- 著者
-
清瀬 みさを
- 出版者
- 同志社大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2005
本研究の目的は「関西近代建築の父」と称されながら、建築史学の分野で「代表作がない」「没個性的である」「様式的一貫性がない」と評されがちであった京都大学工学部建築学科初代教授・武田五一(明治5?昭和13年)の建築作品とその思想を、「京都都市景観の形成」という観点から再評価することにある。そして、京都近代の都市形成の原点である武田の事例を考察することで京都市の景観施策の是非を検討することを目的とした。本研究では、まず武田が設計(設計指導あるいは競技の審査をつとめた)した橋梁、官庁、大学、商業ビルなど公共性が高く近代都市のランドマークとなった建造物と同時代の建築家のよるそれとの比較検討を行い武田作品の特質を考察した。武田建築の基本的な特色として陰影の浅い、グラフィカルな外観の構成とベージュや灰色の押さえた色彩が指摘された。そのため種々雑多な色柄形の建造物が入り交じる現代都市において埋没した印象を与えることが確認された。ついで、武田自身の著作、論文、建築作品、競技設計の審査を行った評価の観点に、時代を先取りした、単一の建築作品を越える「周囲(環境)との調和」への志向が確認された。武田の時代に描かれた風景画作品を分析することで建造物の「地」となる京都のイメージを抽出した。その上で都市景観を構築する建造物として武田作品の再評価を試みた。しかし、洋画黎明期の画家たちが描いた京都の街のイメージ、つまり淡く明るい土の色、陰影の浅い東山の山並み、浅瀬の鴨川、そこに点在するランドマークとしての歴史的建造物を背景に置くとき、逆にその「没個性」が現代の京都市景観施策を先取りする環境との調和を目指した結果であると評価される。そして、橋梁が建築物よりいっそう景観構築の規矩となるという武田の思想は、都市内の水運が廃れ、橋梁が道路の延長になってしまった現代都市において看過されてきたが、京都市景観施策に是非とも考慮すべき点であることを主張したい。