著者
清田 政秋
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.37-54, 2018-03-01

本論文は本居宣長と悉曇学との関連を考察する。宣長は『古事記』の基は稗田阿礼の誦習の声であるとして音声を重視する。言語は音声であるとする言語観を江戸期音韻論の議論から獲得した宣長は、音声の持つ特質に注目した。音声の問題を考察して来たのは仏教、特に密教と不可分の悉曇学である。宣長は契沖と安然の悉曇学から音声の力、音楽性、真言を学んだ。真言という思想は、語り伝えは上代の実だとする『古事記伝』の考え方に繫がった。更に仏教は心と世界と言葉は相応するという。宣長はこれを契沖を介して学び「意と事と言とは皆相称へる物」という『古事記伝』の基礎にある重要な言語観を確立した。宣長契沖安然悉曇学心と世界と言葉の相応
著者
清田 政秋
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.97, no.1, pp.1-26, 2023-06-30 (Released:2023-09-08)

従来本居宣長は仏教批判者とされ、また宣長自身が自らの学問への仏教の影響を語らないために、宣長研究は仏教を考慮外に置いてきた。それに対し漢学との関係は、宣長が京都で医学修行の基礎として学んだ関係からよく研究された。しかし宣長の学問は仏教と深く関連し、それを追究すれば宣長について従来とは異なる新たな知見が得られる。それは宣長にとって仏教とは何であったかの追究でもある。本稿は宣長の学問の出発点である「物のあはれ」説を取り上げる。「物のあはれ」説には膨大な先行研究があるが、まだ十分明らかになっていない問題がある。宣長は、その説は藤原俊成の「恋せずは人は心もなからまし物のあはれも是よりぞ知る」の歌がきっかけになったと語る。だが研究史では俊成の歌からいかにして「物のあはれ」説が成立したかは十分解明されていない。本稿はその成立に『摩訶止観』の心の有り様と感情をめぐる仏教の哲学的思考が関わることを明らかにする。
著者
清田 政秋
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.46, pp.37-54, 2018-03-01

本論文は本居宣長と悉曇学との関連を考察する。宣長は『古事記』の基は稗田阿礼の誦習の声であるとして音声を重視する。言語は音声であるとする言語観を江戸期音韻論の議論から獲得した宣長は、音声の持つ特質に注目した。音声の問題を考察して来たのは仏教、特に密教と不可分の悉曇学である。宣長は契沖と安然の悉曇学から音声の力、音楽性、真言を学んだ。真言という思想は、語り伝えは上代の実だとする『古事記伝』の考え方に繫がった。更に仏教は心と世界と言葉は相応するという。宣長はこれを契沖を介して学び「意と事と言とは皆相称へる物」という『古事記伝』の基礎にある重要な言語観を確立した。宣長契沖安然悉曇学心と世界と言葉の相応