著者
源中 由記
出版者
東京芸術大学
雑誌
東京藝術大学音楽学部紀要 (ISSN:09148787)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.23-35, 2003

本稿の目的はヘンリー・ミラーの『北回帰線』(1934)の描写する芸術家的人物造型にまつわる美学とアイデンティティ主義の分析、その本質論的個人主義が芸術的創造者のアイデンティティの表象においていかなる役割を果たしているのか、小説の主題と形式がいかなる本質論的/個人主義的言説を生産するのかについての考察である。この小説の問題は、その主人公である作家志望の男の芸術的創造性をテクスト上に提示する、という形式および主題における屈折である。モダニズム以降の芸術観において芸術とは新奇かつ独特でなければならず、したがって問題の小説の主人公の芸術的創造性は因襲的なそれとは一線を画すものでなければならない。しかし非因襲的な芸術的創造性を芸術的であるとしてテクスト上に提示することは定義上不可能である。その結果小説は、主人公の人物造型が個性的で独特である、という換喩的な屈折を経由して、この非因襲的芸術性を表象しようとする。そのさい小説は人種主義の修辞をもちい、生物学的な差異として芸術的創造性を表象しようとし、ゆえに美学はアイデンティティ主義に読みかえられる。この類推は(芸術的創造性は生物学的な属性ではないのだから)エピソードのレヴェルで破綻し、問題の小説の(あるいは、あらゆる)美学的基準は欧州芸術の美学的因襲であることが露呈する。この構造は小説におけるわいせつ性の問題においても見られる。さらに、この主人公が小説家の自画像と一般に読解されているという自伝性の問題、さらにはこの小説が小説家の出世作であるという事情がある。小説家にとって、主人公の個人主義的美学の描写に成功することが小説それじたいの美学的価値の確立に成功することでもあるとき、小説家の、主人公の、そして小説それじたいの主題的アイデンティティがかさなり、アイデンティティ主義と美学はかさなることになる。