著者
浜野 真由美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.7-43, 2020-11-30

奈良県立美術館に所蔵される「架鷹図屛風」は、曽我直庵(生没年不詳、桃山時代)の架鷹図に和歌賛が認められた紙本著色押絵貼六曲一双屛風である。本作は、大正7 年(1918)刊行の『国華』339 号で『国華』主幹の瀧精一(1873~1945)氏により「島津公爵家所蔵の直庵の鷹図」として紹介されており、数ある鷹図の中でも直庵の精緻な画技が際立つ作である。しかし、本作は、これまで直庵の画蹟として取り上げられることはあっても、宮廷貴族による寄合書として考究されることはなかった。当該期を代表する能書である近衛信尹(1565~1614)の関与が推定されながら、和歌賛の筆者も定まらず、制作の時期やその背景も不明のままとなっていたのである。本作の成立事情に着目することは、近世初期の宮廷における文芸活動、とりわけ近衛信尹の書作を解明するきっかけにもなるだろう。したがって、本稿では宮廷貴族の寄合書という新たな視点から、本作の成立事情を明らかにすることを目標とした。まず、和歌賛の書風と花押から筆者6 名を確定し、慶長13 年(1608)から同19 年の間に制作された作であることを導き出した。さらに、本作の鷹繋ぎの作法が近衛家の家人であった下毛野氏の鷹術に基づくこと、近衛家に伝来する近衛信尹筆「鷹画賛」が本作に類似する構成であること、そして近衛家と島津家との緊密な関係などを勘案した結果、本作は島津家が発注し、近衛信尹が斡旋した作であるとの結論に至った。 また、上述した制作時期は、徳川幕府によって公家への統制が強化された時期に相当する。放鷹禁止に始まる公家統制政策は、幕府と朝廷との間に軋轢を生み、後陽成天皇(1571~1617)を譲位へと至らしめる。そうした最中、放鷹を主題とする屛風が、放鷹権を否定された公家によってプロデュースされ、島津家へと渡っていたという事実は、宮廷文芸の在り方が時代の動向とも無関係ではなかったことを想像させる。