著者
溝上 宏美
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.421-454, 2005-05

一九四五年二月のヤルタ会談の結果、ポーランドの東部領土はソ連に併合され、ワルシャワには共産勢力の強い影響を受けた臨時政府が誕生した。当時、ポーランド亡命政府の後見国としてその軍を指揮下においていたイギリス政府は、以降、帰国拒否が予測されたポーランド兵の処遇問題に直面する。四六年初頭、国際的圧力を受けてポーランド軍の解体を迫られたイギリス政府は、帰国拒否兵士の再定住先を模索したが、諸外国だけでなく、英連邦諸国、植民地など帝国内部からも好意的な反応は得られなかった。他に受け入れ先がないなか、最終的に四六年五月、イギリス政府はポーランド兵を国内に受け入れ、その定住を支援する組織としてポーランド人再定住軍団を編成することを決定した。 従来、ポーランド人の受け入れの背景としては、国内の労働力需要が指摘されてきた。しかし、その受け入れ、再定住政策は、対ポーランド政策に留まらない、イギリスのより広範な対外政策によって規定されていたのである。