- 著者
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渋谷 努
- 出版者
- 東北大学
- 雑誌
- 若手研究(B)
- 巻号頁・発行日
- 2008
現地調査によって1970年代から80年代初頭にフランスのパリ郊外ノンテールに住み働いていた北アフリカ出身者が記憶にとどめている移民たちによる社会運動には、MTA(mouvement travailleur arabe)があった。彼らの活動は、パレスティナ住民の支援だけではなく、フランスの労働組合に積極的に参加していなかったアラブ諸国出身移住労働者を労働活動に参加させた。既存の労働団体とは一線を画して、労使交渉に臨んだ。また、移民たちに運動の組織化のノウハウを伝えた。彼らの活動は十年弱で終了し、団体も解散した。しかし、彼らの活動の中心的な役割を果たした者は、以降の移民による運動の中心的な役割を果たしており、移民の社会運動が成立する基礎を形作った。文献調査として北アフリカ出身移民第二世代を指す際に用いられることが多い「Beur」という言葉の1987年から2008年8月の間でのLe Monde紙上への掲載状況を調査した。掲載された総数は1924回だった。Beurは文芸や映画と結びつけて用いられる場合が最も多く、政治や選挙と次いで結びつけられていた。さらに1998年にサッカーのワールドカップがフランスで開催され、フランスチームが優勝した際にアルジェリア出身移民の子どもが活躍したことから、その後このチームのことをマスコミだけではなく政治家もblack-blanc-beurと呼ぶようになった。この表現は多様な出身者からなるフランス社会の統合を示すものとして象徴的に用いられるようになった。Beurにはイスラームと関連されて用いられることもあったがイスラム主義者と対比する形で世俗的または穏健なイメージが与えられた。以上のような肯定的なイメージとは異なり、Beurを侮蔑的な表現と関連づける大きな要因が郊外問題であり、都市暴動などの暴力であることが明らかとなった。