著者
清水 瑞久
出版者
日本マス・コミュニケーション学会
雑誌
マス・コミュニケーション研究 (ISSN:13411306)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.130-143, 2003

This paper considers the problem of Art and its use as a medium in the Meiji period, so I take the texts of Masakazu Toyama, who was an ideologue of the Japanese Government of the time. He was very interested in Art. But he saw Art as a mean of propagating the governmental conception to the nation. For him, a medium must be natural without noise. It must be self-evident. And this natural medium was a tool to make the people into a nation. I take his texts about Art to show what his thoughts about this medium were.
著者
清水 瑞久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.250-264, 2003-12-31

本論文は, 明治の社会学者・外山正一をとりあげ, 彼にとっての社会学が何であったのかを考察する.そのために, これまでの社会学説史の中で外山がどのようにイメージされてきたのかを, 主なる2つの潮流をあげて検討する.1つは, 民権運動に対抗して書かれた外山の「民権弁惑」に依拠し, もう1つは, 古代社会を研究して女性の自由を主張する「日本知識道徳史」に依拠する.本論文では, 一見するところ相容れることのない, これら2つの潮流を架橋しようと試みる.その試みのもとに, まず, 外山がその同時代社会における社会学の使命をいかに考えたのかを検討する.次いで, 古代社会に対する外山の眼差しがいかなるものであったのかを省察していく.そこから結論されるのは, 外山は国民を陶冶しようとして, 進化論的な歴史社会学を構想し, そのために同時代社会の中に神話的な物語を導入し, また, 神話世界に同時代社会を読み解いたということである.