著者
河野 徹
出版者
法政大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1990

第一論文「中・近世英文学にみるユダヤ人像(1066-1600)」(『法大教養部紀要』第81号)では、まず序章で反ユダヤ主義の神学的基盤に探りを入れました。初期教会の教父らがパウロの思想をどう恣意的に変形し、その変形された教義の不可欠な一部として、反ユダヤ主義がどう中世イギリス社会に浸透したか、その過程を宗教史的、経済史的に辿りました。当時の宗教劇、とりわけコーパス・クリスティ祝祭劇に接して、その放埒なユダヤ人憎悪に衝撃を受けました、チョーサー作『カンタベリー物語』中の「女子修道院長の話」の解釈をめぐって、内外の学者たちにユダヤ史への配慮が欠けていることを確認しました。シェイクスピア作『ヴェニスの商人』の解釈に関しても同様です。しかしシェイクスピアが描いた半悪魔的シャイロック像と、現代イギリスのユダヤ系劇作家アーノルド・ウェスカーが描いた自由人的シャイロック像を比べるとき、ウェスカーは、主人公の半悪魔性を剥落させることで、情動のダイナミズムひいては劇的効果をも低下させてしまいました。両極端でないユダヤ人の実像に迫り得た作品はあるのだろうか--この問いに答えようとする試みが『法大教養部紀要』第85号に掲載された第二論文「近世英文学にみるユダヤ人像」です。ユダヤ人のイギリス再入植がその緒についた1655年以降の歴史を辿った後、スコット作『アイヴァンホウ』中のレベッカとアイザック、ディケンズ作『オリヴァー・トウィスト』中のフェイギン、ジョージ・エリオット作『ダニエル・デロンダ』中の主人公はじめ他のユダヤ人群像を分析しました。結論は、やはりどの登場人物も「神話」か「反神話」に属するということです。未完の第三論文では、現代英文学を対象に同様のリサーチを行い、さらに「アメリカ文学におけるユダヤ人像」の研究を続行する所存です。