著者
渡辺 久寿
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.13-26, 1994-12-10

本来、日記文学は、発想としてー人称を原理としているといえようか。しかし『和泉式部日記』のように、三人称的叙述と言われるものもあり、『和泉式部日記』自体を、他作とする見解もある。いったい、『和泉式部日記』を領導する主体を、和泉式部という一人称的語り手と考えていくべきなのか、三人称的にあるいは物語的に語っている他の主体を考えるべきなのか。そこで本稿では、『和泉式部日記』の「語り手」の存在を特に取り上げ、登場人物の「女」や、「官」との関わりを、その人称構造の様態から考えていき、その結果、この『和泉式部日記』は、一人称とも二人称とも三人称ともつかない、語りの主体の独自なあり様を持つことがわかった。「語り手」の意識が登場人物と重層し融合するという、『和泉式部日記』特有の、しかもきわめて日記文学的な人称構造を有し、それがまたこの『日記』の独自な世界のありようを創り出しているのである。今回はそれを、『和泉式部日記』の始発部分に絞って検討した。