を向上させる事を狙いとした活動である。 3つ目は「ナンバーワン宣言」である。これは,子ども達が1ヶ月間頑張りたいことや,その理由を紙に書き,毎日朝の会で発表するという活動である。朝の会では子ども達の心が落ち着くような呼吸法やイメージトレーニング等を用いて,一日が穏やかな気持ちから始められるようにする。子ども達を落ち着かせることによって,子ども達が発表しやすい環境を作り,発表を聞いてもらう事で自己肯定感の向上を狙いとした活動である。 これらの活動の成果としては,学級が落ち着きを取り戻し始めたことで,子どもの問題行動が減少したことがあげられる。活動実施以前には嫌なことがあると教室を飛び出したり,友だちに手を出したり等の問題行動があったが,以前よりも穏やかに学校生活を送る事が出来るようになった。さらに,困った友達を見つけた時にはすぐに手を差し伸べる等,互いに協力して活動する姿を多く見ることができた。また,6月上旬に実施したQ-Uの結果は,昨年度と比べて学校に対する満足度が約20%向上していた。この事から,子ども達が学級や教室が居心地の良い所と感じている事がうかがえる。ポジティブ生徒指導(PBIS)と人格教育―行動支援は規範意識を醸成するか福井龍太 アメリカの学校では,学校規則を定め,生徒にその規則を守る指導をし,その規則に違反すれば罰を与えて矯正する,というゼロトレランスを基盤とした段階的規律指導が実施されていたが,罰を与えても生徒の行動が改善しない,という問題が指摘されるようになった。 これを背景としてPBISを取り入れる学校が急速に拡大した。PBISはABA(応用行動分析)を基盤としており,専ら期待行動の強化に焦点を当て,生徒の行動全体における望ましい行動の割合を増やすことによって,結果的に問題行動の発生を予防する。PBISは期待行動そのものに注目した教育的枠組みであるが故に,本来そこに道徳性や人格といった個人特性を介在させる必要はない。 最近のアメリカの学校では,しかしながら,期待行動表において徳目を提示することをはじめとして,PBISと人格教育とが関連付けられはじめている。本発表では,先行研究を踏まえ,PBISと人格教育の関わりについて,規範意識の醸成との関連から検討する。 参考文献Althof and Berkowitz (2006) “Moral education and character education: their relationship and roles in citizenship education,” Journal of Moral Education 35, 495–518.
著者
高橋幾 齊藤勝 深沢和彦 河村茂雄
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 日本が2014年に批准した「障害者の権利に関する条約」の第24条では,インクルーシブ教育について以下のように言及している。「インクルーシブ教育システム」とは,(中略)障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと,自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること,個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている」。つまり,具体的な状況を想定すると,障害児が居住している地域の小中学校で他の児童生徒と同じ教室で学ぶことを選択できる。その際に,障害児の障害特性に合わせて必要な合理的な配慮がなされたうえで,平等な評価基準の下に,障害児と定型発達児がともに学ぶ状況が,インクルーシブ教育が実践されている状況と考えられる。 しかし,現状の特別支援教育はインクルーシブ教育とは逆行している可能性が指摘されている。例えば,2007年以降,特別支援学校数と特別支援学級の在籍者数は増加の一途をたどっている。同じ教室で学ぶという「場」のインクルーシブに矛盾が生じている可能性があるだろう。 また,通常学級という同じ土俵に立ったとしても,必要な支援を受けることができなければ,十分なインクルーシブ教育とは言えないだろう。個人に必要な合理的配慮の提供が重要となる。バーンズ亀山(2015)は,アコモデーションは,「教師の厚意によって授けられるもの」ではなく,人権擁護の問題であることを指摘している。河村(2018)は多様性を包含しながら,すべての子どもの支援に対応するためには,適切にアセスメントを行い,学級での相互作用を促す必要性を指摘している。インクルーシブ教育では,児童生徒の学習・生活環境を保障するために,教師はアセスメントに基づいた適切な支援をすることが求められている。しかし,その方略は各現場の判断に任されており,各々の教師の努力によって支えられていることが指摘されている。 本シンポジウムでは,通常学級における特別支援対象児の権利擁護に対応し,インクルーシブ教育を推進していくために,学級の状態や個別の適応状態のアセスメントを行い,適切な支援や指導につなげることの重要性を,「教師間の共通認識を持った取り組み」,「授業での個々の特性に合った方略の取り組み」,「教師の児童に対する権利擁護の取り組み」の視点で紹介する。それぞれの視点から,通常学級におけるインクルーシブ教育の可能性を示したい。話題提供教師間の共通認識を持った取組み高橋 幾 2012年に文部科学省が行った調査において,発達障害の可能性がある児童生徒は6.5%と発表されている。河村(2018)は,これからの教育目標の達成のために必要な要素の一つとして「多様性を包含する『学級集団作り』」を示している。教員は発達障害児の障害特性の理解をし,環境との相互作用を考慮に入れることが求められるだろう。発達障害のある児童生徒は学級の状態により困難の度合いが変化するため,教師は,児童生徒への対応を一貫した視点で共有する必要があると考える。うまくいった支援を引き継ぎ,うまくいかなかった支援を繰り返さないことが,児童生徒の二次障害を防ぎ,発達障害児の適応を上げることにつながるだろう。同じ視点を共有し,教師間の指導行動を一致させることは,児童生徒への対応の矛盾を少なくし,指導の効果を上げることになると考える。 本シンポジウムでは,校内で統一のアセスメントを用いて研究を推進し,共通の指標から学級・学校の状況に合わせた「スタンダードな指導行動」を見出し実践している小学校の事例を通して,一貫した支援に向けた統一の指標の重要性を示したい。インクルーシブ教育を推進するための学級集団づくり 齋藤 勝 平成29年3月に改訂された新学習指導要領では,特別な配慮を必要とする子どもへの指導と教育課程の関係について,新たな項目が新設され明記されている。これは,インクルーシブ教育システムの構築を目指し,子どもたちの十分な学びを確保し,一人一人の発達を支える視点から,子どもの障害の状態や発達段階に応じた指導や支援を一層充実させていくことを趣旨としている。これを叶えるのが,学びのユニバーサルデザイン(以下UDL)の視点を取り入れた授業づくりであると考える。 現在,教育現場ではICT環境の整備が少しずつ進んでいる。ICT環境の充実は,UDLの視点を授業に生かしていくための大きな支えとなる。ICTの効果的な利活用によって,子どもたちの学び方そのものを変えることにもつながる。しかし,ICTを活用しさえすればUDLの視点を取り入れた授業につながるというわけではない。UDLのガイドラインに示された「取り組み」・「提示(理解)」・「行動と表出」の3つの視点を意識したICTの利活用が,これまでの授業の姿を変えるきっかけになる。 そこで,授業では,タブレット端末が使える環境を整備し,必要に応じて必要な児童が使えるようにする。各教科の学習では,個別学習,ペア学習,グループ学習とフレックスな学習形態を認め,自分に合った学習方法を児童が自分で選択できるようにする。いわゆる従来の学習形態にはうまくなじめない子も,ICTを利活用することによっていろいろな表現が可能になり,友達と協働しやすくなる。ICTの利活用は,子どもたち一人一人が自分のよさを生かした学びへのアプローチを拡げるツールとなりうる。その結果,発達障害のあるなしに関わらず,多くの子どもたちの「主体的,対話的で深い学び」が実現できるのではないだろうか。 本シンポジウムでは,具体的な実践事例とそれによる児童の変容について報告し,UDL推進における学級集団づくりの効果について考えてみたい。児童に対する教師のアドボカシー深沢和彦 インクルーシブな学級を構築する担任教師からの観察と聞き取り内容から,教師の対応に共通するものがあることがわかった。個別指導と集団指導の両立に懸命になっている教師は多いが,インクルーシブな学級を構築している教師は,それらを別々には行ってはいなかった。個別指導と集団指導が混然一体となっており,学級集団全体に指導するとき,特別支援対象のAくんに視線をやり,こちらに意識を向けさせてから話したり,見ればすぐに理解できる掲示物をさっと示したり,集団指導の中にAくんへの個別指導がさりげなく含まれていた。 また,Aくんに個別指導しているときも,他の児童がそのやりとりを見ていることを意識して対応していた。「ああ,そういうふうに対応すればいいのか」とか「Aくんって,そういうとらえ方をするんだな」とか,周りで見ている子どもたちが自然と,Aくんを理解したり,対応の仕方を学んだりできるようにしていた。「個」と「集団」の両方を意識しながら特別支援対象の子どもたちを学級の中に位置付かせるためのこうした対応を,「インクルーシブ指導行動」と呼ぶことにする。インクルーシブな学級を構築する3名の教師は,共通してこの「インクルーシブ指導行動」を行っていることが明らかとなり,この対応が,特別支援を特別にしないための重要な対応である可能性が示された。「インクルーシブ指導行動」の中心的な機能に,代弁者,通訳として,特別支援対象児と学級集団(小さな社会)をつなぐ機能がある。この代弁者,通訳としてつなぐ機能を「アドボカシー(advocacy)」という。アドボカシーとは人権を侵害されている当事者のために「声を上げる」という意味であり,教師も学級内でうまく周囲とつながれない子どもたちのためにアドボカシーの役割を担う立場にある。具体例を挙げると,「対象児が,苦手の克服に向けて努力している最中であることを学級全体に伝える」「対象児の不可解な行動の背景にある思いを周囲が納得できるように説明する」「対象児用の特別ルールには,周囲の児童が“ずるい”と思わないように,特別な支援を必要とする理由や必要性について納得できる説明をする」「最初に比べたらずいぶんよくなったよね。と,対象児のよき変容や成長を学級全体で分かち合う」等である。アドボカシーは耳慣れない言葉なので,「架け橋対応」と呼ぶことにするが,この「架け橋対応」を教師が行っているかどうかを調査し,受け持つ学級の状態との関連を検討したところ,「架け橋対応」をよく行っている教師は,周囲児の適応も対象児の適応も有意に高いという結果が得られた。つまり,個と学級集団をつなごうとする教師のアドボカシーは,インクルーシブ教育を成立させる上で重要な指導行動であることが,明らかになったのである。
著者
郡司菜津美 岡部大介# 青山征彦 広瀬拓海 太田礼穂 城間祥子 渡辺貴裕# 奥村高明#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 パフォーマンス心理学とは,個体主義と自然科学主義を特徴とする心理学へのラディカルな批判から出発し(茂呂, 2019),人間の集合的発達を支えようとする新しい運動である。本企画では,このパフォーマンス心理学の具体について話題提供することで,これまでの学習と発達の捉え方との違いを示し,参加者皆で学習/発達観を発達させたい。 有元(2019)が「パフォーマンスという言葉を用いるということは,アームチェアに座って頭で考えることから心理学という学問を解放したいという意図がある」と述べているように,本企画では,学習と発達について主知的(intellectual)な理解をすることを目指すのではなく,理解のパフォーマンス化(performance turn)を目指してみたい。本企画では関連する2書『パフォーマンス心理学入門』(香川・有元・茂呂編著, 2019)および『みんなの発達!』(フレド・ニューマン著,茂呂・郡司・有元・城間訳,2019)から,発達とパフォーアンスに関する4つの話題を提供する。やり方を知らないことに取り組み,発達するためには,発達の場づくりを皆でパフォームする必要があり,それはアカデミアにしても同じことだ。パフォーマンス心理学においては,研究者自身もパフォーマンスの一部(青山, 2019)であることが前提とされる。 なお本企画は,SIG DEE(日本認知科学会 教育環境のデザイン分科会)が主催する。パフォーマンス・ターンをパフォーマンスする太田礼穂 本発表では,状況論におけるパフォーマンス心理学への転回(パフォーマンス・ターン)について理論的背景と方法論を比較し,発達的実践としての「パフォーマンス」の可能性を以下の2点から議論する。 まず,パフォーマンス心理学における,パフォーマンスの位置づけとその意味を紹介する。特にこのパフォーマンスが,個人に紐づけられた成果や技術という意味ではなく,たとえば乳幼児が遊びながら今現在の自分ではない自分に「成っていく」ような協働の過程に注目する理論的装置であることを紹介する。これを支えるヴィゴツキーの遊び論や演劇論,ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの議論などの参照を通じ,パフォーマンス・ターンの意義を整理する。 次に,状況論との連続性と不連続性について紹介する。状況論(状況的学習論)では,人間の知的営みがいかに状況の中に埋め込まれ,その中に参加する人々がどのような存在になっていくかに注目する(たとえばLave & Wenger, 1991/1993)。これは人間の知的営みが社会的起源をもつというヴィゴツキーの理論に基づくものであり,人間の思考や学習の成り立ちを過度に内的プロセスから説明しようとする個人主義的アプローチとは異なる学習・発達に関する知見だといえる。パフォーマンス心理学もヴィゴツキーの理論に基づくという意味で,状況論と思想的起源を共有しているが,両者の違いはいったい何だろうか。本発表では「現実」の分析と制約という観点から,パフォーマンス心理学がもたらす「研究」と「実践」の接続の意味を考えていきたい。学校外における子ども・若者支援のパフォーマンス広瀬拓海 近年,貧困や格差が,子ども・若者にもたらす問題に関心が集まっている。本シンポジウムで話題提供者が注目するのは,以上のような問題を受けて,身近な子ども・若者のために勉強や食事,居場所を提供する新しい地域コミュニティをつくり出した人々の動きである。パフォーマンスとは,自分とは異なる人物に成ることであるが,それは既存の社会的な制約を超えた新しい活動やコミュニティを創造(ビルド)することと切り離せない。貧困問題という急速に現れて来た社会的な課題に対して,それらを良い方向に導いていくための地域住民のコミュニティビルドは,まさに今生まれつつある新しいパフォーマンスだといえるだろう。本発表では,以上のコミュニティビルド=パフォーマンスが,実際の社会的な文脈の中でどのように準備されてきたのかを検討していく。特に,このとき交換(柄谷,2001)の観点からそのプロセスを見ていくことで,パフォーマンスが歴史的な交換様式の変化の中で生じた問題への応答としてあらわれてくる可能性について議論する。教員養成におけるパフォーマンスの実際郡司菜津美 現在,新たに教員養成に求められていることとして,(1)主体的・対話的で深い学びの場作りができるようになること,(2)チーム学校の一員として仲間と共同することの重要性について理解させること,の2点が挙げられる。筆者は教員養成に携わる一人として,この2点を重視した指導を行ってきた。そのために応用演劇の一つである「インプロ」を用い,学生たちが教師としてのパフォーマンスを学習できるように重点を置いてきた。 ここでいう教師としてのパフォーマンスとは,やり方を知らないことに皆で取り組める場をつくることであり,講義ではこのことを先取り的に体験させた。またインプロとは,共同の価値を学習することができる演劇手法であり,集団の中で失敗を失敗にしない安心感のある場を作る体験ができるものである(Lobman & Lundquist, 2007)。講義ではインプロを用いたことで,学生たちはチームの一員として仲間と共同することの重要性に気付いたと考えられた。 ただ,こうした学生たちの姿は何かができるようになったというよりは,パフォーマンスの意味・意義を体験的に知ったという方が妥当であろう。そこから何が起きるのか?授業である以上,ここが最も重要である。 本発表では,筆者が実際に授業で実践しているパフォーマンスの効果について,皆さんと検討してみたい。みんなの発達のためのパフォーマンス城間祥子 『みんなの発達!』は,現代の社会や文化の中で感情の痛みをかかえて生きているごく「普通の人びと」の日常に,ソーシャルセラピーの実践的で批判的なメッセージを届けるために書かれた本である。この本には,パフォーマンス心理学の創始者のひとりであるフレド・ニューマンのソーシャルセラピーに参加した「普通の人びと」が数多く登場する。ソーシャルセラピーは,セラピーと称しているものの,従来の心理療法とは異なり,診断とそれにもとづく問題解決を目指さない。コミュニティを創造するプロセスを通して,自らのライフ(生活,人生,生き方)の全体を転換させる実践である。 ソーシャルセラピーグループは,参加者が自らの発達を創造することを支える場である。参加者は場に「ギブ」することで場の発達に貢献する。同時に,場の発達が個々の参加者に発達と成長をもたらす。グループで試みられた新しい生のパフォーマンスは参加者相互の「ギブ」によって完成し,問題がもはや問題として成立しなくなるような発達が生じるのである。 本発表では,ソーシャルセラピーのアプローチを理解する上で重要ないくつかの概念(ゲットとギブ,全体と個別,言葉,エクササイズ等)を共有するとともに,ニューマンの哲学と実践を,私たちの文化や日常を変化させるためにどのように用いていけばいいのかを議論したい。参考文献「パフォーマンス心理学入門 共生と発達のアート」 香川秀太・有元典文・茂呂雄二 編著 新曜社 2019「みんなの発達!ニューマン博士の成長と発達のガイドブック」 フレド・ニューマン・フィリス・ゴールドバーグ 茂呂雄二・郡司菜津美・城間祥子・有元典文 訳 新曜社 2019
著者
守屋明佳
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的教育心理学は「学び手による」学習とも関わるはずだが,「学習者の認知的個性」,いわんやその「脳科学的基盤」についての関心はまだ高くない。本稿第一の目的は,教育心理学にとっての脳科学研究の有用性を示すことである。筆者には思わぬ発見があった。仮説実験授業(以下「仮説」)で学び手が感じる「多様なたのしさ」が,実は彼らの「認知的個性」(学習において優勢な脳内ニューラルネットワーク(以下NN)の種類)を反映したものである可能性が判明したのだ。それを虫明元(2018)の「学ぶ脳」理論に依拠しつつ明らかにする。また,つまり「仮説」の「個性を選ばないたのしさ」が,学習で前提とされるNNが「執行系」に限定されていないことに依ること,即ち学習への「全脳参与」が許されているからこそのものであることを示し,「全脳参与型学習」としての「仮説」の望ましさを主張したい。なお,「全脳参与型学習」の提案は過去の構成論的人工知能研究の失敗にも学んでおり(命題形式の記号演算モデルのみでは人間の知能の再現は不可能だった),現在の虫明理論にまだ不足があったとしても,提案の妥当性は減じない。学び手の個性に優しく,人間らしくもある学びの実現には,「全脳参与型学習」は極めて有効であると考える。本稿第二の目的は,教育心理学的方法論の拡大である。教育心理学が脳科学に学ぶことはこれまで余りなかったようであるが,もし仮に脳科学研究に学び「推論における情動の重要性」(例,ダマシオ,1994)を意識するようになっていたなら,情動抜きの「干からびた教育論」(品川嘉也にヒントを得た命名)で他でもない人間の学びを機械化してしまう暴挙は避けられたであろうし,大隅典子(2016)と同じ洞察に辿り着いていたなら(「脳の複雑さはバグの生まれやすさをも含意しており,完全な脳など存在しない」),誰しもが出発点とする他ない「不完全な脳」(つまり「認知的個性」)について,またそこからの出発しかあり得ないという事実について,より深い理解が可能になっていたのではないかと考える。教育心理学には脳科学との対話が有用だ。それを本稿では示したい。方 法授業書《花と実》の授業記録(西川,1988;出口,2006;小池,1986,1988;竹田,2012;田中,2013)他から生徒たちが口にする「授業のたのしさの色々」を抽出し,虫明(2018)の「学ぶ脳」モデルとの対応づけを試みた。虫明のモデルは以下である。「学ぶ脳」には主体となる脳内NNによって4種類ある。「学習脳0」は感覚運動ネットワーク(SMN)主体の「身体脳」,「学習脳1」は皮質下ネットワーク(SCN)主体の「記憶脳」,「学習脳2」は執行系ネットワーク(CEN)主体の「認知脳」,「学習脳3」は基本系ネットワーク(DMN)主体の「社会脳」であり,これらの脳のそれぞれが,学習経験を蓄積してゆく。(学習脳1と2は,それぞれデュアル・プロセス・モデルの「速い自動的思考システム1」と「遅い熟慮型思考システム2」,学習理論における「行動主義」(ボトムアップな連合説)と「認知主義」(トップダウンでメタ的な把握)にも対応させられており含意に富む)。学習脳0(身体脳)は最も早くに形成されて意識下での自動運転を可能にし,学習脳1(記憶脳)が無意識・意識双方の記憶を支えているかんに記号操作による意識的学習を司る学習脳2(認知脳)が徐々に形成されてゆく(認知脳の主部である前頭前野は髄鞘化の完成を20歳代に待つ形成の遅さである)。上記のように,異なる学習脳にそれぞれ参加する各NNであるが,それらは互いに協働関係にもあり,例えば仮説検証型認識活動においては仮説生成の為のDMNと仮説検証の為のCENとが協働している。帰納的枚挙を待たない仮説生成は一種の「物語り」であると考えられ(筆者),仮説を案出することが好きな子においてはナラティブ的発散的思考を司るDMNが活動的であり,考えを生むというよりは実験にかけて吟味することが好きな子においては分析的収束的思考を司るCENが活動的であると考えることが合理的である。優勢・劣勢のNNの組み合わせが,認知的個性を決定する。結果と考察「仮説」のたのしさを「学習脳」毎に以下数例ずつ記述する。「仮説」ではどのような個性にもたのしさが保証されている。「身体脳」:運動的たのしさ(思わず身体の動きに顕れてしまう授業での喜怒哀楽はなんら拘束の対象ではない),感覚的たのしさ(観察対象である果物は観るだけでなく食べもする)。「記憶脳」:作業記憶が小さくCENに負荷がかかり易い子には皮質下での学びのたのしさが用意されている(予想が外れれば「危険回避」の扁桃体による学習が,予想が当たれば「報酬接近」の大脳基底核による学習が発生するが,これは概念的理解には媒介されない「現象の規則性の直接的学習」を可能にする。西川浩司はこれを「直観の科学化」と呼んだ。命題学習が苦手でも事象からの直接学習が可能となる経路である),予想が当たるたのしさ(報酬系である大脳基底核が活躍する)。「認知脳」:仮説的思考のたのしさ,立論するたのしさ,反証に学んで概念を覆すたのしさ(反証に敏感な概念的思考は,記憶脳による意識下のパターン学習とは異なり反証事例の帰納的枚挙を待たない。それが概念的思考の可能性でもあり限界でもある),予想が外れるたのしさ(「予想は外れてこそ新たな発見を生む」という,皮質下の記憶脳にはなかった意識的な学び。記憶脳では外れて悔しかった予想が,認知脳ではたのしくなる)。「社会脳」:意見の異なる他者と議論するたのしさ,真理が多数決では決まらないことを発見するたのしさ。「学習脳全て」:乳児にも見られる「脱馴化」のたのしさ(当然視できず説明不可能な出来事の出現は最も原初的な学びの動機づけであり,古くはソクラテスも「エレンコス」として概念化した),発見のたのしさ(発見の感動は記憶の中でも基礎的な「感情記憶」に痕跡を残す。何がたのしいかは認知的個性に依っても,たのしいという感情記憶自体は個性共通である。認知機能が衰えた認知症患者においても頑健に残るのが感情記憶とされており,いわば深部に位置するその重要性を顧慮すれば,「感情記憶の土台」づくりは「全脳参与型学習」においては要とすべきものかもしれない),ベイジアン・プロセス(BP)のたのしさ(「誤差最小化原理」に従いつつ予測の修正を繰り返すことでランダムなモデルからでも正しいモデルを生み出しうるのがBPである。BPがあるからこそ多様な個性に始まる認識活動が(個性を残しつつも)最終的には普遍的理解を生んでくれる(意識・無意識のBPがある)。正しくとも学び手の手には余るモデルを最初から教え込むのではなく,学び手の関心にも認知的個性にも適合した出発点を用意した上でそこからのBPを支援することが,「仮説」成功の鍵であると考える。予想が外れる悔しさは発見を伴うことで甘受可能となるが,更にBPを介することで,当たる予想のたのしさへと変化する。学び手達をわくわくさせ,自信をも生み出すBPである)。結 語虫明理論の援用で明らかとなったように,「仮説」では全ての学習脳(全ての個性)に学習参加が開かれている。又,学習に関わる脱馴化とBPは乳児期より脳に備わる個性以前の原初的学びの機構で,これらも個性に依らず学習機会を保証してくれる。つまり「仮説」は学び手を選ばない。が,それだけではない。全学習脳の参加は学習活動に(生き甲斐ともなり得るような学びなら持つであろう)躍動性と全体性とを回復させ,命題学習には尽きない有機的な学びを実現している。研究者も自由に全脳を使いながら研究している。そのたのしさを子ども達には拒否できるのか。全脳を巻き込む「全脳参与型学習」に学びたい。
著者
内田照久
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的 本研究は,「教育測定データの蓄積」を,個人の学力評価や処遇決定のための資料的役割に留めず,教育制度の改善に向けた施策や配慮が必要な児童生徒の支援制度の設計を行うための,基盤となるエビデンス・データとして,有効に役立てて行くことを目指す。本報告では,はじめに大学入試に係るデータから,初等中等教育から高等教育まで連なる社会的な教育課程と,子どもの発達成長との適合性について考察する。方 法 はじめに,厚生労働省の人口動態調査を基に,平成30年度センター試験の新卒志願者と同学年コーホートに属する者の月齢別の出生者数を集計した。4/1生まれの者は前年度の学年コーホートに入るため,その補正も行った。その上で,月齢ごとに,センター試験の志願率をもとめた(Fig. 1)。 次に暦月齢ごとに,センター試験の英語筆記,国語,及び数学IA及びIIBについて,その平均点をもとめた(Figure 2)。結果と考察 Figure 1の月齢ごとのセンター試験志願率を見ると,歴月齢が高い程,その志願率が上昇していることがわかる。そして,いわゆる早生まれの暦年少者は構成比率が低く(37.1%~),月齢が高くなるとその比率が次第に上昇して,4月生まれの暦年長者の志願率が最も高くなっている(41.3%)。 一方,Figure 2の月齢別の試験成績を見てみると,今度は逆に早生まれの暦年少者で平均点が高く,月齢が高くなるにつれて低下する傾向が見られる。この現象は数学で最も顕著で,3月生まれの暦年少者では平均が113.3点であったが,4月生まれの暦年長者の平均は110.2点であった。なお,英語でもこの低下傾向が読み取れるが,国語では必ずしも明瞭ではない。 これらの原因として,中学受験をはじめとした早期選抜の影響が考えられる。初中教育段階での選抜では,月齢差による発達面の能力差が厳然と存在するので,暦年齢の関数の形で人数の偏りが発生すると推察される。そして,その構成比率が上位の学校まで持ち越されて,大学の受験機会にまで影響を及ぼしている可能性がある。 一方,暦年少者のポテンシャルは,決して低いものではないと考えられる。センター試験の成績では,暦年少者の方が暦年長者よりも数学や英語で平均点が高く,月齢に対する逆転現象が起きていた。暦年長者は,成長発達面で先んじていたが故の上位校合格者が多いとも考えられる。しかし,高校段階になると,学力の個人差は,発達差ではなく,学習の成果として顕在化するようになろう。すると,相対的人数は少ないが,成長面での不利に抗して勝ち残ってきた,潜在的ポテンシャルの高い暦年少者の集団が,暦年長者集団を学力面で,凌駕した帰結と捉えることもできるかも知れない。引用文献川口大司・森 啓明 (2007). 誕生日と学業成績・最終学歴 日本労働研究雑誌, No.569, 29-42.付 記 本研究は,平成28~30年度 大学入試センター理事長裁量経費の援助を受けた。
著者
山森光陽 岡田涼 納富涼子 山田剛史 亘理陽一# 熊井将太# 岡田謙介 澤田英輔# 石井英真#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 2010年代に入って,教育心理学の分野でもメタ分析に対する関心が高まっている。日本では深谷 (2010),岡田 (2010),小塩他 (2014)によって,メタ分析による研究知見の統合が行われている。海外の教育心理学関係主要雑誌(Br. J. Educ. Psychol., Child Dev., Contemp. Educ. Psychol., Educational Psychologist, Educ. Psychol. Rev., J. Educ. Psychol., Learning and Individual Differences, Learning and Instruction)でも,2010年以降メタ分析を用いた論文数が急増しており,2018年では10月時点で28本にのぼっている。メタ分析による知見の統合には,ある介入の平均的な効果の提示が可能であることや,研究間差異を検討することで対象や条件による効果の違いを検討できることといった利点が認められる。 系統的レビューと呼ばれるメタ分析による知見の統合は,記述的レビューと異なり,統合対象とする研究文献探索の方法と分類基準を明示することが求められるなど,その手続きが精緻であることも関係し,レベルの高いエビデンスと捉えられ,その知見が流通することが多い。What works (U.S. Department of Education, 1986) に代表される,研究知見に基づく推奨される教育的介入のガイドラインは,1980-90年代は記述的レビューに基づいた内容であるのに対して,2000年代以降は系統的レビューの結果が反映されるようになってきた。さらに,2010年代には複数の系統的レビューのメタ分析(メタ・メタ分析,スーパーシンセシス)によるガイドラインが示されるようになってきている。 教育研究における複数の系統的レビューのメタ分析として広く知られているものに,Visible learning (Hattie, 2009)がある。学習者,家庭,学校,教師,教育課程,指導方法の各要因の下位138項目について,学力に与える影響のメタ分析の結果のスーパーシンセシスを行い,各々が学力に与える平均的な効果を効果量dによって示し,その効果の大小に対して理論的説明を行った。このスーパーシンセシスの対象一次研究数は延べ52,450本,延べ対象者数は8,800万人以上である。そして,スーパーシンセシスの方法やその内容は,イギリスやドイツをはじめとした諸国で,社会的な影響が大きいことが報告されている。 メタ分析による研究知見の統合の影響は,教育心理学をはじめとした教育研究の分野内に対してのみならず,教育政策,学校経営にまで及ぶと考えられる。国内では最近,平明に読めるメタ分析の入門書が複数出版されたことも契機となり,メタ分析による知見の統合を行う研究の本数が今後増加することが見込まれる。そして,研究知見の統合に取り組むに当たっては,研究分野内への影響のみならず,研究分野外への波及効果にも関心を払う必要があるだろう。このような現況を踏まえ,研究分野の内外に対して,「知見の統合は何をもたらすのか」を議論する。教育心理学におけるメタ分析研究の概況岡田 涼 教育心理学では,学力や動機づけ等の学習成果に影響を及ぼす要因やその先行要因を明らかにすることを目指すことが多い。得られた知見を教育実践や教育政策に反映させようとする場合,研究知見の信頼性や一般化可能性が重要となる。従来,研究知見の一般化を図るために行われてきた記述的レビューに比して,メタ分析は,複数の研究知見をもとに効果の程度を推定することで,より精度の高いエビデンスを得ることができる。同時に,個々の研究知見がもつ特徴を分析対象とすることで,平均的な効果だけでなく,効果の程度に影響する要因を検討することも可能となる。 このような特徴に鑑み,様々な研究テーマに関するメタ分析研究が増えてきている。国内でも,その報告数は増えてきており,注目度が高まっているといえる。学会によっては,執筆要項にメタ分析研究に特化した記載方法の指示が加えられたり,投稿の手引きでメタ分析研究の引用を推奨する記載をしている例もあり,メタ分析を受け入れる素地ができつつある。 一方で,メタ分析には,公表バイアスや一般化の水準の問題など,伝統的に指摘されてきた課題もある。また,メタ分析を行うためには,一次研究のレベルで必要な情報が報告されていることや,データベースが整備されていることなど,いくつかの前提条件もある。国内においてメタ分析研究が増えるに伴って,メタ分析研究の質が問われるようになることが予想される。 本発表では,まずメタ分析の考え方について簡単に触れ,メタ分析を用いた近年の教育心理学研究の動向を紹介する。その後,メタ分析の利点と限界を提示し,以降の発表につなげていきたい。一事例実験のためのメタ分析 山田剛史 様々な学会誌で特集号が組まれるなど(例えば, Developmental Neurorehabilitation, Vol.21(4), 2018; Research in Developmental Disabilities, Vol.79,2018; Journal of School Psychology, Vol.52(2),2014),近年,一事例実験(single-case experimental design)のメタ分析に注目が集まっている。一事例実験のメタ分析では,研究結果の統合の手続きとして,1)データの重なりの程度に基づく効果量(PND, NAP, Tau-Uなど)を利用する方法,2)平均値差に基づく効果量を利用する方法,3)ノンパラメトリック手法を利用する方法(randomization testsなど),4)マルチレベルモデルを利用する方法,など様々な方法が提案されている。こうした様々な提案がなされているが,メタ分析の手続きとしてスタンダードとなるものは未だ確立されていないのが現状である。 本報告では,平均値差に基づく効果量として,Hedges, Pustejovsky, & Shadish(2012)により提案され,Pustejovsky, Hedges, & Shadish(2014)で拡張された,ケース間標準化平均値差BC-SMD(Between-Case Standardized Mean Difference Effect Size,PHS-dとも呼ばれる)に注目する。 近年,BC-SMDを効果量として用いた一事例実験のメタ分析が数多く報告されるようになってきた。BC-SMDは,一事例実験研究の結果と群比較実験研究の結果を比較できる効果量として注目されている。Remedial and Special Education, Vol.38(2017年)の特集号を紹介しながら,BC-SMDを用いた一事例実験のメタ分析の実際について紹介する。教育研究的含意のある調整変数を推しはかる—外国語学習における明示的文法指導の効果—亘理陽一 言語形式に焦点を当てた文法指導の効果は,習得のメカニズムを研究する立場のみならず,教室での実践的課題としても長く議論が交わされてきた。Norris & Ortega (2000)は,1980年から98年までに出版された250超の論文の内,基準を満たす40研究の明示的指導(k = 71)の効果量の平均(d = 1.13)が,19研究の暗示的指導(k = 29, d = 0.54)を上回ることを示し,第二言語習得・外国語教育研究におけるメタ分析研究の嚆矢となった。 一方この研究では「明示的」と定義される範囲が漠然としており,その中身に関する意味のある調整変数は,後継のメタ分析においても明らかになっているとは言い難い。Watari & Mizushima (2016)は,Norris and Ortega (2000)を含む4メタ分析研究および日本の主要学会誌を対象とするメタ分析研究2本の182論文を対象とする再分析を行い,直後テストの結果において,暗示的指導との直接比較を行った45研究の明示的指導(k = 79)の効果量がg = 0.43 [0.28, 0.57]であり,形態論的・統語論的側面よりも,音韻論的側面や語用論的側面をターゲットとし(Q(3) = 8.68, p < .05),意味論的・機能的側面までを解説内容とする方が効果が大きいこと(Q(2) = 6.36, p < .05),さらに総括的な規則提示が高い効果をもたらしうる可能性などを示した。 しかし因果推論という観点で見れば,ここには説明変数・結果変数の関係や共変量の調整に問題の多い一次研究が多数含まれている。実験デザイン・測定法の異なる研究が混在し,メタ分析に必要な記述統計の報告不備すら依然指摘される現状(Plonsky, 2014)にあっては,知見の統合のメリットは限定的にならざるを得ない。今後は,関連他分野の研究者の協力も得て,共通尺度の開発も含め,統合に耐えうる一次研究の蓄積が求められることになると考えられる。エビデンスに基づく教育研究の社会的・学術的影響熊井将太 「エビデンス」という言葉が教育研究の領域でも存在感を高めてきている。実証的な知見に依拠した「授業の科学化」という要求は何も目新しいものではないが,今日の「エビデンス」運動の特殊性は,一方ではRCTやそのメタ分析といった特定の研究方法を頂点として学問的知見を階層化しようとする方向性に,他方では事象のあり方を客観的に明らかにする「説明科学」を超えて,そこで得られた因果的な知見をより直接的に利用可能なものにしようとする方向性に見出すことができる。このような「エビデンス」運動の特質は,必然的に従来の教育実践研究を担ってきたアクターと競合関係を作り,相互批判を生み出すこととなる。その中では,教育研究におけるメタ分析の有効性や課題とは何か,あるいはメタ分析から得られた知見の活用可能性と危険性とはいかなるものかが問われている(例えば,杉田・熊井(印刷中)など)。 本発表では,世界的に大きな反響を巻き起こしたJohn HattieによるVisible learning (Hattie, 2009)およびVisible learning for teachers (Hattie, 2012)を素材に上記の問題を考えてみたい。Hattieの研究をめぐる議論で興味深いのは,元来規範的なアプローチを主流としてきたドイツ語圏の国々において英語圏以上に議論が活性化していることである。加えて,Hattieの研究は,例えばバイエルン州のように,学校の質保障や外部評価の基準として政策的に受容されているところもある(熊井, 2016)。ドイツ語圏の議論と日本における教育実践研究の動向を見渡しながら,教育実践の複雑性の軽視や教育目標・内容論の欠如といった課題を指摘しつつ,他方で批判者側の「閉じこもり」の問題に言及したい。付 記このシンポジウムはJSPS科研費(基盤研究A:17H01012)の助成を受けた。
著者
飯田昭人 水野君平 加藤弘通
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的 本研究では,「子どもの貧困対策に関する大綱」に謳われている「教育の支援」に焦点を当て,保育現場や学校で働いている保育士や教職員等を対象に,子どもの貧困への意識について,(1)子どもの貧困状況の捉え方,(2)貧困状況にある子どもの困難の捉え方の2点について明らかにするために,支援者に向けての質問紙調査を実施した。方 法調査協力者と調査時期 A市内の小学校全18校,中学校全8校(私立中を除く),保育施設(保育園,幼稚園,認定こども園,小規模保育施設,事業所内保育施設,家庭的保育施設)27施設の合計53施設の保育関係者,教職員を対象にした。有効回答数は,小学校15校283件(72.0%),中学校8校188件(82.8%),保育施設18施設213件(56.8%),合計41施設684件(68.7%)であった。調査時期は2017年12月から2018年1月であった。調査内容 「滋賀県『子どもの貧困』対策のための支援者調査」(滋賀県・龍谷大学, 2016)を参考に調査票を作成した。まず「子どもの貧困状況の捉え方」に関する9項目を尋ねた(回答は「まったく深刻ではない;1点」―「非常に深刻である;5点」の5件法)。また,「貧困状況にある子どもの困難についての捉え方」に関する13項目を尋ねた(回答は「まったく当てはまらない;1点」―「とても当てはまる;5点」の5件法に,「子どもの年齢が低くてわからない」も設定した)。その他の質問項目も尋ねたが,本報告では省略する。結 果 「子どもの貧困状況の捉え方」および,「貧困状況にある子どもの困難についての捉え方」(因子負荷量の低さやダブルローディングで5項目を除外)について,因子分析(最尤法・プロマックス回転)の結果と各因子におけるα係数,負荷量,因子間相関はTable 1,Table 2のとおりである。考 察 子どもの貧困の捉え方を,「基本となる生活基盤の不安定さ」と,各種支援費を受給しなければ生活が安定しない,「家庭の経済的困窮」の2点に集約された。貧困状況にある子どもの困難についての捉え方において,主に「子どもの生活面から生じる心身の健康的側面」と,「子どもの学力面」に大別された。 公益財団法人子どもの貧困対策センターあすのば(2016)が,貧困問題を「貧」(低所得などの経済的問題」と「困」(一人ひとりの困りごと)に分け,家庭の「貧」を改善するだけではなく,子どもたちの「困」も支援していくことの必要性を述べている。今回,Table 1では「貧」について,Table 2では「困」についての捉え方を明らかにした。特に,「困」については,保育施設や小中学校というフィールド(現場)で,関係機関と連携しながら対処していくことが求められると考える。
著者
菅井篤
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

問題と目的 近年,学習者が対話的に議論し,学習を深めていく教育実践が増加している。この教育実践は,従来学校教育で行われてきた教師が子供へ知識を伝達していく伝統的な授業とは異なり,協働して問題解決していく学習(文部科学省,2012)に学習者が主体的・対話的に参加し,学習活動を展開していく教育実践を指す。文部科学省(2012)は「予測困難な時代において,我が国にとって最も必要なこと」として「将来の我が国が目指すべき社会像を描く知的な構想力」の育成を明示しており,文部科学省(2017)は「主体的・対話的で深い学び」の実現のために授業改善をすることで学習者が新たな学びをつくり出すことを推し進める。我が国の教育の領域では,主体的・対話的で深い学びの新たな創造のために,これまで行われてきた伝統的な学びの問い直しが始まっている。 そこで本研究では,これまで多く注目されてこなかった異学年交流に焦点を当て,具体的な事例を検討することを目的とする。方 法 2018年9月,関東圏内の私立小学校の異学年(1 年生7名,2年生6名,3年生6名,4年生5名,計24名)の集団交流における教師と児童の発話を対象とした。同年12月に異学年集団で行われる劇発表会へ向けた劇づくりの導入の授業であり,哲学対話形式で対話が展開された。そこでの教師と児童の対話をスクリプト化し,藤江(2000)に従って対話を発話として最小単位で区切った。そのほかに,対話場面を「話段(ザトラウスキー,1993)」を1単位として区分し場面の抽出を行った。なお,本研究は,管理職の指導のもと個人情報に留意して実施した。結果と考察 哲学対話形式の対話は24分48秒行われた。まず,藤江(2000)に従い,対話をそれぞれの発話として区切った。その結果,対話は276の発話に区切られた。これらの中から,児童の発話を抽出し,学年別に集計した結果をTable 1に示す。そのほかに,ザトラウスキー(1993)に従い,対話から48の話段を抽出した。話段は,話者が意図したと考えられる会話の「目的(goal)」の達成を1つの対話の終結と捉える対話場面のことである。例えば,Table 2に示した場面では,「なんで劇するの」の教師の問いかけから生じた対話の「劇をする目的の回答」という目的が達成されたことが読み取れる「伝えるため」という教師の発話までを1つの話段として定義し,対話場面を抽出した。抽出された話段のうち,児童の問いかけによって発生した話段は17であった。これらを学年別に集計した結果を,Table 3に示した。その結果,17の話段のうち,5の話段が3年生,12の話段が4年生の問いかけによって発生していることが明らかになり,1年生と2年生の問いかけは確認されなかった。 本研究は,主体的・対話的で深い学びを目指して行われた小学校での異学年交流の具体的な事例を検討することが目的であった。Table 1とTable 3に示したように異学年集団の交流において,児童は学年が上がるほど発話数が増え,目的の達成のために集団への問いかけが多くなることが明らかになった。対象校では,劇づくりの異学年交流は毎年導入されていた。これは,異学年交流型の授業を多く受けてきた上学年の児童ほど課題解決のために対話をパフォーマンスし,学習集団へ積極的に問いを発していたと捉えることができよう。このように,児童らが学習者として自ら問いをつくりながら,学習集団を他者と共に弁証法的に共創していくことができる学習環境は,主体的・対話的で深い学びの成立のための一助となると考えられる。